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105話 僕のクロスロード①

初めてホストバンドでの演奏というものを体験してから、僕は「ハーモニカ」についてだけではなく、ようやく「音楽を演奏する」という事について、少しばかり真剣に考えるようになっていた。
それはジミヘンの「リトル・ウイング」が吹けなかった悔しさから、久しぶりに勉強めいた事をする必要性を痛感したからかもしれない。自分が吹けない曲について、ようやく「その理由」を考え始めたのだ。
参考になる教則本を買ったり、自分なりに「コード進行」なるものを勉強してみたりした。今まで抜け落ちていたのは「楽典的な部分」だったのだ。
けれど僕の音楽の勉強はまるで効率的ではなかった。どこが解らないのかが、解らないからだ。もっと言えば、自分が今まで「なぜアドリブが吹けていたのか」すら、よく解らないのだ。
ただなんとなくハーモニカを吹けるようになった僕の前に立ちはだかる、初めての大きな壁だった。

それからの僕は、完全に「吹けない曲」にばかり夢中になり始める。
ポップス、ロックにカントリーと様々なジャンルで、自分が自然に耳にした曲の中で「吹けそうもない曲」だけを、片っ端から自分なりに研究して行った。
それと同時に、あれほど夢中になっていたブルースセッション通いに、前ほどの熱が入らなくなって行った。それは自分でも不思議なほどの変化で、まるで「ブルースに興味がなくなってしまった」かのようだった。
ただ僕は元々が「ブルースマン」や「プロのミュージシャン」を目指していた訳でも無かったので、その変化自体には何の問題もなかった。セッションデーに足繁く通わなくなったとはいえ、トップハーピスト八木のぶおさんのライブはただ観たくて通っていたし、来日した海外のミュージシャンの大型ライブのチケットなども、初めて取って行ってみたりもした。加えてジャンルを問わず、ハーモニカ奏者のCDアルバムを積極的に買い漁るという事も続けてはいた。時間にもお金にも余裕があったからだ。

そんな日々も、ある事を機に、全て頓挫せざるをえなくなってしまう。
突然、勤めていたおもちゃ会社を辞める事になってしまったからだ。当然収入がなくなる訳だけれど、僕の場合はそれだけではない。社員寮も出なければならず、文字通りの住所不定無職になってしまうのだ。

その頃、バブル崩壊から依然として続く不景気はどん底にまで向かう段階だった。失業者の情報は溢れかえり、自殺者が後を立たないほどの時期だった。
会社はどんどんリストラの対象を広げ、全ての業務をパソコンで行うようシフトしたのを機に、新しいシステムについていけない古いタイプの管理職を、のちに命名される「テクノロジー・ハラスメント」で、目の敵のように追い詰めて行った。
僕の、絵を描いたり試作をしたりという仕事は、ありがたい事にまだ少なからず残ってはいたのだけれど、それも外注さんより社員にやらせた方が安上がりというだけで、自分が優れているからという訳では無かった。社内下請けのような立場になり、その作業ペースも、どんどんきつくなって行った。

数年勤めてみると、それなりに自分がこれからもついて行きたくなるような親分的な上司もできて、部署間のいざこざや、役員同士の不仲の延長線上に起きる問題も、まるで子分一同のように連帯で体験するようになって来る。特に会社が危ないのだから、その後を見越した上司間の覇権争いは、なかなかの激しさだった。
平社員の身では、自分の出世が関係するという感じでもないのだけれど、会社が危ない状況での役員同士の派閥争いは、部下達を沸き立たせる独特の魅力を持っていた。僕も他の同期達と同様に、「ずっとついていきますよ!」と、自分の上司の下で熱くなれたものだ。
その頃は会社の同僚や先輩と飲むのも、密かに心が踊るものがあった。派閥争いの状況や隣の部署の上役の悪口が、自分達の将来にもリアルに関係して来るように感じ、ドラマティックな気分にひたれたからだ。僕は週に何度も、同じような話で熱くなる事ができた。
そんなテンションが、のちに裏目に出てしまう。
ある日、目の前まで迫ったリストラが、いよいよお世話になっていた直属の上司達の身に振り掛かって来たからだ。

