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87話 ハイレベルなセッション①

季節は巡り、年をまたいでも、バブル崩壊から依然として止まらない会社のリストラが自分の目の前まで迫って来ていた。僕の働くフロアへも、お世話になっていた上司や中堅どころまでが、次々に自主退社の挨拶をしに回って来た。
同僚達の誰もが、仕事ではあまりむやみに笑わないで過ごすようになっていた。
かつての私用電話や、アフターファイブの飲み会なんていうのもすっかり無くなり、ただ黙々と働く日々。いやいや参加させられていた社員旅行ですらも、今では懐かしいほどだった。

リストラをしいられていた社員は誰もが望まない職場へと配属をされ、遠回しに辞めるのを待たれていた。それは明らかな嫌がらせだった。
僕の仕事内容は特に変わらず、大手玩具メーカーの商品開発職のままでいる事ができていた。自分のスキルにも合い、一応のステイタスがあるような仕事でいられる平社員は、かなり恵まれた状況だった。

そんな中、年に一度の、数万人規模が来場する幕張メッセの大型玩具展示会がやって来る。TVニュースでも連日取り上げられるほどの大きな祭典だ。
僕は、ある程度「しゃべりが立つ」という事から、頭にインカムマイクを付けさせられ、1日のべ千人以上を相手に、商品の特徴などを説明する役になっていた。
例えば片手にコントローラーのついた手綱を持ち、歩く犬のぬいぐるみを散歩させているように見せながら、商品の魅力を説明したりする。その中で、他社との商品の違いや安全性などを笑いを交えつつ紹介し、その後の夏休みや冬休み商戦の主力商品として宣伝するのだ。
同時にその際の客の反応から、セールストークが合っているか、商品自体や価格などに問題はないのかなどもさり気なくチェックし、商品の担当者にフィードバックを行う。
3日ほどの展示会を通しその対象は数千人はくだらないため、情報にはかなりの精度が出る。
もちろん自分の担当商品も出品しているものの、説明員をつけるような主力商品ではない為、自分の商品への反応を気にしつつ、会社の主力商品の方を売り込むのだ。

どうやら僕には、この説明員としての才能があったのか、外部のコンパニオンが演るようなパフォーマンスを任されていた。自分でも驚くほど、大勢の人相手に話をするのが向いていたようで、時には深夜の通販番組のような客さばきすらできた。
そんな僕の様子を見た上司からは「いやぁ~、お前は大勢の前でも全く緊張しないよな~。一体どこで、そういうしゃべりを鍛えたんだ?」と聞かれた事があった。僕はあやうく「はい、ストリートミュージックです」と答えそうになる。
もう長い間僕は路上ではテンホールズハーモニカの音を出していないけれど、こうしてしゃべりという別のスキルが残ったという訳だ。時折、あの頃の路上で知り合ったみんなは、今でもどこかで演奏を続けているのだろうかと懐かしくなる。

会社の大きな山場となる展示会が終わり、仕事の忙しさがほどほどに戻って行くにつれて、大人しく黙々と働く僕の頭の中も、仕事やリストラの事ばかりという訳でも無くなっていった。実は、まだ一度しか行っていないBarのブルースセッションデーの事で、また頭が一杯になり始めていたのだ。
あまりにも強烈だったそのイベントは、自分のライブイベントだったのではないかというほどの充実感を残してくれていた。「自分が出した音」「参加者達からの褒め言葉」「大音量と照明を浴びる感じ」などのそれぞれが、ひと月を過ぎても色あせず、当時はまだ演奏の機会が限られていた僕の、数少ない成功体験のひとつになっていた。

僕は日々の仕事をこなしながらも誰にも打ち明ける事なく、次のBarでのセッションイベントの機会を待ち続けていた。前回のBarの帰り道に知人のギタリストから聞いた「ハイレベルなセッションデー」へのチャレンジを。

そして、指折り数え迎えた、目指すセッションデー当日となった。
その日は運悪く平日だった。一度会社から帰ってからの出発では間に合わず、仕事帰りに直接店に向かうため、ハーモニカを職場へ持って行かなければいけなかった。
さすがに職場のピリピリとした状況を刺激しないようにと、僕はハーモニカの入ったケースとハーモニカ専用マイクをタオルで包み込み、カバンの中でガチャつかないように工夫し、こっそり会社へと持ち込んだ。
定時まではいつも通り淡々と仕事をこなし、退社時間丁度に上司に「腰が痛いので整体に行く」と、つかなくても良いウソをつき、誰にもバレずにひとりで目的のBarへと電車で向かった。
別に悪い事をしている訳でもないのに、不景気の中、平日に遊びに行くというのは、どこかしらに後ろめたい気持ちがあるものだ。僕は電車の中で誰か知り合いに会うのではないかと、無駄にドキドキしていた。

教えてもらった駅に着き、すぐに話に聞いていた通りの目印となる大きなビルを見つけ、お目当てのBarへとたどり着く。店の入り口には緑の看板にチョークの文字で「ブルースセッションデー」とわかりやすく書いてある。予定通りの到着で、まずは一段落といったところだった。
一見すると、店の外観はログハウスのような作りではあるものの、建物はコンクリ張りの防音仕様のようで、中の音は外には全く聴こえて来ない。
僕は改めてまた看板を眺める。
看板に書かれた日付は今日で間違いないようだし、時間まではあと30分ほどあった。金額は前回と同様に2500円とあったけれど、どうやらドリンクは別注文という事のようだ。つまり、今回はかなり高くつく事になる。数杯飲めば、自分が使っているテンホールズハーモニカが2本ほど買える金額にまでなってしまうではないか。
とはいえ無趣味の自分には他に出費の予定がある訳でもなし、さほど気にするほどでも無いと自分に言い聞かせる。
僕は近くの販売機で缶コーヒーを買って、それを飲みながら店の前で時間を潰し、開店と同時に、はりきって一番乗りで店へと入った。

