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137話 難しい演奏

セッション演奏は淡々と続いて行く。後半に行くに従って、それぞれの参加者の持ち曲が、難しさを極めるように聴こえる曲ばかりになって行った。もっとも、何もわからない当時の僕からすれば、全ての曲が難解ではあるのだけれど。
ピアノやサックスがぴたりと合うようなユニゾン(同じメロディーの合奏)を、当たり前にやって見せる。誰もそれを驚きもしない。さすがはジャズセッションに慣れた常連客ばかりという事なのだろうか。そんな集団を見ていると(この人達は、アマチュアではないのではないか?)と、つい思えてしまう。

その頃、僕がテンホールズハーモニカで演っていたようなバンドでは、みんなでユニゾン演奏をするような曲は稀で、どちらかというとおのおのがルーズに演奏するのがほとんどだった。自分が尊敬をしていたブルースマン達の音楽もまさにそのような感じで、たとえユニゾン演奏をするようなところが出て来ても、そのパートが出て来るたびに毎回どことなく崩れていたりするところが、かえってかっこ良いように思えていたりもしていた。 そんな僕らからすると、ジャズのような「キメ所が多い音楽はレベルが高い」という単純な思い込みがあった。
けれどこのセッションの参加者達が行っているユニゾン演奏は、そのようなカッコ良さを目指しているものではなく、明らかに全体が、合わせ方に精度を求めているような雰囲気が感じられた。少しでもズレがあれば、それは「ミス」と判断されてしまいそうだ。 それは当時の僕が、最も緊張するような価値観でもあった。

しばらくすると、目の前で繰り広げられているジャズセッションをただ見学するだけの僕に、暇な参加者のひとりが話し掛けて来た。
「ねぇ、ハーモニカの君、ちょっといいかい?」
僕は軽く会釈し、そちらを向いた。今さっき、彼らが言うところの「ブルース」をセッションした時の参加者のひとりだった。 僕よりはかなり年配な方で、サラリーマンの上役が着るような品の良いVネックのセーターを着ており、喋り方から、温厚そうな方のように思えた。彼は相席をする訳ではなく、僕の足元にしゃがみ込み、やや上目遣いで話し始める。
「君さ、さっきずいぶん基本的な事を質問してたよね?どういう事?ハーモニカの演奏の感じだと、当然初心者って訳ではないんだよね?ジャズだけが分からないって事?」
さりげなく失礼ではあるけれど、とりあえず今この店で話す中では、問題はなさそうなひとりだった。僕も暇なのでこれに答える。
「そうですね。ブルースセッションなら、かなりやって来てるつもりなんですけど、ジャズとなると、正直、全く分かりませんね」
相手は口を尖らし話を続ける。
「でもさぁ君、そんなのっておかしいと思うよ。だってさ、ブルースとジャズなんて、ほとんど違いはないじゃない?」
一体どこがどう同じだと言うのだ。そもそも同じだったら、僕は何も困ってはいないのだから。
「とんでもない、僕の中では大きく違いますよ。ブルースだったら大概の曲には合わせられますけど、ジャズって何がなんだか。これからも、自分が吹けるようになれる気がしませんね。みなさんが何を演っているのかも、よくわからないんですから」
相手は、本当に僕の言ってる事はわからないと言う顔をしながら、首をかしげる。「へぇ~、そうなのかい?僕なんかからすると、君達みたいな3コードのブルースをやっている人の方が、よっぽど難しい事をやっているように見えるけどね。だってさ、ジャズなんて、とりあえず楽譜通り演ってれば良いじゃない。だったら誰でもできるって事だと思うんだけどなぁ」
ここでも、僕にとってまた答えに詰まる用語が出た。「楽譜」だ。僕は正直に「楽譜が読めない」と言う。すると「読めないのに吹ける方が凄い」と返される。どうせ、水掛け論になるに違いないと、僕は半ば無視を決め込んだ。
なんだか全てがめんどうに思えて来て、今すぐにでも帰りたい気持ちになった。何より、もう僕はこの店にももう2度と来る事はないだろうと、そう思っていた。 前回のジャズ店の事は忘れるとして、今回来たこの店をジャズの第一歩だと考え直そうとしたというのに、ここまでの世界観の違いのようなものを見せつけられては、もはやどうする事もできないと感じていた。加えて、先ほど2杯目のドリンクを注文してしまい、もはや予算オーバー。今月はこのセッションで、物理的にジャズセッションは一旦学び納めとなるのだ。

