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10話 ブルースハープ仲間

数ヶ月ほど経つ頃になると、ある程度はテンホールズハーモニカを吹くのにも慣れて来ていた。
完璧ではないまでも、簡単な曲を思い浮かべては自分なりにぼんやりとメロディー風な感じに音を出してみて、手をパタパタとやり、それが少しばかり自分を格好良く見せてくれているような気がしていた。

自分がテンホールズハーモニカを持っていて、密かに吹いているというのを、不思議と漫画仲間には隠していたのだけれど、一度だけこっそり学校に持って行き、数人のクラスメイトには見せた事があった。

その反応はとても好意的なものだった。
「広瀬、それブルースハープじゃん。すげぇ、渋いな、お前」そう言ってほめられてしまったのだ。
自分自身でもテンホールズハーモニカは大人っぽいと感じていたけれど、それを持っている事で褒められるとは思いもよらなかった。
それ以来、僕は密かにGのハーモニカだけはカバンに入れ続けていた。誰かに見せるとか、吹いてみるという訳でもなく、また何かの時にでも(自慢できそうな時があるかも)くらいに考え、カバンの内ポケットにコロコロと転がっているだけだったけれど。

それからしばらく経った頃。
「広瀬って、どいつだ?」
2つ隣のクラスのX君が、僕を訪ねて来た。彼は、僕らの学年では有名な不良で「前の学校で暴力沙汰を起こし、転校して来た」という噂だった。
彼の武勇伝はいくつも聞いた事があり、その中には怪談話に近いほど怖い逸話もあった。

静まり返るクラスメイト達の沈黙に押されるようにして、僕は噂の彼の元に近づいて行く。
初めて正面から見るX君は、明らかにケンカに強そうな顔立ちで、髪はスポーツマンとは似て非なる武闘派の刈り上げだった。ダボダボなズボンに履き潰した靴。エナメルのベルトにはチェーンのような飾りがついていた。

僕のクラスにも不良っぽいのが数人はいたけれど、X君よりは格下だった。その場にいる全員が見守る中、彼は僕をひとにらみしてから、ちょっとだけ小さな声で僕に言った。
「広瀬ってお前?だよな?」
僕はうなずくしかなかった。彼は僕に言う。
「お前さ、ブルースハープ やってんだって?」
僕は驚いた。まさかの、ハーモニカの事だったのだ。

彼は軽く目を細めながら続ける。「今、持ってんの?ブルースハープ」
僕は即答する。「持ってないよ。家だよ」
もちろん嘘だった。カツアゲされると思ったのだ。
「ふーん、そうか。メジャーボーイ?Keyは何?」
知っている言葉が出て来ると不思議と警戒感が薄れて来る。僕は彼に「G」と答えた。
「なんだよ、低いの使ってんな。なら吹きづらいだろ?」
少し茶化すように言う彼に、勇気を持って聞き返してみる。
「そっちは、Key、何なの?」敬語を使うべきが迷ったけれど、クラスメイトの手前、なんとか踏ん張ってみる。

「まぁ、Eだな。普通はEじゃん。長渕とかもだいたいEだろ?」
それは、ハッとさせられる、驚きの情報だった。
「えっそうなの?知らなかった」
驚く僕に、彼は笑いながらサッと上を向き、ツンツンに尖らせた前髪を軽く直しながら言う。
「なんだよ、常識だぜ。まぁ普通は知らねぇかな。俺、バンドでボーカルもやるから、ある程度解るんだけどさ」
X君は中学生で、すでに他校の生徒とバンドを結成し、ボーカルを担当していた。それは僕からすればもう違う次元の生き物との接触だった。僕は彼が凶悪な不良だという事は忘れ「長く吹くと唇が痛くなる」とか「楽器にカスみたいなのが溜まってカッターで削った」とか、知っている限りの情報を夢中で交換し合った。
やがて始業のチャイムが鳴り響く。

「じゃあな、広瀬。また話そうぜ。今度さ、Gを学校に持って来いよ」
そう言うと、彼はさっそうと自分のクラスの方に戻って行った。気が付けば、クラスの不良っぽい男子からは、遠巻きに複雑な眼差しが向けられている。

その日、僕は不良っぽいクラスメイト達から「さっきのは何の話だったのか」と何度も聞かれたけれど、なんとなくはぐらかし続けた。これはメジャーボーイを持つもの同士の、シブい男の「ブルースハープ話」だからだ。

そして僕は、小声で呟き続けていた。
「長渕はE、長渕はE」と。

つづく


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