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63話 投げ銭から始まる

改札を抜けたところで、「おつかれーっ!!」という、同期の酔いに任せた大きな声とともに僕らはお互いの別のホームへと向かう。
けれども、僕は同期が見えなくなったあたりでしばらく立ち止まり時間をつぶし、同期の乗る電車が発車したのを確認すると、わざわざ切符を払い戻して、再び改札を出た。さっきの弾き語りの人が気になって、もう一度あの場所まで戻ってみる事にしたのだ。

同期を巻いたようで少々の後ろめたさはあったものの、弾き語りの路上演奏を「みっともない」とまで言われては、さすがにそれを観に戻る自分を隠したくはあった。その部分だけで言えば、自分も「みっともない」側の人間なのだから。
その日は特に急いで帰る必要もなかったし、頭の中だけではあるものの、久しぶりにセッション演奏をしているような新鮮な気分が、自然と足を運ばせたのだろう。僕は小走りで、もと来た道を戻って行った。

すると、そこにはさっきまではいなかった数人の観客が集まっていた。ちょうど観客の1人が、弾き語りをしている人の足元に置かれたギターケースに近づき、何かを投げているのが見えた。
それはお金だった。「投げ銭」と呼ばれる行為で、いわゆる演奏へのチップだ。外でパフォーマンスをしている人に対して好意で支払うもので、僕が渋谷駅のハチ公前でブルースをセッションをしていた時も、バンドに張り付いていた数人の女の子達が帽子を回してそれを募っているのを何度も見た事があった。それを後でバンド側に手渡していたのだろう。

次の曲の合間になると今度は眺めていたカップルが並んで近づいて行き、同じようにギターケースに投げ銭をする。すると弾き語りの人が笑顔で言葉を返した。
「あっ、ありがとうございます」
その物腰の柔らかさに、安心をしたカップルの男性の方が話し掛ける。
「いいっスね、何ていう曲ですか?」
軽い会話がしばらく続き「頑張って下さい」そう言って、その後は演奏を聴く訳ではなく、カップルはあっさりとその場を離れて行った。

僕はそんな様子をしばらく離れた位置から眺め、みんなが投げているのが100円くらいの額だと解ると、次に曲が終わるのを待って、自分も財布を出しマネてみる事にした。話し掛ける自然なきっかけが欲しかったのだ。
投げ銭とはいえ、失礼が無いように音を立てない程度にそっと投げてみた。
すると僕にはペコリとやるだけで、弾き語りの彼からは「ありがとう」という言葉はなかった。
特に怒っているという様子でもなかったものの、僕は(ひょっとするとさっきの同期とのやりとりが聞こえていたのかもしれない)と不安になって来る。
次の演奏が始まる前に他の客は離れてしまい、聴いているのは僕だけになってしまったものの、ひとりでそのまま聴き続け、曲が終わるのを待って、同じように100円の投げ銭を繰り返す。やっぱり「ありがとう」はなかった。そうなると(やはり腹を立てたのだろう)と勘ぐり始め、曲の方が頭に入らなくなって来てしまう。
次の曲の終わりにも、もう100円の投げ銭をした僕に、相手はようやく声を掛けて来た。
「ありがとうございます。でも、もういいですって。十分ですから」
ありがた迷惑、そんな感じだった。ひょっとして僕がお金を入れるごとに歌を歌わされるように感じたのだろうか。こちらは酔った会社員なのだから、絡まれたようにも感じたのかもしれない。何にしても、これで話すキッカケは出来たようだった。

僕はとりあえず、自分の態度を詫び、初めてやってみた今の「投げ銭」に対して、いくつかの質問をしてみる事にした。いつもなら知らない人に質問なんてできないけれど、その日は酔った勢いが手伝ってくれたのかもしれない。
曲の話などではなく、いきなり来た「投げ銭への質問」に、その人は笑いながらも「決まりは無い事」や「1曲いくら、ではない事」そして「100円というよりジュース1本分くらいが、お疲れ様っぽくてちょうどいい」と、自分の考えを話してくれた。
何も知らない僕に相手は笑い出し、この間の抜けた質問にすっかり警戒感を解いてくれたようだった。

僕は気になっていたブルースっぽい曲について質問してみたくて、自己紹介をした。
「実は僕、ブルースハープをやっているんです」と。
別にその事を自慢しようと思った訳でもなく、「同じ趣味を持っているよ」というくらいの、何気ない会話のきっかけのつもりで口から出たものだった。そのままブルースつながりで、彼が歌っていた曲の話を具体的に教えてもらうのが、自然な会話だろうと思えたのだ。

ところが、途端に相手の顔はこわばり、口ごもってしまう。そしてしばらくの沈黙の後、彼は気まずそうに僕に返して来た。
「え~と、困ったな。オレ、ひとりでやって行きたいんですよね~」と。

僕は最初、何を言われたのかがまるで解らなかった。
しばらく考え、彼の気まずそうな表情から、僕はその言葉の意味をようやく理解した。どうやら彼は、僕が「一緒に演奏をさせて欲しい」と申し込んで来たと受け取ったようなのだ。
これにはさすがにパニくった。勘違いにも程があるではないか。
(え~、なんでそうなるんだよ!?僕、そんな事、一言も言って無いじゃんかさ!!)
僕は焦り、しどろもどろになった。
もちろんそんなつもりなどみじんも無かった僕は、相手の気まずそうな表情を前に、一体どうしていいものかと困り果て、終いには軽く会釈だけをし、駅に向かって逃げるように駆け出してしまったのだった。その様子こそ、まさに本当に申し込みをし、断られ、走り去ったようなものだったろう。

その後、寮に付くまでの電車に揺られながら、あらぬ誤解をされた事に対して、僕の中で徐々に腹立ちが大きくなって行った。そこに一時はさめていたはずの酔いが再び戻って来て、次第に怒りで鼻息を荒げるまでになって行く。
(なんだよ、あいつさ。僕がいつ、一緒に演奏したいって言ったよ!!だいたいお前なんか、全然、大した事ないじゃないか!!お金返せよ!!僕の300円、返せよ!!)

その夜は自分の部屋に着いてからも、それこそ同期が今さっき言っていた言葉より、さらに嫌な言葉を探しては、それをあの場でどんな言い方で返せば、相手を最も深く傷つける事ができたのかなどと陰湿に考え続けていた。
内側から溢れ出して来る怒りにふるふると震える僕は、まるでデビルマンの宿敵「デーモン族」に身体を乗っ取られたようにどんどん攻撃的になって行き、憎しみにいつまでものたうち回り、眠れぬ夜を過ごすのだった。

つづく


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