そんな中、僕はまた店長さんに声を掛けてもらう。
「じゃあ、ハーモニカの君。ブルース、またやろうよ。今まで聴いてた中で、やりやすそうな曲とかあったかい?あれば、そんなのをやろうよ」
屈託の無い笑いを浮かべ、ますます嬉しそうな店長さんは、何も知らない僕にも好意的なようだった。その点は「わからない奴はもう来るな」という前の店とは大違いだ。店長さんは本当にブルースが好きなのだろう。
そこに、先ほど話し掛けて来た常連さんも加わって来る。
「ねぇ、マスター(店長さんの事)。俺さ、さっき彼に言ったんだけどさぁ、この人の楽器は、シンプルな事をものすごく表情豊かに演るじゃない?それが凄いと思っちゃうんだよね。だけどさぁ、コード感(和音が多い)があるものとかの方が難しいなんて言っているんだよ。不思議なもんだよね?」
この話から、どうやら彼は僕のハーモニカ演奏に対しては好意的に思っていてくれているのは伝わって来た。けれども、僕がわからないジャズを楽々と演奏しているのだから、やはりどこかで僕を下に見ているんじゃないかなという劣等感が湧き上がって来る。これに対して、今度は店長さんが話に何度もうなずきながら言った。
「ブルースをやる連中はさ、実際にあんまりコードを知らないんだよ。昔よく組んでたブルースの奴もさぁ、本当に3つくらいしかコード知らないだ。しかもさぁ、3和音のコードばっかりなんだぜ。メジャーセブンスみたいなのなんかは、全然使わないんだ。でもさぁ、そこで曲を演り分けちゃうってんだから、本当に凄いもんだよ。俺らも見習わないとな。小難しい事ばっかり演って、ズドンと人に伝えるもんが、全く無いんだからさ」
この話に、周りで聞き耳を立てていた参加者達は、一気に沸き立って行った。まるでそれは静かだった水辺に、波紋が広がって行くようだった。 僕からはクールで無表情に見えたけれど、この店の参加者の人達なりには、僕のような演奏者に対して、それなりの敬意を持ってくれていたという事らしい。
僕1人対全員のようになるのは、参加者のほとんどが常連客で、久し振りの「新参者」が嬉しかったからなのかもしれない。たとえそれが、混乱で我を忘れた無知な僕であったとしても。

店長の掛け声とともに、僕を始め、管楽器奏者のほとんどがステージに上りジャズで言うところの「ブルース」をやろうという話になった。 Keyを伝え、そのセッションの参加者達をひと通り見渡した店長さんが、わざわざ僕の方を見てチラリと言った。
「じゃあ、ジャズブルースをやろうか?なっ?ジャズブルースを。ねっ?今度は12小節のやつを演ろうよ。その方が、分かりやすいからさ。なっ?」
とても柔らかな笑顔だった。数人が「ジャズブルース、ジャズブルース」と連呼している。僕がいなければ「ブルース」とだけ伝え合っていたところなのだろうが、わざわざ僕のために「ジャズブルース」と言ってくれているらしく、その気遣いが、嬉しいよりも気恥ずかしかった。

さっきのセッションと同じようなセッティングでステージに立つと、肩を並べているのは「お父さん」といったご年配の男性がほとんどだったけれど、その中にひとりだけ「黒い色のトランペット」を持つ、僕と同い年くらいの参加者がいるのに気が付いた。眼光もするどく、ナーバスな感じがバリバリ伝わって来た。 最初にはいなかったような気がするので、セッションの途中から来店した参加者らしい。
その人が持っている独特な人をはねつけるような雰囲気とその見た目から、僕は「ジャズと黒」の組み合わせだったウッドベース奏者の「黒ズクメ」を想像し、なんとなく警戒感を持つのだった。

つづく

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