上司達は口々に今後を不安をつぶやき合い、気の毒で、とてもじゃないけれど聞いてはいられないほどだった。上司達の多くは家族単位で社宅に住んでいて、僕以上に会社と一体になっていた。そして「いいな~、広瀬は、まだ若いから」という言葉が、呪いのように続いて行く。
僕はそんな状況に数日と耐えきれず、まるで自分が会社と交渉をできるほどの立場であるかのような無敵感をみなぎらせ、「自分の退職」でその状況が少しでも変えらないのかと、無謀にも役員クラスの上役に詰め寄ったのだ。
もちろん、その場の勢いに任せただけのもので、妙な正義感に酔いしれ、深い考えなど何も無く、正直本当に退職する気など全く無かった。
何回かの激しいやりとりを繰り返し、結果、あっさりと「そうか、広瀬も辞めるか。そうだな、まだ若いものな。どこでもやって行けるんだろうな」と、リストラの対象ではなかった僕の退職の方だけが、その場で決まってしまったのだ。

その日一日は「本当に社員をなんとも思っていない酷い会社だ!辞めて正解だ!」くらいに鼻息も荒く、興奮が自分の全身を包んでいた。
けれど、辞めるとなると翌日から、そのカウントダウンは確実に始まる。辞める日から逆算した「有給休暇」の消化義務が総務部から言い渡され、仕事の引き継ぎに追われ始めるのだ。
明らかに多くの同僚社員が僕を避けるよう遠巻きになり、数人の同期がお別れ会などの相談にやって来る。逆に急に親しげにして来るのが、元々自分の意思で退職する事を決めた面々で、「お互い新天地で頑張って、こんな会社見返してやりましょうね!」なんて意気込んで来る。
そのような日々の中で、僕は少しずつ興奮から冷めて行き、ようやく実感し始めるのだった。本当に、取り返しの付かない事になってしまったのだと。

半月近くあった有給期間に入った初日、僕は当たり前のように会社のカバンを抱えたまま、いつもの駅のホームに並び、もはや乗る必要がなくなってしまった電車を待っていた。状況の変化に頭がついていけず、身体だけが会社に向かうというルーティンを、自然に続けてしまったのだ。

僕は自分のメンタルの異常さに初めて気付き、顔をはたいて気合を入れ直し、前向きに次の職探しを始める事にした。会社を辞めてしまってからではダメだ。例え半月でも、大手の会社に在籍している内に、無事転職を済ませなければならない。
当時は新規採用をされなかった新卒者を「就職氷河期」の「就職浪人」などと称し、さげすんでいた時代だった。僕は自分がすでにそちら側にまわっている事を、今更ながらに実感した。

それからの日々はあまりにもパニクり過ぎていて、記憶から抜け落ちてしまったかのように、まるで思い出す事ができない。
携帯電話もメールもない時代。ただ、片っ端から、公衆電話に飛び込んでは、かつてのお得意先へ連絡をしまくり、面接をお願いし続けるしかなかった。
ほどなくして、運良くその内のひとつの会社に拾ってもらう事になり、退職前に無事面接も済ませ、その場で採用を決めてもらえ、そこでようやく一息つく事ができた。
長い時間、水中に潜り続けていて、我慢の限界ギリギリで水面へとたどり着き、プハッっと大きく呼吸ができたような、そんな息苦しい日々だった。

