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53話 セッション

どれくらい時間を潰したのか解らなかった。(W子は、もう帰ったろうか)と思いつつ眺める空が、ほんの少しだけ夕日に染まり始める頃、僕は割と近くで鳴っているらしいアコースティックギターの音に気がついた。
それはライブ会場ではなく、学校の入口の門からつながる階段のあたりで集まっていた数名の生徒達による、野外での演奏だった。特に聴かせる相手がいるという事でもなく、また練習をしているという感じでもなかった。ただなんとなくやっている、見るからにそんな感じだった。

僕がその集団に近づくと周りで見ていたひとりが僕に気がつく。それは僕がハーモニカを教えていた1年後輩の生徒だった。
その後輩はすぐにその演奏メンバー達に、僕のハーモニカの腕前を大げさに紹介すると、ここでブルースを演奏してみせてくれとせがんで来た。
演奏の中心らしき人から(へぇ~、今、楽器持ってるんですか?)といった顔をされたので、手に持っていた布バッグの中のハーモニカを見せた。その人は僕が持っていた大量のハーモニカの数に驚いた顔をしながら、演奏Keyだけを伝えて来た。そして当たり前のように「ジャッカ、ジャッカ」のブルースが始まった。

僕は何も考えずにハーモニカの音を重ねて行く。テンホールズのブルースならではのベンドを効かせた音色に、メンバー達はどよめきながら興奮し、明らかに演奏がライブ感を出して行く。
ものの数分で、気がつけば大勢の観客に囲まれていて、なかなかの盛況ぶりになっていた。学園祭の催しではないものの、お祭り日ではあるので、誰もが手に飲食を抱え集まって来て、そこの場所は小さなライブカフェの様な賑わいになった。

数曲の演奏が一段落すると、一休みとばかりに気だるそうなメンバー同士の会話が始まる。もうその頃には、打ちのめされていた僕もそれなりに気が晴れて来て、周りからのハーモニカへの良くある質問に快く答えていた。
その会話の中で初めて聞いた言葉があり、僕はその言葉の意味を質問してみる。すると、そこにいた全員が絶句した。どうやら、当たり前に知っていなければいけないレベルの言葉だったようだ。それはその後の自分の人生を大きく変えるほどの言葉だった。

「マジですか?先輩。それ、超おかしいですって。そんなに何でもブルースハープで吹けるのに、なんにも知らねぇって事ですよ」
僕はその反応に焦り、即座にごまかそうとする。
「いやぁ、僕が知らないっていう事もないんだけれど。ほら、あれだし。勘違いかもしれないしさ。一応、正しく聞いてみたいとかさ。そういう感じで、僕は聞いたんだよ」
僕の無知はバレバレで、聴いていた生徒達も含め、集団の大爆笑はいつまでも続いた。それほどに、僕がその言葉を知らないのがおかしかったようだ。

それは「セッション」という言葉だった。
出会ったばかりの人同士で、楽譜などもなく簡単な会話のやりとりだけで、いきなり即興で演奏を行う事を指す音楽用語だ。
もともとは、人が集まって話し合ったり授業をしたりする時間の区切りをさす一般的な言葉なのだけれど、まだこの頃、日本語でセッションと言えば、主に「音楽の即興演奏」という意味で使われていた。
主にブルースやジャズのバンドマンを中心とする音楽用語で、僕の使うテンホールズハーモニカは「ブルースハープ」とも呼ばれるだけに、流石に奏者としては知っているべき言葉だった。

その言葉と意味を知った僕は、あまりのタイミングの良さに驚いた。「セッション」、これさえあれば、もうバンドなんて必要ないと思えたのだ。ついさっき、W君と再びケンカ別れをした事や、前に25名を集め1曲をスタジオ録音した時も、結局は集団を作ったのが問題だったのだ。集団を作らなくてもハーモニカが吹ける。しかも聞けば「ブルースという音楽は、セッションに最も向いた音楽だ」と言うではないか。
僕にはまるで新大陸を発見したような衝撃だった。まさに人生のエポックメイキングとなった日だった。
そして悲しいかな、ここまでが、僕のこの学園祭のピークとなる。

後ろから、明らかにトゲのある声がする。
「おい、ブルースマン!!全く、いい気なもんだよな!!」
振り向くと大勢が機材の運び出しをしているところだった。ライブイベントに参加したバンドの代表者の義務で、機材の搬出は全員が参加するのが決まりだったのだ。
あれほど念を押されていたというのに、僕は自分がQ君と揉めてから会場を飛び出し、そのままフラフラとしていたので、ライブ会場の片付けの集合時間をすっかり忘れていたのだった。

そのままいくつかの罵声をあびせられた。その中には、かつての25人でのスタジオ企画でひやかしのヤジを吐いた元クラスメイトも混じっていた。あの時は僕だけが目立ち過ぎていたので仕方がないのだけれど、やはり、その人達は僕を心底嫌いだったようで、悪いのは僕でも、ニヤニヤとした表情とその物言いで、はっきりとそれを思い知らされたのだった。

僕は自分が義務を忘れていたという焦りだけではなく、以前のひやかしの状況を振り返り、再び身体が固まってしまっていた。
今さっきまでの一瞬の天国から、再び訪れたさらに深い地獄のような変化に、僕は息を飲み、どうする事もできず立ちすくんでいるしかなかった。

つづく


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