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109話 『陶磁器の町で』①

さらに半年ほどが過ぎる頃、僕は観光地を抱える地域の観光課で引き受けた議事録作成の仕事を突破口に、その提出書類で「広瀬企画室仕事見本ファイル」を作成する。
その資料のおかげで「こういう相談なら、あの町はこれくらいの予算でした」とか「こういう企画書を作成すると、これくらいの時間が掛かりますので、だいたいこれくらいの費用をご用意いただければ」といったような、やや具体的な営業が掛けられるようになって行った。
もちろんそれがあったところで、ただ仕事内容のイメージが伝えやすくなったというだけで、簡単に「では依頼を」とはならないのだけれど、町役場などの公共機関からの支払いを経験しているという部分は決してマイナスな印象にはならず、不思議と「ちゃんとした仕事をする人」という説得力を持ち始め、ほぼ門前払いをされる事は無くなって行った。

そんな観光地のお土産店を回り続ける日々の中で、自分の地元の岐阜県が、実は様々な工芸品の産地である事がわかって来る。なかなかそれに気がつけなかったのは、アピールの仕方がどれも地味で、密かな「匠」という見せ方になっていたからだ。控えめな職人さん達が多いお土地柄なのだろう。
美濃の和紙、恵那のみかげ石、高山の春慶塗り、付知・加子母の木工業、そして何と言ってもメインは東濃地方の陶磁器「美濃焼」だ。陶磁器の産地としては、僕が最初に働いていた愛知よりも遥かに大規模で、日本の食器の半分以上を占めるほどらしい。
僕は、この事実を知るや、自分のかつての仕事のスキルを活かせるかもしれない可能性に、胸を高鳴らせた。陶磁器の商品企画ならば経験もある訳だし、愛知と岐阜で離れていれば、かつての仕事仲間達との関係にも特に問題は出ないはずだ。
そして僕は、実に1年ぶりに、陶磁器の商品アイデアを売り込んでみようと思い立つ。

まずは他の持ち込み企画を作る時と同じように、今の業界の状況を知るために、土産店で店員さんから話を聞いて回る事から始めた。
すぐに理解できたのは、産地の中でも町による歴史的な棲み分けがあり、作っている食器の分野や種類が違うという事だ。つまりは、自分の出すアイデアを求めているような町はおのずと限られるので、ある程度営業先は決まって来る訳だ。
さらに製造工場のほとんどは家族だけでやっているような小規模の工場で、業界として動くような企画やキャンペーンなどは「各地元の工業組合が主催する」というのだから、売り込む相手先の方も、ほぼ絞り込まれたようなものだ。
僕はすぐに、それぞれの工業組合が運営している陶磁器のお土産ショップを回り、店員さん達に話し掛けながら、産地の事情を聞き込んで行った。

中には、僕が雑誌のライターか何かのように誤解している店員さんもいたようだけれど、岐阜の人は話す事が好きな人が多いので、情報収集はとても効率的に進んで行った。
それぞれの工業組合の事情を把握できた僕は、それらを比較したのち、企画を持ち込む相手の工業組合をひとつに絞り込んだ。
その基準は、実に明確だった。ある売り場で「今、その町では、これからの方針を決めるのに頭を抱えてるらしい」という、自分にとって誠に好都合な噂を耳にしたからだ。
非常にぼんやりとした段階の話ではあるものの、これこそ僕の出番ではないか。今までだって、とにかく叩き台となる案を提出する事で、会議に参加させてもらい、その議事録を提出し、無理やりにでも仕事に結び付けて来れたのだし、ましてや今度は自分の経験のある陶磁器の商品企画だ。かなり良いところまで行けるかもしれない。
僕は今までにないほどに興奮し、この岐阜の陶磁器の工業組合への売り込みに鼻息を荒らげていた。

けれど、これは「賭け」でもあった。この地域にいくつかある工業組合は、いわば「シノギを削る」敵対する同業者同士の関係でもある上、業界の情報は筒抜けらしいので、最初に選んだ組合への売り込みに失敗すれば、他の工業組合にはまず回れないと思った方がいいだろう。
もちろん前の仕事の関係もあるので、お隣の愛知はしばらくは出入りが難しい訳だから、実質、僕にとってはこの売り込みで「陶磁器業界全体の返事を聞くようなもの」になる。
僕はこの企画の売り込みに、今までの何倍も下調べを積み重ね、飛び込み営業の作戦を練り続けた。

そうは言っても、さんざん考えてみたところで、結局、できる事といったらいつもと同じようなものになった。ある日、工業組合の事務所が運営するお土産の陶磁器ショップへ、たまたまぶらりと立ち寄ったように訪ね、商品を手に取りながら世間話をしてみた。