入り口がログハウス風なだけで、その奥のスタジオのような重い扉を押し開けると、結構な音量のBGMに驚かされる。相当な防音仕様の建物のようだった。 BGMはブルースではあっても、ファンクのようなビート感のあるもので、いかにも「音楽に詳しい人が選曲していますよ」という主張が垣間見える。
ライブ空間らしく薄暗くはあるものの、内装はBarというより洋食のレストランのような印象だった。カウンターの奥の棚にはウイスキーなどがある程度は並んでいたけれど、それ以外の棚にはレコードやソフト類が所狭しとひしめいていて、ライブ映像を流している大型のテレビ・モニターが店の中心をなしているようだった。どことなく、音楽というよりスポーツ観戦の店のようなスポーティーさを感じさせた。

驚いた事に、一番乗りで店に入ったつもりが、実はすでに入店していた演奏者達がいた。それはこの店のセッション演奏の伴奏側を務める「ホスト・メンバー」の人達だった。
セッションデーの中では、完全な成り行き任せのフリーな状態で、入店した参加者同士を組み合わせてセッションをする場合と、ギター、ベース、ドラムなどの伴奏メンバーを予め店側が手配し、常にある程度の演奏レベルを保証する店とがある。
プロのバンドマンを呼んでいる場合は、セッション参加費の中からチャージバックを付け、それをバンド側へギャラとして支払うのが普通で、どうやらこのお店が割高なのはその為のようだった。

店の入り口でどこに座ろうかと迷っていると、金髪ロン毛なのにヒゲだけがまっ黒く、若者向けなポップなデザインのエプロンを付けたマスターらしき人物が出迎えてくれた。
そのエプロンは全く似合っておらず、僕の地元の田舎で見掛ける地域カリスマを思わせるようなちぐはぐなファッションで、店のスマートさとはかなりギャップがあった。
マスターは「いらっしゃいませ」などと言う気などさらさら無いようで、ぶっきらぼうに「はいはい、お名前は?」というと、参加者の記入表に僕の名前を書き込みながら、面倒くさそうに質問をして来る。
「はい、え~と、ヒロセさんね。初めての方ですね。よろしく、っと。楽器は?ハープ?アンプはどうされます?はい、歪み系、ポール・バターフィールドみたいな?生系、ジェイムス・コットンみたいな?あ~、はいはい。で、歌はやらないのね。わかりました~と」
店の大きさや内装こそ一軒目のミュージックBarとそう大きな違いは無さそうだったものの、マスターの質問からは、その専門性が伺えた。ブルースハープでセッションに参加するにしても、僕がどのような音を出したいのか、こだわりがどれくらいあるのかなどを、マスター自身が直々に聞いて来るのだから。
その質問の数々に驚きつつも、灰色の仕事だけの日々を送る僕には、こんなマニアックな会話のやり取りですら、飛び上がりたくなるほどに嬉しいものだった。
僕はまるでインタビューでもされているかのようにすっかり舞い上がり、テンションを上げて答えた。
「僕は、バリバリに割れたハーモニカの音が好きなんです。ポール・バターフィールドが大好きで。でも、あんなマイクは持ってないです。一応持って来たのがブルースブラスター(マイクの機種名)なんですが、それを使ってもいいですかね?」
すると、マスターからは間髪入れず細かなツッコミと、さらなる質問が入る。
「そうですか。まぁ、ポール・バターフィールドは歪んでって言っても、バリバリとかじゃないでしょう、こもらせ方っていうかね。ブラスターマイクじゃあの感じは出ないでしょうがね。まぁ、うちは構いませんよ。置いてあるギターアンプを使って下さい」
ハーモニカに関してかなりの知識を感じさせる物言いに、僕は度肝を抜かれた。専門店なのだからなのかもしれないのだけれど、マスターはマニアックな話を、誰もが知ってて当然の基礎知識のように話して来る。
さらに続くマスターの質問に、僕はさらなる衝撃を受けた。

「ちなみに、独学で?どなたかのお弟子さんとか?」
セッションへの参加申し込みで、よもやそんな事まで聞かれるなんて。
いきなり機先を制された僕は、独学ではまずいのかと急に怖くなり、すっかり尻込みをして、もじもじと答えた。
「いいえ、あの、誰にも、その、ちゃんと習ってないんで。自分で、レコードとか聞いて、ハープのアドリブとか、コピーしました。あと、ホーナー社の教則テープとかも聴いて、練習しました」
すると店長さんは一転して僕の返事の内容に焦り、手をばたつかせて訂正をする。
「いいのいいの、違うって!独学じゃダメって訳じゃないのよ。ブルースなんだからさ、それでいいのよ。まぁなんていうか、できる範囲よ。何でもOKな段階かどうかよ?」
その物言いはかなり慌てたもので、できれば今の失言を忘れて欲しいと言った感じだった。
確かに、ブルース専門店としては学校仕込みの優等生を優遇するなんて思われたら、格好が悪いからなのかもしれない。

まだ開始時間まではかなりありそうだったので、他の参加者が来ない内にと、ビビりながらも脇に抱えたハーモニカの布ケースをギュっとしめ、僕は会社では見せない真剣な顔で、マスターからこの店のセッションの傾向などの話を聞くのだった。

つづく


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