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75話 決まる時は①

次に電車を降りたのは、かつて仕事や何かで数回ほど来た事のある駅だった。
そこが最近は音楽スポットになっていたなんてまるで知らなかったし、こうして自分がこれからの出会いを前に、ドキドキと胸を高鳴らせる場所になるなんて想像もできなかった。
駅前にはマクドナルドやケンタッキーがあり、本屋やビデオ屋、レコード屋にラーメン屋も揃っていた。学生や若者には使い勝手が良い街で、徒歩数分ほどでさまざまな路線に乗り継げるアクセスの良さから、深夜までやっている居酒屋が数件建ち並んでいた。そのおかげで学生の夜明かしの定番駅でもあり、いかにも東京らしさの漂う華やかな街だった。

その日は、さらりとした風が心地良く吹いていた。(そういえば、ハーモニカって風の楽器だよな)なんてキザな事を思い浮かべながら、僕は、駅の改札口を出て2分と経たず見えて来る路上のさまざまな演奏者達を、一通り眺めて回る事にした。

通行人はかなり多く、どの人も一刻を争うように忙しく行き交っていた。そのせいか路上の演奏者への注目度などはかなり低めだった。
話に聞いていた通り、ブルースのスタイルでの演奏をしている弾き語りの人達が何組もおり、その中にブルースハープの音色も聴こえて来た。ハーモニカについてはどの人も演奏レベルが高いという訳でもなく、歌の合間になんとなくプープカ吹いている、そんな感じだった。自分はある意味では道場破りのような存在になるかもしれないので、シノギを削り合うようなギスギスとした状況ではないという事に、少しだけ緊張感を解く事ができた。

たくさんのグループが演奏していたけれど、自分の演奏を必死に売り込むもうとしているようなやる気は、そこに集う誰からも伝わっては来なかった。
その中で、聴く人が誰もおらず、歌も楽器もさほど上手くないながらも、ひときわ楽しそうにギターをかき鳴らす、年の頃が自分と同じくらいの2人組がいた。耳馴染みのある定番のブルース・ナンバーを演奏していたというのもあり、僕は自然に彼らに目を止めた。
一人は少し高そうな革製のチョッキを着ていて、オシャレな感じがした。もうひとりは派手なイラスト入りのTシャツで、それはブルースマンをコミカルに描いたものだった。特に目立つ訳ではないけれど、渋めのブルースなんかを演奏している割には、とにかく演奏している事自体への楽しさというのが伝わって来る。
聴く人が集まらなそうな2人だったけれど、僕が立ち止まったのを気にしてか、少しだけ演奏に真剣さが増したように感じる。そのせいでノリの良さの方は減ってしまい、かわりにほのかな緊張感のようなものが出てしまっていた。それでもブルースを演奏しているだけに、どことなくゆるい適当さを持った気楽な演奏ではあるのだけれど。

そのまま数曲聴いてみて、彼らの演奏するブルースが気に入った僕は、目が合ったのをキッカケに、なんの気負いもなく、当たり前のようにこちらからサラリと声を掛けてみた。
「僕、ハープやるんだけど、一緒に演ってもいいですか?」と。
それは前置きや演奏していた曲の話題なども無しの、いきなりのセッションの申し出だった。なぜ今まではそうできなかったものが彼らには急にできたのかは解らないのだけれど、その時は当たり前のようにそれができて、自分自身でも不思議なほどだった。
その2人は僕の大胆な物言いに一旦は完全に固まり、かなり驚いていたようだったけれど、お互いの顔を見合わせると、やがて答えが返って来た。
「ああ、ブルースハープ?別にいいけど。なぁ?」
「あっ、うん。じゃあKeyとかは、どうしますか?」
その言い方は大歓迎というニュアンスではなかったけれど、僕はちゅうちょせず、押しが強い感じで2人の側に移り、隣に並ぶようにしゃがみ込むと、自分の布バックを開いて(ほら)といった風に全てのテンホールズハーモニカをジャラっと見せて(どんなKeyでも大丈夫)という顔をしてみせた。
相手の2人はブルースを演奏しているせいか、僕の大量のハーモニカを見ても特に動じる様子もなく「ああ、そうですか」という具合に、演奏する曲のKeyだけを言うと、そのままゆるやかにイントロ演奏へと入って行った。

その曲は「ワン、トゥー、」と、まだ演奏に慣れていない感じのたどたどしさが残るカウントから始まった、何でもない普通の12小節ブルースだった。
ゆっくりと進んで行く彼らの演奏は、僕が加わった事での緊張で余計にぎくしゃくとし、いつまでもまとまりを見せなかった。反対に僕の方はというとどういう訳か緊張するという事がまるでなく、行き交う人だらけの場所だというのに、のびのびとその時間の経過自体を心地良く楽しむ事ができていた。
僕は、甘めのベンドを加えたテンホールズらしいブルージーな音色を、少しずつ増やして行く。2人からはそれに呼応するよう音を選んでくれている丁寧さが伝わって来た。それこそがまさしくコール&レスポンス。音楽を演奏するという以前に、出会いにおいて重要なものだった。おかげで僕のテンホールズの響きは、確実にその場に溶け込んで行く事ができたのだと思う。

