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72話 謎の男性

大音量のバンドゾーンが一段落し、後ろにかすかに聴こえるくらいの距離まで離れる頃、自動販売機があったので、僕は気分直しに飲み物を買おうと寄ってみた。
ぼんやりと飲み物を選んでいる時、誰かが後ろから僕に声を掛けて来た。
「君さ、さっきは大変だったよね」
振り返ると中年の男性がいた。どうやらさっきのバンドの演奏を聴いていた観客のひとりのようで、何か話をしたいのか、場所を離れる僕の後をわざわざついて来たようだった。
その男性は眉間にシワを寄せながら、僕に同情をするかのように話し始める。
「あの子はね、ちょっとああいうところがあってね。まぁ、ここでは問題児なんだけれどもね。でも、いろんな人がいるというのが、こういう場所の良いところでもあるのでね」

のんびりとした話し方だった。その男性は年の頃50歳くらいで、どことなく品があり、どうやら弾き語りの人達が集まっているこの場所に、かなり詳しいようだった。
(今日は、本当に知らない人に話し掛けられる日だな)なんて少しうんざりしながら、僕はあからさまな無視とは感じさせない程度の気遣いだけはしつつ、その男性の話に「はぁ、まぁ、そうですね」とそっけなく答えた。
恥をかいた側の僕はできれば早くその場を離れたかったので、そのまま駅の方を目指して歩き始めたのだけれど、その男性は僕に近寄り、並んで歩きながら話を続けて来た。

「今、ちょっと見てたんだけれどさ、ほれ、君はあれだろ、その小さなハーモニカをやってるんだよね?その、ブルースとかに関係のあるようなさ、そうだよね?」
やはりさっきのバンドとの流れを観ていたようだ。運の悪い日なので、これ以上あまり知らない人には関わりたくは無かったものの、自分の楽器への質問だったので、僕はついとっさに答えてしまった。
「ええ、ブルースハープです。そういう名前の楽器なんです」
まだポケットに入れたままだったさっきのハーモニカを出し、チラリとだけ見せ、もう一度彼女のツバを拭くようにズボンでゴシゴシとやり、そのまま布バッグの方へとしまい込む。
男性はその様子を眺め、うんうんうなずきながら、さらに僕に寄り添うように同じ方向に歩き続ける。
どうやらこのままついて来るようだ。そうなると、今度はこの人の相手をしなければならない訳か。話を続けたあげく、宗教の勧誘や物売りだったらどうしようかと、僕はさらに気が滅入って来る。

僕の様子などお構い無しに、その男性の話は一方的に続いた。
「君みたいな、小さなハーモニカを吹いている人を、前にも見掛けた事があってね。それがさ、この場所では無いんだよ。え~と、あれはどこだったけな。まぁ、つまりさ、そこへ行くと、君なんかともっと話が合うような人が多いんじゃないかってさ、そんな風に思ってね。音楽の感じもさ、ここで集まっているような人達の感じではないんだけれどね。なんていうかさ、もっと大人っぽいとでも言うかな」
この男性の話し方は要領をえず、ひと通り話を聞くまでにはある程度の時間が必要そうだった。けれど親切な人ではあるようで、僕に役に立つ情報を頑張って伝えようとしているのは分かった。年齢も高めだし穏やかな話し方なので特に警戒する必要までは無さそうだと、僕はそのまま駅まで並んで歩き続けた。
僕は途中から、まるでロールプレイングゲームで街で出会った謎の男から、探していた戦士の居場所を教わるような、そんな不思議な気持ちにさせられていた。

こうして駅に着くまでに、その謎の男性から2つの情報を伝えられる事になった。
ひとつはブルース演奏に詳しいギタリストが路上で演奏しているという場所の話で、その人物の名前と特徴まで細かに教えてもらい、さらに「紹介された」と自分の名前を出せばきっと良い出会いになるだろうとの事だった。これはなかなか話すきっかけがつかめない中にあって、非常に助かる申し出だった。
そしてもうひとつは、その紹介したギタリストがいなかった場合、その足で寄ってみると良いという、ブルースハープを吹くような人を数人まとめて見掛けた、同じ路線の別の駅の情報だった。

僕はここまでを聞き終わって、改めてちゃんとお礼を言おうと思ったのだけれど、その男性は自分の話を終えるやいなや「じゃあ、これで」といった様子で、あっさりと僕から離れて行き、また元の路上演奏を聴く為に足早に戻って行ってしまった。のんびりとした語り口調の割には、戻って行く様子はえらくテキパキとした感じだった。どうやら本当に僕に話をするためだけに、わざわざ聴きたいのを中断して、駅までの道のりをついて来てくれたようだ。

かなり唐突で不思議な出会いではあったけれど、こうして僕の路上でのセッション相手探しの旅は、日を改め、新しい展開を迎える事になった。
まずは紹介されたそのギタリストに会ってみて、今の謎の男性の名を出し、紹介されたと伝えてから自分がハーモニカを吹ける事をアピールする。今回は紹介なのでとりあえずは問題なくセッション演奏はできるのだろうから、それからは演奏のでき次第という訳だ。そうなると、僕の方はまるでオーディションを受けるようなものだ。
(意外にもその紹介されたギタリストが有名人で、さっきの男性も実は音楽の重鎮とかだったのでは?)などと、僕はドラマティックな展開を想像し始め、遅れて少しドキドキとして来る。

そしてもうひとつは、僕のようなハーモニカを吹いている人達を多く見たという場所だ。こちらに関しては、むしろライバルがすでに集まっているところに乗り込んで行くという、道場破りのような要素もある訳だ。けれど、ブルースという音楽ジャンルがはっきりしていれば、確かに趣味の合う人と出会えるだろうし、話は早いのかもしれない。

帰りの電車に揺られながら、何度もさっきの男性の話を振り返っていた。見ず知らずの僕の側に立った、見事なまでの親切な情報の出し方に、今更ながらに頭が下がる思いだった。
宇宙人のツバまみれのハーモニカも含め、どれひとつ出番のなかったハーモニカ達が、布バッグの中で小さく重なり合う音を立てていた。

つづく


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