59話 めまぐるしい日々②
デザイン系の専門学校を卒業した事で、僕は運良く商品開発の仕事に就く事ができた。
商品開発というのは、簡単に言えば「これからはこんな物が売れるんじゃないでしょうか?」とアイデアを出し、その企画が通ればそれを商品にまでまとめ上げ、パッケージや取扱説明書のデザイン監修なども含め、量産する前段階までの全ての管理を担当する仕事だ。実際の量産や、販売からは別の部署の担当となる。
当然、経験も知識も無しにただアイデアを出せる訳ではなく、上司の指示を受け、マーケティング担当者の売れ筋商品の分析や方針に従い、その範囲の中で地道に企画を立案して行く事になる。
時に「発明に近いような斬新なアイデア」が出た場合は、実用新案のボーナスとして、ちょっと給料にオマケが付いたりもする特殊な立場でもあった。自分で言うのもなんだけれど、人もうらやむ仕事だったと思う。
デザイン学校出身者としては本職とはかけ離れてはいるものの、同期達にはうらやまれる職種で、自分以外は全員大卒であったのを考えても、かなり恵まれた社会人スタートといえるだろう。
もちろんそんな職種で実際の最前線の仕事にありつけるようになるまでは、上司や先輩について学び、その仕事を見てひとつひとつ覚えながら、後はひたすら雑用をこなすだけの日々が続く。
頭ごなしに怒られるうちに、徐々に研修でのエリートの仲間入りをしたのだという間違った洗脳が自然に解けて行き、僕は激しく転がり落ちて行く気がしていた。
そのような大変化がたかだか数ヶ月の間に起こるのだから、もはや自分の立ち位置がわからなくなり、大手の社員でもポンコツ、みなが憧れる職種でも雑用という、とんでもないピラミッドの中で、混乱する毎日を送るしかなかった。
玩具メーカーという業界の性質上、休日の売り場応援は必須だった。入社した時から、玩具の商戦期であるゴールデンウィークやクリスマスはもとより、お正月、バレンタイン、ひな祭り、それ以外の各種連休も完全につぶされ、そのせいで別れる事になるカップルも多いのだとか。
僕はこれといった趣味もないので、忙しくても代休があるのならばと、祝日がつぶれるのは全く気にもしなかったのだけれど、土日が無くなるのだけは困りものだった。出来る限り、セッション演奏に飛び入りをしたかったからだ。
土日の売り場応援の話をされるたび、僕はなんとなく自分の財布の中に入れておいた小さなメモ紙を眺めていた。それは飛び入りセッションをさせてもらっていた凄腕ギタリストのバンドのドラマーがくれた電話番号が書かれたメモ紙だった。
「明日行きます!よろしく」などと電話をするのはバンドマン達からすればカッコの悪い事だ。だいたい向こうは「セッションで遊ぼう」というくらいのものなのだから「来たければ勝手に来れば」といったところだろう。もらった翌日につながるかどうかを掛けてみて、挨拶くらいはしたけれど、それ以降は1度も電話を掛けた事は無かった。週末にその路上に行けば当たり前に会えるのだから、必要ないといえば必要のないものでもあった。だからその小さなメモ紙は、僕の唯一の土日の予定を象徴するような存在だった。
忙しさで、ハーモニカを手に取る時間さえ無くなって行っても、常に頭の中ではブルースのセッション演奏をしている自分の映像があった。そんな時につい財布を確認し、ちらりと見えるそのメモ紙は、掛ける必要のない電話番号ではあったけれど、心のどこかでは「自分は特別な存在なんだ」と思える数少ない根拠のようなものでもあった。
しばらくの間、新入社員の僕の休日出勤の日々はいやおう無しに続いた。
ある週末の休日出勤、僕の受け持ちは、たまたま渋谷の玩具店の売り場応援となった。僕はこの立地を聞くやいなや、それこそ飛び上がって喜んだ。売り場から10分ほどの場所に、みんなが路上演奏をしていたホコ天があったからだ。
聞けば常駐している売り場のアルバイトスタッフと2人チームで担当し、きちんと1時間は昼休み休憩が確保されているらしい。となれば、この時間を利用して、久しぶりのセッション演奏に参加出来るではないか。
もちろんこんな事は誰にも言える訳はない。研修で嫌というほど言われていた「大手の社員らしさ」において大問題だ。ましてや休日とはいえ、勤務中なのだから。
僕はほんの数秒ほど悩み、あっさりと「バレないように気を付ける事」を決めるのだった。
つづく
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