まずは行く場所が決まったという事で、少しずつまた僕の日常は始まって行った。
とはいえその転職先だって、正直言えばとりあえずで雇ってくれたくらいのもので、一時的な仮採用のような印象ではあった。けれど大卒では無い僕の当時の状況では、せめて「失業期間がない人」というだけが、自分の中での最重要事項だった。
そして仕事が決まれば、今度は住むところだ。退職は同時に退寮でもあるのだから。
僕は何のこだわりも無く、新しい転職先のアクセスの都合と家賃の条件だけで、すぐに安いアパートを決め、ものの半日で社員寮の荷造りも済ませた。
とにかく、後は有給休暇を消化し、いくつか続く自分のお別れ会を自ら盛り上げ、できる限り「先を考えた上で、会社を去る事を決めた」ように、同僚達の前で振る舞って見せるのだった。

数日後、すでに荷物も無く清掃も済ませ、後は出るだけとなった会社の寮の部屋に座りながら、しばらくぼんやりとしていた。
目の前には使い慣れた、布のハーモニカケースがあった。ゴツゴツと突起を帯びていて、ところどころ擦り切れ始め、ハーモニカが今にも外側に飛び出しそうになっていた。
いつからそんなボロになっていたのかは分からないけれど、直すどころかそれに気付きもしなかった。それこそ、退職が決まってからは、一度もハーモニカをくわえてすらいなかったのだ。ハーモニカからすれば「おい、たまには吹けよな!」と言いたいところだろう。

ケースを自分に引き寄せると、ジャラつきながらズシリと重い感覚があった。
(あれ?こんなに重かったっけかな?まぁ、随分、買い足したんだな~。お金、割りと使ったもんなぁ~)
それは実に久しぶりの、懐かしい感覚だった。けれど、自分の相棒くらいの存在だったはずのハーモニカが、その時は不思議と、何かの工具のように素っ気ない物に感じてしまっていた。
僕は一旦は布ケースのチャックを開けたが、中にあるたくさんのハーモニカの本数を数えるくらいで、そのまま吹かず、チャックを閉めてしまった。吹く気力が全く湧いて来なかったからだ。

僕はやはりブルースマンではないのだろう。今こそ、さぞブルージーな音色が出るはずなのに、それをしようともしないのだから。
いや、それこそもっと前の、仕事が無くなり、寮すら追い出されるほどの不安と絶望の中でこそ、吹くべきものだったはずなのに。そうしなかったのは、何よりも優先すべきなのは、自分には「音楽」ではないのだと、実感しているからなのだろう。どこまで夢中になっていても、所詮、趣味は趣味なのだ。

そんな事を考えながら、僕はぼんやりと、喧嘩別れのようになってしまったかつての弾き語りの相棒の1人を思い出していた。
(そういや、ストリートでプロを目指していたアイツなら、こんな時、すぐに曲を作ったり、その想いを素直にストリートで歌っていたんだろうな。不安や絶望なんて、本気で音楽をやっている奴にはかえって曲のヒントのようなものなんだろうし。やっぱり、いつも安全なところで気楽にハーモニカを吹いていた僕を、音楽をなめてるって、見透かしていたんだろうな。現に、生活が行き詰まれば、こんなにもあっさりと、ハーモニカを触ろうともしないんだもの。そういや、ブルースセッションにも、しばらく行って無いよな。ジャガは、僕を待っていたりするのかな。今までは考えた事なかったけれど、ジャガって仕事とかお金とかは、どうしてるのだろうか?)

去り際は、本当に部屋が広く感じるものだ。
僕にとっては初めての就職だったし、入寮が初めての自活経験でもあった。
これからの変化が、自分の人生の中で、間違いなく大きな分岐点になるのだろうと思えた。

昔、映画「クロスロード」を観て、悪魔との取引きをするような劇的な分岐点を夢見た頃があったけれど、現実の分岐点はえらく地味で、なんのドラマ性も無いものだった。
最後に見慣れた天井を見回し、僕は引っ越すギリギリまで、急に吹きたくなった時のためにと、手元に置いておいたハーモニカの布バックを手持ちのダンボールへとしまい込み、会社の寮を後にした。

つづく

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