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90話 お世話役ジャガ

サックスを持っているという事は、この男の人もやっぱり今夜のセッションデーの参加者なのだろうか。
いかにも人の良さそうな満面の笑顔が、逆に怪しい感じだ。ラガーマンのようながっしりとした体型だけれど大柄ではなく、スウェードのジャケットの腕のところが筋肉でパンパンに広がっている。
顔の半分くらいを覆うカールしたヒゲは、自分のような会社員には物珍しいものだけれど、お得意先のデザイナーなどの職種をフリーランスでやっている人のような印象がある。とにかく、個性的な人と見て間違いはないだろう。

まだ他に空いている席もあるだろうに、一体なんのつもりで僕のテーブルに、相席しようというのだろう。同じ店にいながら、今のステージ上での、僕の惨めなセッションでのやり取りを見ていなかったのだろうか。
僕は、冷めやらぬ怒りでフルフルと震えつつも、とりあえず、その人に笑顔で答えてみせる。
「ああ、どうぞ。あっ、ひょっとしてこの席、もう取ってました?僕、移りましょうか?」
すっかり萎縮した僕は、いきなり現れたこの見知らぬ人を前に動揺が隠せなかった。

彼は笑顔で、新たにステージでセッテイングを始めている人達の邪魔にならないよう、それでいて僕にだけは聞こえるような絶妙な声の大きさ加減で話し始めた。
「いやいや、少し、あなたとお話したいなぁ~って。どうもどうも、私『ジャガ』って言います」
まだ警戒はしつつも、そのやわらかい物腰にとりあえずは安堵する。もちろん「ジャガ」なんて本名ではないのだろうけれど。
少し遅れて、僕も慌てて自己紹介をする。
「あっ、広瀬です。ブルースハープです。まだ、全然、吹けないですけど」
すると、彼は食い気味に言葉を返して来た。
「いや、あなた、かなり吹ける人でしょう?ね?でしょう?最後に差し込んだ、ほんのわずかなっ、本当にっ、ほんのわずかなフレーズねっ!!あれだけで十分わかりました。この人は音色が違うなって!!」

どういう事なのか、「ジャガ」と名乗った男の人は、いきなり初対面の僕を褒めて来て、それからしばらくの間一方的にしゃべり続け、僕らの座るテーブルはまさに彼の独壇場となった。
「さっきのギタリストって、完全な確信犯なんですよ。あいつの手口なんですよ。実は、俺もね、おんなじ事やられたんですよ。『ソロの時はふるから、それ以外は音出すな』って言ったんでしょ?。で、待ってたらソロを飛ばされた。でしょ?そうなんですよ、俺の時とおんなじだ」
どうやら彼は僕と同じ目に遭わされていたひとりのようだ。被害者同士の出会いという事で、僕は相席をして来た理由が理解ができ、少しだけ警戒感を解いて彼の話を聞き続けた。
それにしても、最後にちょろっと吹いただけだと言うのに、彼からの僕のハーモニカへの評価が確信めいて高いのには驚かされた。
その後も彼の話はとうとうと続き、「そもそもブルースのセッションなのにジャズテイストの選曲をする事がおかしい」だの「ブルースはブルースハープを聴くためにある」だのと、言葉巧みに次々と僕寄りの話をまくしたてるように話して来た。
そこはかとない怪しさが漂うものの、僕の方だって褒められればそう悪い気はしない。

さすがに僕も言葉を返してみる。
「ところで、ジャガさん、サックスって事は、やっぱりジャズもやるんですか?さっきのギターの人も、やっぱりジャズの人なんですよね?」
すると、また彼は食い気味に答えて来る。
「違うんですよ、それが違うの!!ああいう奴はジャズっぽいだけで、ジャズではないんですよ。その証拠に、絶対にジャズの專門店のセッションには行かないんですよ。ブルースのセッションとかでジャズっぽい事やれれば、それでレベルが高いだろうっていう、そういう輩なんですよ」
この話に、僕はとても驚かされた。あの人は意地悪でこそあれ、自分にはかなり達者なギタリストに見えたからだ。
僕は詳しく聞き直してみる。
「ええっ?あんなに弾けるのに、あの人、ジャズのセッションとかには行かないんですか?」
すると彼は、ようやく一息つくように、話の締めくくりとしての言葉を返して来た。
「理由は簡単ですよ。ジャズのセッションに行けるほど、本格的なものじゃないからですよ。かといってブルースにも合っていない、まぁ一見、凄そうには見えるんですけどね」
このジャガという男の人のはっきりとした物言いから、僕はたまたま災難に遭っただけだったのだと解り、今さっきの落ち込みから少しだけ抜け出せた気がした。

