見出し画像

129話 インフォメーション①

そのまま、僕が初めて参加したジャズセッションイベントは、メリハリもなくダラダラと続いて行った。参加者達はおのおの自分の持ち曲を選び、その都度セッションメンバー全員に楽譜のコピーを配るという作業を淡々と繰り返して行く。
演奏技術を見せるポイントなのか、後半にかけてリズムチェンジをする曲が頻繁に出て来るようになって行き、どの曲も当たり前のように、最後にはまた曲を始めた時の演奏リズムとテンポに戻される。確かにそれを見慣れて来ると、そういうものなのかもしれないと思え、徐々に違和感を感じ無くなって行った。
考えてみれば、ブルースセッションの途中に出て来る「バトル」と言われる楽器同士の掛け合い演奏だって、初めて見た時には何をやってるのか全くわからなかったけれど、一旦慣れてしまうとそれが入るのが当たり前で、むしろ無いと落ち着かないといった感覚になって行ったものだった。ブルースであれジャズであれ、結局、全ては慣れという事なのかもしれない。

この店だけの事なのか、セッションにボーカルの参加者が多かったり、トランペットやサックスなどの管楽器が参加していたりするのも、ブルースセッションとは違ってかなり新鮮な感じがした。 ギタリストが、相席で面倒を見てくれた彼一人だったのも意外だった。ブルースセッションならば参加者の8割ほどがギタリストであるのが普通だからだ。途中でピアノやドラムといったホストバンドのメンバーとパートが重なる人達も出て来て、その都度メンバー交換をしたりするのだけれど、ピアノやドラムなんていうパートがホストメンバー以外にも参加しているというのも、ブルースセッションではまず見ない光景だった。
参加者している人達の様子は、これといってセッション演奏を楽しんでいるようでもなく、まるで「運動をするためにバッティングセンターに来た」といったような淡々としたもので、僕の目には、何かの流れ作業を間違い無くできた事にほどほどに満足しているように見えていた。
自分が働いている店のブルースセッションの参加者達には、演技じみた人までいるほど、楽しそうに熱く演奏をする人が多いのとは対照的に、気難しそうな表情のまま静か目な演奏をしている人達が目立つところを見ると、ひょっとするとジャズのセッション自体が本来そういった振る舞い方をする、いわば「ポーズのようなもの」なのかもしれない。
何にしても、ジャズセッションはわからない事づくしで、学びの場とはいえ、僕にとっては面白くない時間が延々と続き、実に退屈で、もう10時間くらいこの店に閉じ込められているようにも感じてしまっていた。ただ時折相席のギタリストがセッションの解説を挟んでくれるおかげで、いろいろと実践的な勉強の機会にはなっていた。

僕は面倒事の多いビギナー参加者という扱いになってしまったのか、あれから1度もステージに演奏に呼んでもらえる事はなかった。対して相席のギタリストの方は何度か呼ばれ、ステージでセッション演奏していた。あえて同じ席の僕の方だけ呼ばないのは、セット組をする黒ズクメの嫌味だったのかもしれない。自分が働いている店のセッションイベントだったら、マスターにしても僕にしても、参加数が平等になるようホストバンドに交渉しに行くところだ。

そしてようやく、次の曲で最後のセッションになるという場面が訪れた。黒ズクメは(全くもう素人の伴奏はたくさんだ!!)といったうんざりした表情でマイクを手にした。
「じゃあ、ラスト!『ルート66』やろうか?ね?今日出番が少なかった人、これで最後だから頑張って下さいね。ピアノとドラムはお互いで交代してね」
結局、一度きりしか呼ばなかった僕に、黒ズクメは笑いながら言い放った。
「ね?ハーモニカの人もさ、ルートならできるでしょ、ね?これで最後だから、ね?やってみてよ。なんでもいいからさ。ははは」
最後の最後まで、僕はひどい言われようだった。店中の参加者に聞こえるようマイクで言うのだから、とことん嫌みな奴だ。けれど、この日のウッドベース奏者は黒ズクメ一人のみ。2時間以上を休みなく弾いた彼は、考えてみれば大したものなのだろう。何はともあれ、延々待たされやっと回って来た2回目のセッションの機会だけに、腹を立てながらも僕は参加する事にした。

参加者の多くがおのおの楽器のセッティングを始める。 相席のギタリストの彼は唯一の参加ギタリストという事で、いち早くステージに移りアンプの調整を始めていた。トランペットとサックスの参加者はスタンドマイクの前に立ち、2人でどちらが先にアドリブを始めるかを相談していた。僕は同じく吹く楽器という事で、どうやら同じマイクを使い、その2人の後に演奏するらしい。ステージが混み合うため、参加の意思だけは目配せで送り、できるだけステージの隅に身を寄せた。
雑然としたステージの慌ただしさの中を、黒ズクメがマイクで、お構いなしに自分達のライブイベントの「インフォメーション」を始める。
「え~とね、今月末だったかな?この店でピアノトリオのライブを演ります。よろしくお願いしますね。え~とね、その時のボーカルが遊びに来てますのでね、シメはその子に任せようかと思います。他のボーカルの方々、いいよね?いいでしょ?嫌だ?もっと自分が歌いたい?」
相変わらず最低な物言いだった。こんな言い方をされたら、歌の参加者達は喜んで辞退するしかないだろうに。もっとも、この店にいるボーカル以外の参加者達は、最後のセッション曲とあって総出で参加するらしいので、みな自分の準備で誰ひとり彼の話なんて聴いてはいないようだった。

