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30話 ピアノマン

高校3年の夏が過ぎ、最後の学園祭が迫る。進学を優先とする考え方から、参加を希望するバンドのオーディションは、かなり早い時期に体育館で行われる事になった。
僕の友人達もこれに参加し、ある者は受かり、またある者は落ちるといったそれなりのドラマが繰り広げられていたけれど、僕とQ君のバンドはかやの外だった。
結局メンバーは2人だけのままだったし、バンドと呼べる段階でもなかったからだ。

そんな僕らにも、意外なところから「演奏をする機会」が舞い込んで来る。
「ねぇ、演奏、できるかもしれないよ」ある日、Q君はうれしそうに僕に言う。
「え?いつさ?」「いつって、学園祭でだよ。当たり前じゃん」
そんな訳はなかった。僕らはオーディションにすら出ていないのだから。けれど、学園祭で演奏ができる場所は、何も体育館だけではなかったのだ。
僕とQ君との最初のライブ会場は、クラスの女子達が中心となって企画した、飲食の模擬店内のミニステージだった。

それはおしゃれな「ピラフ専門店」だった。なんでも電気釜に材料を入れ、ただ炊けばいいだけなので、意外と準備が楽なのだという。
ちょうどオールディーズが流行っていた頃で、ジェームス・ディーンを愛する女子達が店作りの音頭をとり、ダンボール製ながらもなかなか凝ったレトロな内装と、カウンターと向かい合うミニステージで「生演奏を披露する」という大人びたアイデアで、すでに学園祭前から話題となっていた。
出演は「さだまさし」を歌うP君と「佐野元春」を歌うQ君で決まり、僕は両方でハーモニカを吹く事になった。この頃には「北の国から」をはじめ、いくつかのテーマメロディーも吹けるようになっていて、僕のハーモニカはクラスではなかなかの評判だった。

そんな折り、クラスにはハーモニカの音色が好きという女子がいて、当日に「ぜひ演奏して欲しい曲がある」とのオーダーが入る。それは「ビリー・ジョエル」の曲だった。
僕はビリー・ジョエルの曲で、ハーモニカの音色という2つで、すぐにピンと来た。それは誰もが知っている名曲「ピアノマン」だ。
曲のイントロから各歌の合間にまで、全面的にテンホールズハーモニカが入るこの曲は、そのプロモーションビデオでビリー・ジョエル自身が首から「ハーモニカ・ホルダー」をつけピアノ・歌・ハーモニカの3つを披露する。
さらに嬉しいのは、原曲で使うCのKeyのハーモニカも、少し前に東京の楽器店で買ったばかりだったし、このハーモニカ部分は超カンタンなもので、実は僕は吹けるようになっていたのだ。「いいよ、僕吹けるから」と気楽に言いたいところだけれど、ここからが肝心だった。

「え~と、その、ビリー?何とかさん?まぁ、僕はよく知らないけどさ。曲をカセットテープで持って来てよ。別に急がないからさ。当日でもいいよ」
もちろんこれは僕の演出だった。すでに吹ける曲を、当日聴いただけでいきなり吹けるように見せたかったのだ。ちょっとばかり白々しかったけれど、それを周りで聴いていた女子達の反応もまずまずだった。

いよいよ学園祭が迫って来ると、毎日夜になるまで準備は続き、女子達は店内装飾、僕達は演奏の練習と、まさに青春まっさかりといった日々が過ぎて行く。もはや僕の漫画家を目指す夢は完全に消え果て、専門学校の受験へと頭を切り替えた後の心の隙間を、ハーモニカを中心とした学校生活が潤してくれる。

あと数日でいよいよ学園祭という頃、突然、僕だけに悲劇が起こる。
「昨日受け取っておいたよ、ビリー・ジョエルの曲。予習したけど結構大変っぽいね」
Q君がその曲を早く練習しておきたくて、オーダーをした女子から先にカセットテープを受け取り、ギターの伴奏面と英語の歌詞のチェックを済ませておいたようだ。
これだと僕の考えた当日の演出は前倒しになるけど、確かに弾き語りする方は何かと大変なはずだ。僕は女子の注目が集まっているのを確認しつつ、格好をつける準備をする。
「それにしても、ハーモニカにB♭なんていうKeyもあるんだね。曲もかなり難しいし。あれってほとんどジャズだよね。全然、ビリー・ジョエルっぽくないよ」
突然、Q君が変な事を言い出す。(ビー・フラット?ジャズ?ビリー・ジョエルっぽくない?)嫌な予感がして来る。

それはビリー・ジョエルの歌う「夜空のモーメント」という曲だった。ハーモニカは「トゥーツ・シールマンス」という世界的な「ジャズ・クロマティックハーモニカ奏者」の演奏だ。清らかで美しいハーモニカの音色が曲全体にちりばめられたこの名曲は、ビリー・ジョエルの中でも異色で、今で言うところの大御所同士の「コラボレーション作品」のようなものだ。

僕はB♭なんてKeyは持っていないし、だいたい「フラット」なんて言葉自体初めて聞いたほどだ。当然聴かせてもらった瞬間から手も足も出ない事が分かり、僕は悔し紛れに「この曲はさ、なんかさ、ハートに来ないよね」との捨てゼリフで乗り切るしかなかった。

曲をオーダーした女子は、僕が実力的に吹けないのを見透かしているようだった。
「ごめんねぇ~。なんかハーモニカだからぁ~、簡単にできるかと思ってぇ~」
先に散々格好つけたので、その分だけ恥ずかしさは倍増する。この日以来、僕は影でこの女子を「悪魔の申し子」と呼んでいた。
何はともあれ数日後、僕らの最初で最後の高校生ライブが、幕を開けるのだ。

つづく


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