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46話 ヒューイ・ルイス

フルメタルのハーモニカの故障により、ハーモニカという楽器が消耗品だと知らされて以来、僕は少々練習に熱が入らなくなってしまった。いずれは12keyの全てを揃えればそれでもう出費は終わりだと思っていたのに、使うそばから壊れて行くのではいくらお金があってもキリがないと、セコイ事に気をとられていたからだった。
僕はなるべく小さめの音で、ベンドも音の下げ幅を甘めにして、常に気を使いながら練習を続けた。完全にブルースらしい力強さを無くした音だったのでテンションも上がらず、冴えない日々が続いた。

そんな折、僕にとって嬉しい出来事が起こる。「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース」の日本での大型コンサートがテレビ中継されたのだ。僕が初めて彼の演奏でテンホールズハーモニカの存在を知ってから、すでに5年の月日が流れていた。
それまでに僕が観た彼のハーモニカ演奏は全てプロモーションビデオで、完成度こそ高いものの、ハーモニカの出番は少なめで、すでにライブハウス通いをしていた自分には少々物足りず、もう一段階突っ込んだものが聴きたいところだった。それがコンサート中継となればまさに渡りに船といった状況だ。
自分の頭の中の引き出しを全部開け(こんな感じのハーモニカ・ソロだろうか?ブルースっぽい感じ?それとも、もっと未来っぽい感じ?)と想像をめいっぱいふくらませる。

数千人は入っているであろう日本武道館でのコンサートだった。ヒットナンバーのオンパレードで、映画でヒットした曲などを中心にどれも耳に馴染みのあるメロディーが続いて行く。さすがはヒューイ・ルイスだ。
けれども、意外なほど彼がハーモニカを吹く曲は少なく、また吹いたとしても本当にわずかな出番だった。ハーモニカ奏者として一級である以前に、世界的な大スターなんだと改めて驚かされる。
ハーモニカ演奏を観たい僕は、その度「うわっ、吹いた!!」と叫んだり「あ~、ギター・ソロに移ったかぁ~」など、その限られたハーモニカの出番に一喜一憂するのだった。自分が通っていたブルースバンドのライブなどは、のべつまくなしというほどハーモニカが全面に演奏されているので、僕はじらされているようなもどかしさすら感じていた。

そのコンサートの途中で、待ちに待った演出があった。バンドメンバーは一旦引き下がり、ヒューイ・ルイスたったひとりだけがステージに残って、かなり長いハーモニカだけのソロ演奏をたっぷりと聴かせるシーンがあったのだ。
彼の顔がアップになり、その手には2本のハーモニカがキラリと光る。途中でそれを持ち替える事があったけれど、どうやら転調などではなく、単純に調子が悪くなった時の「予備用」だったようだ。

ハーモニカの機種が見分けられるほど手元がアップになると、僕は息を呑んだ。そのわずかに見えるハーモニカの角の形から、ホーナー社の「マイスタークラス」で演奏しているのが、はっきりと確認できたのだ。しかもDというKeyを見分けるために貼られた、小さな丸い紙シールまでが、はっきりと見えるほどだった。
ヒューイ・ルイスも八木のぶおさん同様に、フルメタルのハーモニカを奏でていた訳だ。あのズシリという金属の確かな存在感を自分の手が覚えているため、テレビを観ているだけなのにウズウズして、鼓動まで早くなって来る。

バンプ(汽車のマネ)から入り、伝説のブルースマンである「リトル・ウォルター」の名曲「ローラーコースター」へとつなげて行く演出は、テンホールズハーモニカ奏者ならではのこだわりで、テレビの前の僕の胸を熱くさせた。
やがてその曲は終わり、次の曲へと移るとすぐに僕は自分のハーモニカケースを手元にたぐり寄せ、中から壊れたままのDのKeyのハーモニカを取り出し、さっきまでの演奏を大まかに再現してみる。その結果、やはり誰もが一番多く使うであろう4番目の吸い音が出せない事には、どんな演奏も始まらないと思い知った。やはり早く買い直さなくてはならない。

コンサートの放送が終わった後も興奮冷めやらず「久し振りに、思いっきりテンホールズを吹き鳴らしてやろう!」とハーモニカケースから全てのハーモニカを取り出し机に並べてみた。
そして片っ端から、思い切り激しい息を吹き込み、思うさま激しいベンドをかき鳴らしてやった。もう壊れるから気をつけようなんて考えるのも辞めた。そんな考え方自体が、このテンホールズハーモニカという楽器には向いていないのだから。

ひとしきりハーモニカサウンドを楽しみ、息を荒げるほどに全力をぶつけてみて、自分がかなり演奏力がついた事を確認し、コンディションも悪くないのも実感すると、今度は急に虚しさが込み上げて来る。ここまでの音を出せるようになって、それを演奏する機会が全くないのだ。
ライブに通うようになり、アンプを通した大きな音を知った後ではなおさら、この小さなハーモニカをガンガンに鳴らしてやりたいのだ。

その日以来、また誰かとハーモニカを演奏したいという想いが、日に日に強くなって行くのだった。

つづく


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