今回のジャズセッションに参加したボーカルの人達は全て女性だった。その中を、店の後ろの方から「私、今、売り出し中です」と言わんばかりの若い女性が「待ちくたびれました」という疲れ果てた表情でステージ向かって歩いて来る。それを参加者の女性達は嫌味なほどの大きな拍手で送り出す。
拍手の中、いつの間にかに始まっていたイントロ演奏に、その女性は手慣れた調子で今後この店で予定している自分のライブのインフォメーションで合流する。それはジャズらしい、まるでディナーショーのような伴奏付きの軽快なトークだった。
このジャズボーカルの女性はよほどインフォメーションに慣れているようで、プロ並みの上手さだった。ピアノの伴奏があるからなのだろうか、それともいわゆるスイング・ビートのせいなのだろうか、見事にショーとして観る事ができた。ブルースだと曲と曲の間は一旦完全に音を止めトークだけで行くくらいな無骨さなので、今回は演奏の違いだけではなく、ジャズのセッションのこういう点にも僕は驚かされてしまった。

そしてインフォメーションが一段落する頃、スマートに彼女の歌が始まった。この曲は僕でも知っている大定番曲なので、曲の出だしから楽しむ事ができた。英語の発音といい歌い方といい、若いながらもさすがに(この世界でやって行くつもりなのだろうな)という自信にみなぎっていて、安定した実力を見せつけて来る。黒ズクメのように嫌味な奴が、それなりに大事に紹介するだけの凄みはあった。
一方の僕は今日のセッションではまだ2回目の演奏参加だったので、それまで全く音を出せていないのもあって、ステージの一番後ろにもたれ掛かるようにして距離を取り、外には聴こえないような小音でハーモニカの音を合わせ、演奏の準備を始めた。さすがに大定番曲なので頭の中でもスラスラとオブリガートのフレーズが浮かんで来る。リズム体がかなり専門的なジャズのビートを刻んではいるのものの、慣れた定番曲なのでアドリブソロのパートも問題なく吹けそうだ。僕はようやくここに来て、初めて胸を撫で下ろす事ができた。

歌が一段落する頃、待ってましたとばかりに、全楽器参加者のアドリブソロが始まる。当然、全員が一堂に会する訳には行かず、誰かが抜けてはそこへ誰かが入るといった感じで、少しずつ奏者が入れ替わるように移動しながらアドリブ・ソロを回して行く。
昔ライブハウスのブルースセッションのホストバンドを経験した時に、店にいたギタリスト達が1列に並び、我も我もとセッションに加わっていたのを彷彿とさせるような、暑苦しい光景だった。こうなるとそれはセッションデーでもなんでもなく、ただのいい歳をした大人の、代わりばんこの演りたい放題の列だ。
それでも、サックスやトランペットの参加者が、ここぞとばかりにパワフルでブルージーなサウンドを響かせ始めると、今までの知らない曲をヘロヘロと奏でる人々という印象が一気に変わり、カッコ良くすら見えて来る。その2人のアドリブ演奏を聴きつつ、僕はその列の後ろに並んだ。

そしていよいよ僕にもソロが回って来る。マイクをやや覆い気味にハーモニカをくわえ、自信満々にかなり強烈な歪み系のベンドサウンドを響かせてやった。自分で言うのもなんだけれど、ほとんどの人達の目を惹いたのを実感する。セッションメンバー達も大いに沸き立ったようで、曲のムードは一変、ノリノリのブキへと様変わりして行った。ホストメンバーのドラムは一気にシャッフルを含んだ4ビートを強烈に刻み始め、ピアニストも泥臭めのバッキングを合わせて来る。ここに来て「ベタな方がウケる」と感じたのか、完全に僕寄りに合わせて来る感じがした。同じステージにいたギタリストの彼を始め、客席からも歓声と拍手が飛び交っていた。
結局、この曲でセッションデーの演奏としては最後のなので残念ではあったけれど、僕としては「全く吹けないダメな奴」という烙印を押されるのだけは避けられたのかもしれなかった。確かにわからない事だらけで、今日はただの見学だけのようなものだったものの、知っている曲での演奏ならばもうこっちのものだ。僕は名誉挽回とばかりにハーモニカのソロを張り切って吹き鳴らし、そのままスムーズにピアノへとソロを回した。

僕のソロが終わった後も、客席から再び僕へ大きな拍手が沸き起こっていた。僕はステージがこれ以上混み合わないようにと、ステージを離れ一旦自分の座席の方へ戻ろうとした。するとギタリストの彼が首を振りながら(まだその場にいて下さい)という仕草で合図を送って来る。楽器の参加者のアドリブ演奏が一通り終わった訳なので、一般的にはボーカルにもう一度戻り、曲としては終わるはずなのだけど、セッションイベントの最後の曲なので、今日の記念に全員でステージに並んで写真でも撮るのだろうか。
エンディングまで少しばかりの時間ができた僕は、気持ちに少しだけ余裕ができて、今日延々と聴かされ続けた訳のわからないジャズ曲の数々だって、いつかはこの「ルート66」のように、楽しみながら吹ける日が来るのかもしれないとぼんやり考えていた。ブルースセッションだって、最初は解らない事ばかりだったのだから。

すると僕を押しのけ(ちょっと、どいて)と言わんばかりの強引さで、最初のトランペットの奏者がスタンドマイクの前へ割り込みながら入って来た。もう彼のアドリブ演奏の分は終わったはずなのだけれど、最後の瞬間は自分が前面にいたいのだろうか。新参者の僕としては、一応のところは(あっ、すみませんでした)という仕草で場を譲り、またステージの隅に下がった。
この時、僕は(もう曲は終わるのだから)と完全に油断し切っていた。これからまさに最も大きな衝撃となる「ジャズ特有の常識」が、自分の目の前に現れるとも知らずに。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?