そこは8畳くらいしかないよくある小さなお土産店で、店員さんは近所のお母さん1人といった感じだった。
来店した僕を見るや、店の商品を勧めるでもなく、町の特徴を自分から次々と話し始め、挙げ句には「今後どんな土産店にすればいいかを町の若い人達が相談しているところだ」との状況まで語ってくれた。
僕はまたとないであろうこの自然な会話の流れで、「自分は仕事で他の観光地の相談に乗って来た」と切り出し、「良い機会なので、そのような話を詳しく聞ける人はどなたですか?」と、ストレートに聞いてみた。
すると当たり前のように、その女性は隣の部屋にいる男性に声を掛け、そのままお茶の用意を始めてくれたのだった。

招かれた隣の部屋は、売り場の横に並ぶ事務所で、事務机が2つに小さな4人掛けの会議テーブルだけの簡素な作りだった。田舎の不動産屋のようなムードで、町の人以外は利用しないようなたたずまいだ。
あまりにもなめらかなこれまでの流れによって、僕の今後を左右するサイはすでに振られてしまったようだ。
現れた工業組合の事務方の窓口の男性は、町役場で見るようなツナギ服で腰から手ぬぐいを下げ、サンダル履きだった。初対面の僕に何の警戒感も持っていない様子で「もうすぐ引退で交代する身やで、ワシが相手では悪いけれどね」という第一声から話は始まった。
あけっぴろげな方で「あんたは何?なんかの売り込みかね?いいよ、ワシで良いなら聞くで。どのみち、金の事なら、ここ(組合)で聞かなイカンしな。夕方(事務所を)閉めるで、それまでならええわ」と、笑いながらフランクに話してくれた。
正直ここまで話が進むとなると心の準備が追いつかなかったけれど、さすがに「また日を改めて」とも言えない雰囲気だ。僕は(この人とのこれからの話で、僕の陶磁器関係の全てが決まる)と覚悟し、カバンから営業用の企画書見本のファイルを取り出し、渾身のプレゼンを始めた。

僕の自己紹介混じりのプレゼンを聞きながら、この男性は笑いながら何度も話の腰を折って来た。
「この絵、あんたが描いたの?上手いな。1枚どれくらい時間掛かるの?」とか「あんた。ワープロは打てんのか?ワシもよ、機械は苦手でのう」とか「この文章、あんたが考えるの?なんだ、上手いこと書くよな。なんだ、物書きかね?」とか。
その都度僕は「えっ?えっ?」と聞き返すのだけれど、その様子を笑いながら「そんなに小難しい顔して話さんでもええって。どうせ今すぐ仕事をどうこうって話じゃなかろうに。のう?」と混ぜ返して来る。さらにお茶を出してくれた売り場の女性までが「そんな茶化しちゃ悪いって、ちゃんと話を聞かな」と割って入って来る。
すでに今までの観光地の地域の話し合いで経験して来たような、どこかの家庭の団らんに入り込んでしまった感じではあるものの、僕はかなりの緊張感からいつまでも力みが消えなかった。たとえ今までと同じような会話でも、今回は自分にとっての重要度が違い過ぎる。自分のスキルが活かせるかもしれない「陶磁器の商品開発」が掛かっている売り込みで、しかも、もうこの彼に話してしまった以上、他の組合にはアタックし直せないのだから。

20分ほど話した頃だろうか、この窓口の男性から質問を受けた。それは僕がよその町で提出した企画書の「支払い方」についてだった。
彼は「経理畑」で、僕の企画内容にも描いた絵にもさして興味はなく、町役場の支払い方のバリエーションだけに興味を持ったのだ。
どんな分野でも興味を持ってもってもらえれば、まずはしめたものだ。僕はなるべく、町役場でのやり取りを細かく説明してみせた。元々アイデアというもの自体が金額が付けづらいものなので、それぞれの役場で「町に通った回数により日当扱いで算出した事」や、企画書のコピーを「冊子の扱い」で購入してくれた事などを、部署名や予算項目を間違えぬよう正確に話して行く。
彼はくわえたタバコに火をつけると、一旦席を立ち、自分の机に立て掛けられたファイルの中にある書類束の中から、さっと一枚の書類を取り出し、僕の前に戻って来ると、目の前にその紙を置いて見せてくれた。
それは何かの予算の一覧表らしいものだった。
「これな、来年度の予算よ。まぁ、今の時代は何かやらなイカンからね。町の方で、みんなで何かやるって決まったら、それで市の方へ申請して、(予算が)降りたら使えるで。いっぺん、町の若い衆に会ってみる?」

僕はいきなりのお金の話に息を飲んだ。その上、目の前にある金額のゼロの横並びから、かなり高額である事は一目瞭然だった。

つづく


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