ここでちょうどセッションメンバーのチェンジが入り、ステージ上のマスターからご指名が掛かった。
「はいはい、お疲れです~。じゃあ、メンバーチェンジ。サックスやれる、ジャガ?」
すっかりジャガの話に引き込まれている間に、それなりにセッション演奏の方は進んでいて、すでにステージは別のセットメンバーへと変わるところだった。
ジャガはステージに向かって、ハキハキと元気に答える。
「は~い。行きます!!じゃあ、行って来ますよ。では広瀬さん、また、のちほど」
サックスを持って、サービス精神からなのか、ジャガは「どうもどうも」とまるで芸人さんが登場して来る時のように、こびこびなコミカルな歩き方で、ステージへと上がって行った。
僕はブルースセッションではあまり見かけない管楽器の登場と、そのパワフルなキャラクター性に期待をし、今から始まるジャガのセッション演奏にわくわくとした。

ステージ上で打ち合わせを始めたジャガは、いきなり大きな声で文句を連ね始めた。
「ええ~、『ルート66』やるの?別に、俺がサックスだからって、ジャズナンバーやらなくてもいいでしょうに。むしろ泥臭いコテコテのブルースやりたいですよ。KeyだってEとかでいいですって。ブルースセッションに来たんだから、ブルースやらせて下さいよ!!」
ジャガは今さっき話していたような持論を展開させる。その言い方は少々演劇じみていて、客席にいる僕に意地悪をしたギタリストへの当てつけも含んでいるようにも聞こえた。僕は気まずいながらも、少しだけ胸のすく思いがした。

やがて一通りの打ち合わせも済み、セッション演奏がスムーズに始まった。ジャガのサックスをフューチャーしての泥臭いブルースが幕を開ける。
ボーカルでの参加者は、かなり声量のある恰幅の良い男性だった。ツバキが飛び散るような歌い方を見て、僕はより期待を大きくする。
おそらくこれから、この歌にジャガのむせびなくようなサックスのかすれた音が濃厚にからみ始めるのだろう。そうなると一気に店内はギャング街のようなムードに染まり、管楽器ならではの大人の匂いが広がって行くのだと、僕は想像を巡らせる。
ところが、ジャガの演奏はというと、そういうものではなかった。
なんというかその、とても「普通」だったのだ。
もちろんヘタではないし、音が外れたり、リズムがもたつくような部分などは無いのだけれど、なんというか、とても「平凡」だった。
やがてセッション曲が終わり、またマスターの司会で次のメンバー・チェンジに入る。
ステージを降りたジャガは汗を拭きつつ、のしのしと勇ましく僕の座る席へと戻って来た。
ドスンと大きく座り込んだジャガは、今度は一転し、少々元気が無さそげに僕に言った。
「いやぁ~、わははは。ね?どうでした?広瀬さん。俺『普通』でしょう?全くね~、う~ん、我ながら『無難なプレイ』。さらに、『魅力の無い音』わははは!!」
ジャガは大量にしたたる汗を拭きつつ、自虐的な言葉を、さも言い慣れているかのようになめらかに連ねて行く。
こんな時はなんと言葉を返せば良いのだろう。僕は管楽器に関してまるで知識が無く、かばうどころかまるで掛ける言葉が見つからない。そんな僕を見て、ジャガは笑いながら言う。
「いいんですって、自分が一番解ってるんですから。でもね、だからこそ、自信を持って言えるんですよ」
変なところで途切れた言葉の先を、僕は聞き返す。
「何をですか?」
するとジャガは、きっぱりと答えた。
「あなたの音が、魅力的だってね」

このジャガとの出会いから、僕は「セッションでの歩き方」を学ぶ事になるのだ。

つづく


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