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47話 孤独な歩み

デザインの専門学校は2年目を迎え、僕は専門分野となるインダストリアルデザインを選ぶ事になる。そのコースを選択した生徒は、電化製品や自動車などのデザインを仕事にするべく、造形を中心に学ぶ事になるのだけれど、樹脂の成型や塗装などが多く、なおさら時間が掛かる課題ばかりとなり、学校への泊まり込みも日常的となって行った。

クラスメイトも一新し、僕の選んだインダストリアルデザイン科は職人肌で寡黙で真面目な人が多く、以前のような目立ちたがり屋タイプはかなり少なくなった。それでも、常に自分の作品に優劣がつけれられるため、独特の緊張感がある付き合いは変わりは無かった。
僕は相変わらず面倒な事にならないようにと単独行動を続けていたものの、意図せず目立ってしまう事が多く、やはり嫌われる事が多かった。

新しいテレビのデザインを考えるという課題があり、僕は「カニの形」のテレビのデザインで作品を制作する。それはカニの造形から着想してデザインに落とし込んだというものではなく、サンリオなんかが作りそうな、お子様が見てもカニとわかるくらいのいかにもなカニ形だった。
そもそもは「家の中にあるテレビを持ち歩こう」というのが僕のアイデアで、カバン形態からテレビへの変形が可能な構造がそのウリだった。テレビの時の状態が「カニが威嚇をしている時と似ていた事から、ストレートにそれを形にしたものだった。2つの爪の裏側がサイドスピーカーとなる感じだ。おかげで爪をたたんだカバン状態の時も意図せずカニの丸まったかわいらしさが出たという訳だった。
立体化するためにデザインを詰めて行く事で、最終的な製品らしい作品にはするつもりではいたけれど、話だけだともはやデザインでもなんでもなく、おもしろグッズのノリだった。

これも自分では真面目に取組んだ結果だったのだけれど、クラスメイト達から「ふざけている。デザインの勉強ではない」と先生に言いつけられ非難をされる事になった。
けれど僕はそのまま制作を進め「プレゼンも採点上重要だ」との先生の話から、課題発表時には全身赤づくめのジャージで、顔だけをはめ込む手作りのカニのお面をかぶり、両手に紙で作ったハサミをつけたコスプレでプレゼンテーションを行い、結果、参考作品として撮影されるほどの高評価を受ける。
もちろん、授業の講評会ではクラスメイト達からの非難が集中する。「カニだから単純に赤で塗ったのか」だの「リモコンのスイッチは、本物の貝殻を塗装しただけのごまかし」だのと、それこそ悪口のオンパレードだった。

かく言うクラスメイト達の作品はというと、今のテレビと「このフォルムが若干違う」とか「この色味が微妙に違う」という、説明がなければわからないようなストイックな工夫ばかりだった。そのおかげで、ようやく僕は(あ~、そういうのが、デザイン学校の勉強なのだな)と初めて理解する事ができたのだった。僕は漫画を描く発想で、デザインの課題を考え続けていたのだった。

この授業ではあまりに生徒達からの非難が多く、僕は半ばリンチを受けるのでは、というくらいに恐怖したのだけれど、驚いた事に、先生は全く違う視点で僕を評価してくれた。ほとんどの生徒が課題提出期限を守れず、色まで塗り完成させた生徒はわずか数人しかいなかったからだ。
プレゼンの方でも説明用ボードも用意できず、作品のコンセプトなどをしっかりと説明できなくても、その課題の提出期限の過酷さでは当たり前と開き直った生徒までいたほどだ。誰もがヘラヘラと笑いながら「ここを磨くのに全力をかけた」だの「この色選びを何度もやり直した」という、大人とは思えない言い訳を繰り返すだけだった。

先生は、そのような態度に「仕事なら、あなた達は今のでクビです。間に合わなかった人の話は聞きません。さぁ、帰って」と厳しく言い放った。代わりに僕には「作品が荒いが、意図は十分に伝わった。もっとデザインのこだわりを持ってくれれば教育者としては嬉しいけれど、スケジュールに間に合わせる、自分の狙いを聞かせる為に注目させるという点においては合格」と、ほとんど満点をくれた。

さらに「プレゼンの印象が良ければ、後は自分より腕の良いスタッフに発注をすればいい。それがプロの世界だ。広瀬は注文をする側を目指せば良い。他の生徒はその注文ももらえない。期限に間に合わないのだから」とつけ加えた。
ここまでの事を言われれば、クラス全員で僕一人を「無視しろ」と言っているようなものだった。針のむしろのような地獄の視線の数々が、息苦しいほどだった。

それからというもの、僕はますますクラスメイト達との折り合いが悪くなって行く。数人の生徒は「先生のいう事がもっともだ」と反省をし、僕の事を期限に間に合わせた上で、見る側を楽しませたと評価をしてくれたのだけれど、多くの生徒は折りに触れトゲのある態度をにじませて行った。けれども卒業まで1年もなく、学校を出れば仕事としてやって行く段階に入るので、さすがに僕も生徒同士の付き合いなど気にしていられなくなって来る。

その後も休み無く作品提出は続いて行った。同じように文具、家電などのデザインが出題され、僕は一度として提出期限に遅れた事は無かった。半分は期限を守る事に意地になっていたからかもしれない。
そして、僕の作品が参考作品として撮影され、先生達から良い評価を受ける度、自分が嫌われて行くのがわかった。

正直、とても寂しい日々だった。僕を嫌う側は常に人数が多く、仲も良く楽しげで、集まりなどのイベントも多かった。それを変える必要もないのだけれど、それでもただ寂しかった。
そんな寂しさの中でも、僕はライブに通い、課題制作の合間で手が空き次第、ハーモニカの練習だけは続けていた。相変わらず、誰に聴かせるあてもないのだけれど。
テンホールズハーモニカの哀愁のある音は、孤独な環境にはぴったりだった。けれど、人がいうほど、その音色が寂しさを慰めてくれる事は無かった。

僕は虚しさから、また誰かと演奏をしたいと強く思うようになって行った。
そしてある日僕は、少し前に気まずい仲間割れをして以来になっていた、高校の同級生のQ君に、自分から連絡をとってみるのだった。

つづく


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