独特な気まずさもあって、3人で無言のまま、その後もKeyだけを伝え合い数曲のブルースを演奏し続けた。そして頃合いを見計らい、彼ら2人は目配せをしつつ「ちょっと、休もうか?」と休憩に入り、肩などを回したりジュースを飲んだりし始める。
気がつけばやや遠巻きに数人が僕らの演奏を聴いていて、その反応の良さからも、とりあえず今日に関しては、休憩後もそのまま3人で演奏を続けるのが、暗黙の了解っぽくなっていた。
「今後どうする?このままやる?」なんて具体的に言葉に出しては言わない。何にしても今、出会ったばかりだし、全てはぼんやりとした中でなんとなく決まって行くのだろう。そんな事を特に誰に教わった訳ではないけれど、いつのまにか体感で理解していた。
お互いが笑みを浮かべた表情ではありながらも、会話の方を合わせて行くのはブルースをセッション演奏するほど簡単ではなかった。
彼らからのたどたどしい質問から、ようやく僕らの会話が始まった。
「いいですね、ハープ。長いんですか?」
僕は答える。
「いえいえ、まだ、全然です」
すると食い気味に言葉が返って来る。
「いやぁ、そんな事は無いでしょう?いつもは、どこでやってるんですか?」
その言い方が自然だったせいか、僕の方から自然に言葉が引き出される。
「これからなんですよ、誰か入れてくれないかと思って、ブラブラと」
いつもならカッコをつけるようとする自分が、それを出さずにいられたのは実に珍しい事だった。

僕は、2人から質問されるがままに素直に答え続け、そのままの流れで普通に自己紹介をしてみた。2人はそれに少々面食らっていた。どうやら路上演奏のような場では、ちゃんとした普通の自己紹介をするという事自体が、かなり珍しい事のようだ。
2人は少し笑い混じりに言う。
「ああ、ヒロセ、テツヤさん?ですか。別に、本名とかは、いいですよ。ちゃんと言わなくても。なぁ?」
「うん、なんか、呼び名とか無いんスか?バンドマン用のヤツ」
この2人は「マーシ」と「ロフト」という。どうやらお互いの「仕事」にちなんでつけたバンド用の名前のようで、当然、本名ではないだろう。オシャレなシャツを着るマーシがメインボーカルのようで、ロフトは歌よりはギターの方が得意なようだった。
自分にはそんな気の利いたものは用意がなかった。考えてみれば以前の路上セッションだって気軽に「ハーモニカの兄さん」とか呼ばれていただけだったのだ。
僕は焦り、とっさに急ごしらえの作り話をする。
「ああ、みんなからは “ブルージー・テツ” って呼ばれてるけど」
少しばかり背伸びをしようとしたものの、我ながら最低のネーミングセンスだった。まぁ当時は誰だってそんなもんだろう。ちなみに僕の今までのアダナは、下の名前の「哲哉」の哲をとって「哲ちゃん」というのが本当のところで、何の工夫もないスタンダード・アダナ・オブ・ザ・イヤーだ。

この名前を聞かされた2人は、かなり戸惑っていた。
「へぇ~、なんだか、すごいスねぇ。でも、なぁ?」
「うん、でも、長くて、ちょっと、呼びづらいよなぁ」
マーシとロフトは明らかに僕の口にしたアダナに疑問を持ちつつも「嘘だろう?」とまでは言わずにいてくれた。僕だってかつては謎の女の子に「宇宙人だ」と言われても、ある程度は受け流したのだから。こういう場ではそういう距離が、お互い様なのだろう。

マーシとロフトの2人は気を使ってか、僕に対して細かい質問は何もして来なかった。ただテンホールズハーモニカという楽器について、自分が知りたかった事だけを、ひとつずつ丁寧に質問して来る。「使いやすいオススメの機種」とか「どれくらいで壊れるのか」とか。僕はそれに合わせ、うんちくや笑い話を織り交ぜて説明して行く。かつてハーモニカを教えていた専門学校の同級生達にしてきたように。
そういった意味では、テンホールズハーモニカが誰もが疑問を持ちやすい、不思議な楽器なのはありがたい事だった。この楽器への質問があるおかげで、僕はいつだって人と自然につながって来れたのだから。

2人は僕のハーモニカの解説が面白かったらしく、けらけらと笑い合う。
「あはは、おもしろいっスね、哲ちゃんって」
「だね、哲ちゃん最高!!ウケるよ、それ」
そして思い出したように、「あっ、ごめん。なんだっけ?ブルース、え~と?」と言葉に詰まっているので、僕は「いいよ、哲ちゃんで」と笑いながら返した。

こうして、僕はさりげなく、自分の急ごしらえのマジカルネームを、永遠に封印するのだった。

つづく


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