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32話 岐路は十字路

時は過ぎ、学園祭のライブの高揚感も遠い記憶となり、高校卒業後の進路はすでに決まっていた僕は、何となく、ただ時間を潰しているような怠惰な毎日を送っていた。

そんなある日。「凄いもの見つけたから、一緒に観ようぜ」と、Q君が興奮しながら僕に観せてくれたのは「クロスロード」という映画のビデオだった。
ブルースの名曲からその名をとったものだったけれど、音楽映画というよりは娯楽作品に近いものだった。
若いギタリストと年老いたハーモニカ吹きとの「幻のブルース曲を探す旅」を描いたこの作品は、ギターのQ君とハーモニカの僕という組み合わせに、ピッタリの映画だった。

映画内での演奏の音を、役者とは別の人が担当していると知らない僕は、主演のラルフ・マッチォは「カラテキッド」では戦っていたのに、よく同じ手であんなに素早くギターを弾くよな」と感心しきりだった。それほどの単純さだから、ハーモニカ吹きのおじいさんウィリー・ブラウン役の俳優が「本当に見事なハーモニカを吹いている」と、しばらくは本気で信じていたほどだ。

物語の中盤、荒っぽい連中の気を引くために、ウィリー・ブラウンがテンホールズハーモニカを吹き始め、そのまま演奏に突入し、見事全員を踊らせてしまうシーンは最高だった。
僕は音楽に興味を持って楽器を始めた訳ではなく、ただハーモニカの響きに惹かれ、その過程で音楽を聴くようになって行くので、この映画に出て来るような「人を引きつける役」としてのハーモニカの登場は、普通の演奏よりも強く胸を打つものがあった。
ライブなどの予定も特にない僕は、ハーモニカの腕を磨く上での新たなる目標として、このシーンに漠然とした憧れを持つのだった。

映画のビデオをダビングしてもらい、擦りきれるほど何度も観て、僕はそこで流れるハーモニカのメロディーの全てをコピーする。オープニングのハーモニカ、病院の部屋から流れるハーモニカ、逃げる時のハーモニカ、町を追い出された時のハーモニカ。ウィリーの旅と、彼の歩きながらのハーモニカプレイは、とてもマッチしていた。

この映画を紹介してくれたギターのQ君も同じで、2人でお互いにこの映画の曲をコピーして、少しずつ一緒に音を合わせてみたりもした。
今までもEのKeyで「ジャッカ、ジャッカ」とブルースのマネごとをやっていたのが、この映画「クロスロード」によって、多くの実在するブルースプレイヤーの名前を知り、本格的にブルースの曲を聴くようになって行った。

ロバート・ジョンソン、マディー・ウォーターズ、サニー・テリー、全てが新鮮だった。僕が純粋に音楽自体を楽しむようになったのは、これが初めての事だった。
お金も無いので、学校でブルースの曲を持っている人を探したり、テープに録ってもらったりした。今みたいにYouTubeもないし、CDがまだ出始めたくらいの時期なので、ブルースはレコード盤のみ。当然買う事もできず、情報だけを集め「どんな人なのか」「どんな音なのか」を想像しながら映画「クロスロード」や「教則テープ」をくり返し聴き続けた。


そして僕とQ君は約束をする。
「卒業してもバンドをやろうぜ。ギター、もっと上手くなるよ」
「うん、僕もハーモニカの腕を上げるよ。もっと本格的にやろう」
2人で未来に胸を膨らませた。

けれども、Q君はこの時期ぐらいからR&Bやジャズといった別の音楽にも興味を持ち「ルーツ・ミュージック」のひとつとして、ブルースを聴いていた。そのため「ブルースは飽きたよ」とか「みんな同じでつまらない」なんて言う時が増えて行く。

一方の僕はというと「ハーモニカ音楽」としてブルースを聴いていたので、彼とはのめり込み方がかなり違っていた。ハーモニカにとっては、ブルースが最高の音楽だったからだ。
とはいうものの、いつになっても僕には音楽的な事は良くわからず、ただ「どれもかっこいい」と夢中になるだけだった。

何にしてもこの映画「クロスロード」との出会いが、その名の通り、僕の人生のはっきりとした分岐点になった。

ブルースを上手く吹けるようになるためだけに、暇さえあればハーモニカの練習をする。
そしていつの頃からか僕は、ひそかに、よくわからないものに憧れ始めていた。

それは「定義の定まっていない」もの。
雰囲気は何となくわかるものの、上手くは人に説明できないものだった。

僕が憧れたのは「ブルースマン」だった。

つづく

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