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11話 初めてのベンド ①

次の月、僕はもらったばかりの小遣いを握りしめ、いつもの楽器屋へEのKeyのメジャーボーイを買いに行った。店員さんとはすでに顔見知りとなり、臆するという事も無くなっていた。
家に戻るやいなや、ラジカセで長渕 剛の曲を流し、新しく買ったばかりのEのKeyのテンホールズハーモニカを吹き、その音を重ねて行く。
曲の合間に入って来るハーモニカの音と、自分の吹くEのKeyのハーモニカの音が、見事に重なって行った。そりゃあもう、ひとりでキャッキャと騒ぐほどの大興奮だった。
かといって、まだ曲のメロディーをなぞれるというほどではなく、ただ「プー、プー」と吹き鳴らし、音が重なる部分がいくつかあるというレベルだった。

カセットテープをキュルキュルと巻き戻し、ハーモニカの流れる場所を再生しては音を重ねる。それを何度も続ける内に、だんだんと曲のハーモニカのメロディーの方を覚えて、ハーモニカの音の出だしと終わりくらいは、ぴったりと合うようになって来る。
僕はそれまでハーモニカを「オモシロ笛」のような、音が出るおもちゃくらいにしか考えていなかったので、自分からメロディーを吹こうとするなんて、これが初めての事だった。

その日は、ご飯を食べてはハーモニカを吹き、お風呂に入ってはまた吹いた。
唇は腫れてしびれ始め、口の両脇が赤くなって「オバケのQ太郎」のような円を描く。それでも一向にやめる気にはなれず、僕は買ったばかりのEのKeyのハーモニカを吹き続けた。
とはいっても、楽器で音楽を演奏しているという認識まではなく、楽しさに任せて、同じ事を延々と繰り返しているだけだった。ハーモニカがラジカセから流れてくるのと同じ音を出しているという事だけで嬉しかったのだ。 

その内に、自分のハーモニカの音と「明らかに違う部分」があるのに気がつく。
テンホールズ特有の音色の中でも「ポワ~ン」という、特に音がしなるような、奇妙な部分だ。もうすでにテープが伸びるくらい巻き戻し続けてはハーモニカを重ねて来たので、あとはその部分さえできれば、おおよそ全部が重なるくらいまでになって来ていた。

その「ポワ~ン」という音は、とても印象的な音色で、無視できない魅力があった。テープの方が伸びてしまっていたり、長渕 剛の楽器が壊れてしまっているんじゃないかとも考えてはみたけれど、決してそうではない。彼は間違いなく、毎回その部分に、おそらくは意図的にその「奇妙な音」を出している感じだった。
その音こそ「ベンド」と呼ばれるテンホールズハーモニカ独特の音色で、この楽器の最大の特徴であり、最難関の技術的な壁でもあった。とはいえ、僕はそんな難しさなど想像もできず、ただその音が出るまで、ただ試しているだけだった。

その音の印象を言葉で伝えるのはとても難しい。
ネコが「ンニャ~ゴォ~ォ」と発情期の時に出す声の最初の「ンニ」の部分のような。
はたまた救急車の「プゥパァ~ポォ~、プゥパァ~ポォ~」の「ゥパ」の部分のような。
とにかく、言語化しづらい音で、それが不思議と「格好の良い音」に聴こえるのだった。

次の日も、また次の日も、僕はこの奇妙な音を出す事に時間を費やした。
ハーモニカの部分だけはメロディーを完全に覚えてしまったために、ラジカセを巻き戻し再生を繰り返す必要はなくなっていた。
当時はまだ名前すら知らない技法「ベンド」の再現に、僕はどんどん集中して行った。
あまりにもそれが実現しないため(長渕 剛のハーモニカは特注品のようなもので、ポワ~ン・スイッチみたいな物がついているのでは?)という妄想にすらかられる。

けれども、僕の妄想は打ち消される事になる。ごく稀に、自分でもほんの一瞬だけ「ポワ~ン」という音が出る時があったからだ。
それは数字の4と彫刻された穴を「吸う音」の時で、僕はそこだけがヨダレまみれになるほど、その音を出す事に熱中した。
「出た!出た!出たよ、今!!」
僕はひとり、部屋で絶叫する。やはりこのハーモニカでその音を出せるのだ。それは、僕が初めて、ハーモニカの音を出す事で喜びを味わった瞬間だった。

一旦冷静になってみる。今できたのはなぜか?自分は今何をどうしたのか?振り返る。
吸う穴の位置は間違いなかった。違うとすれば同じ動作の繰り返しで疲れ始めていたので、息が弱いか、逆にはぁはぁと息が荒いかだ。
慎重に4番目の穴を、慎重に強弱を変えて吸ってみる。音のイメージは完全にできているので、その部分だけを何度も繰り返す。

ほんの少し、近い感じがあった。それは息を強く吸った時だった。
音が大きくなると自然にそうなるのか。いや、そうではない。音量ではなく、出ている音色自体が違うのだ。

まるで大人が利き酒をする時のように目を閉じ、ハーモニカをくわえつつ、その音だけに集中すること数十分。僕は、ある違いにようやく気が付いた。
音が「キュィ~ン」と下がって行くように感じるのだ。その奇妙な音は、微妙に「音の高さが落ちていた」のだ。

そうは言っても、それを「理解するための言葉」をまだ知らなかった僕は、とにかく同じ事を繰り返し、次にその音が出る偶然を、ただ待つしかなかった。

つづく


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