101話 小さな翼①
休憩が一段落した頃、僕らはすでにステージへと集合していたのだけれど、ドリンクの注文に応じていたマスターのひと休みは、カウンター内でタバコを一服する間だけで終わってしまいそうだった。酷な事に、その間にも数人の参加者がマスターの元に集まって行き、カウンター越しに何か相談をしている姿が見えていた。
マスターはタバコを消すと、店内の電気を暗く戻し、一旦ジャガの方へ寄って耳打ちで指示を出し、ステージのドラムへと戻って来た。
軽くバスバスとやって音を確かめると、マイクの前に陣取るジャガに(いいよ)とうなずいて合図し、後半のスタートを告げる。
ジャガが、吹き出し笑いをこらえるように、また司会を始める。
「え~、それではですね、参加者の皆さまの総意という事で、後半は紅一点のシャンディさんをボーカルとしてフューチャーして、お届けしたいと思います」
このジャガの言葉が終わるのを待たず、客席からは歓声が上がり、シャンディさんは少しふざけた「どうもどうも」という芸人のようなコミカルな動作でステージへと戻って来た。
それが満場一致の意見なのかどうかは別として、流れとして自然なのは誰の目にも明らかだった。同時にこの店の一回目のセッションデーは大成功となったのを実感する。
マスターがもう1人のギタリスト参加者を選び、名前を発表した。つまりボーカルとギタリスト、あとはホストメンバーという編成だ。
すでに自分のワンマンライブのような状態となった彼女は、参加者全員を味方につけながら再びMCを始める。
「へェ~イ♪、じゃあ、歌わしてもらいま~す。今度はね、静か目のスローで行こうかな」
そう言うと、シャンディさんは一旦メンバーを自分の元へ集めさせ、曲の打ち合わせを始めた。ステージが狭かったのもあるけれど、僕は近づかなかった。ブルースである以上は、Keyだけを教えてもらえれば、ソロ楽器としては特に聞きたい事は無いからだ。
シャンディさんから曲名を告げられたホストメンバーはご満悦で「いいね~、定番はやりやすいしね」と言い、笑みを浮かべた。
離れて見ていた僕は(ギタリストが喜ぶとなると「エリック・クラプトン」の曲と言ったところだろうか。ひょっとしたら「ロバート・ジョンソン」の名曲なのかもしれないな。なんにしても、セッションをする上で心配はない「ブルースの定番曲」のようだな)と、まずは安堵した。
メンバーの合間から少し顔をのぞかせ、離れた僕の方を見たシャンディさんは、ちょっと微笑んで言った。
「じゃあ今度は、カントリーブルースみたいなアコースティックなハープ吹いて下さいよ。ねぇ?ブルースマン!!」
これは僕への具体的な指示である。「カントリーブルースみたいなハープ」というのは、一般的には、アンプでパワフルに歪ませた音ではなく、マイクからやや距離をとり、クリアな響きで演奏するという事だ。ハンドビブラートなどをいかすという手もある。 なんにしてもある程度手法が限られる演奏スタイルなので、対応し易い明確な指示だった。
僕は「いいですよ。Keyだけ教えて下さい」と軽く答えると、余っているマイクスタンドを立て、コーラスの参加者用にとってあったもう1本のマイクを、素早くセットする。
マイクのスイッチを入れ、指でトントンとやると、すでに調整は済んでいるようだったので、特にハーモニカの音鳴らしまではしなかった。
僕がスタンドマイクの準備をしている間も、シャンディさんの話は続いていた。
それは今から演奏する曲の話で、作曲者であるギタリストの話題だったのだけれど、
その話のシメは、意外にも僕のハーモニカへと移って行った。
「じゃあ、今日は、ブルースハープの達人がいるんで、思い切って、大好きな曲をお願いしてみちゃいます。まぁ誰でも知ってる曲ですけど。実はアタシもこの曲でハープに挑戦したんですけど、全然吹けませんでした。もう何がなんだかで。ははは」
彼女の異様な人気から、できる限り僕は無駄な注目をされたくはなかったのだけれど、こんな事を言われては優越感を味わわざるをえなかった。
そして僕は、別の意味でも密かにほくそ笑んでいた。さっきまでのステージで、彼女の実力や歴のようなものは垣間見る事ができた気がしていた。とはいえ、いかに優れたボーカルといえど、いきなり挑戦してもそんなにすぐには吹けないのがテンホールズハーモニカという楽器なのだ。簡単に見えてそれなりにいろいろあるのだから。
何にしても、僕は決められたKeyを選んで、ハーモニカを曲に合うように吹くだけの事だ。
シャンディさんは僕を見つめたまま、少し感慨深げに話す。
「一度でいいから、この曲をハープ入りで聞きたかったんですよ。だって原曲にハープが入ってないのが超不思議っていうくらいの、まさにハープ向きの曲って感じなんで。あっ、すみませんでした、KeyはEmですんで。マイナーの曲だと「マイナーハープ」とかで吹くんですかね?ははは」
ようやくKeyを伝えてくれて僕はほっとしながらも、少し笑いそうになった。いくらマイナーKeyでも、ブルースで「マイナーハープ」は使わないだろう。(そういえば、中学生の頃、間違えて買ったEmはまだどこかにあったかな)なんて、演奏前だというのに、僕はのんきに昔の失敗を思い出していた。
どんな曲かは知らないけれど、ここまで盛り上げられては、相当な演奏をして見せない訳には行かなくなったと、僕は鼻息を荒げる。
僕の頭の中では、今まさに始まろうかというイントロを前に、忙しく緊急会議が始まっていた。
(え~と、曲のKeyはEm、ということはブルースらしい吹き方で行くなら、AのKeyのテンホールズハーモニカで普通のセカンドポジションでブルージーに演るかな。でも、せっかくなら、大胆にサードポジション(マイナーの吹き方)に変えてDのKeyのハーモニカで、モロに悲しい感じで行くのもいいな。今日はまだ1回しかサードを観せてないし、場の空気を変えるのにもいいかもな。それにしてもわざわざマイナーを選ぶなんて、シャンディさんはどれだけブルースハープの僕を盛り立ててくれるのだろう。フフフ)
僕はハーモニカ上のマニアックな対策をあれこれと考えながら、ひとりでニヤけ続けていた。
シャンディさんはいよいよ曲に入る。
「じゃあ、行くね!!お願いしま~す!!ジミヘンで、『リトルウイング』」
当たり前のように始まるギターの完成されたイントロを聞きながら、僕は「じみへんって誰?」とそっとつぶやくのだった。
つづく
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