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36話 まずは格好から

(おお~、これだよ、これで、僕も、ブルースマンだよ~)
僕はひとり部屋にこもり、おニューのメガネを掛け、鏡の前でポーズをとっていた。当時、急激に視力が落ち、度を上げたメガネを買う際に、少々個性的な選び方にしてみたのだった。それはあこがれのハーモニカ奏者ポール・バターフィールドをマネた眼鏡だった。
彼がかけていた、サングラスとまでは行かない「ブラウンの色付きメガネ」が、僕にはとても大人っぽく見え、渋く感じたのだ。初めて彼の動く映像を観て以来、ハーモニカだけではなく、そのファッションにも憧れて、近い感じの黒シャツ、茶のジャケット、後ろ髪を少し伸ばした髪型と徐々に合わせて行き、残るヒゲを伸ばしつつ、とどめの眼鏡を揃えたのだった。
今にして思えば、そんな「色付きメガネ」を掛けデザイン学校に通う18歳の僕は、まるでコントに出て来る胡散臭いテレビのプロデューサーのようだったろう。それでも自分では「これで、ブルースマンみたいに見えるようになった」と信じていたのだ。

学校では、誰もがファッションにこだわりを持っていた。ドレスデザイン科には、モデルのアルバイトをしている生徒までいたほどだ。
そんな環境にあって、僕は注目をされないように、段階を踏んで、周りに気付かれないように少しずつイメージチェンジを進めて行った。僕は皆のようにファッションにこだわりがある訳ではなく、ただポール・バターフィールドのように、ブルースマンっぽくなりたかっただけなのだ。

課題提出の忙しさは絶えず続いてはいたけれど、生徒の平均年齢が高いだけに「呑み会」が多かった。特に社会人経験のあるクラスメイト達は、上下関係の無い呑み会が新鮮だと言って、熱狂するほど夢中になっていた。
誰もがお金がないので、安い居酒屋のタイムサービス中に押しかけ、ある時間までに確実に引き上げるようなせわしい呑み会ばかりだったけれど、皆、そこにはある程度はしゃれた服を来て行く事が多かった。生徒達の多くは作業着にうんざりしていたので、結構な気合を入れてこの機にのぞんでいたりもしていた。
もちろん恋愛の場でもある訳なので、その面でも気合を入れるのだけれど、他の学校とは違うのが、そのファッションセンスが将来の仕事にまで影響するため、気心知れたクラスメイトの前とあっても、適当にはできないというところだった。
単に流行っているものを着てもダメ、かといって自分で手作りしたようなものを平気で着て来るのもダメ、組み合わせが合っていないのもダメと、なかなかに難しかった。

ある呑み会で、僕も上から下までポール・バターフィールドでまとめ、気合を入れて参加してみた。僕のはファッションというよりは「なりきり」とか「コスプレ」に近い範囲だ。もちろん誰一人、そんな僕には気づかない。ポール・バターフィールド自体が有名ではないし、僕自身、ポール・バターフィールドを再現できてもいなかった。それでも、自分は「そこはかとなくブルースマン」というような渋い大人になった気分でいられるのだ。
そして当たり前のように、ジャケットのポケットにはテンホールズハーモニカが入っていた。それがブルースマンっぽい気もしていたし、学校でハーモニカを教えるようになってからは、持っているのが普通だったからだ。

その日も、店を出るといつものように酔ったクラスメイト達と公園に行き、自動販売機の缶ビールで、金のかからないどんちゃん騒ぎが始まった。
ある程度落ち着くと、当たり前のように「そろそろ、広瀬、なんか吹けよ~」「おお~、やれやれ~、渋いの一発な」「いいじゃん、広瀬くん、やってやって」そんな声が飛び交い始める。
そして僕は何気ない感じで「ポワ~ン」とやってみせる。コンサートという訳ではないけれど、みんななんとなく、酔い醒ましの夜風を受けながら、その数十秒を心地良さげに聴いてくれる。
自分も密かに(今日の僕はブルースマンだ。原宿のポール・バターフィールドと呼んでくれ)くらいに思っていて、気分が良かった。

ところが、僕はここで予期せぬ掛け声を聞く事になった。
「いいぞー、ブルースマン!!」「シブいぜ、ブルースマン広瀬ぇ~♫」
それは予想もしなかった、僕の憧れの呼ばれ方だった。
けれど、それと同時にドっと大きな笑い声が巻き起こり、全員の拍手喝采となった。最初僕はその意味がよく解らなかった。

後でその理由を聞き、僕は愕然とした。それは僕のハーモニカの音に対しての評価ではなかったのだ。全ては僕の「色付き眼鏡」のせいだった。
僕がポール・バターフィールドをマネて掛けていた色付き眼鏡を、クラスメイト達は「なんて時代遅れで、みっともないファッションセンスなんだろう」と、影で笑っていたのだった。そして僕が密かに憧れていた「ブルースマン」という言葉は、彼らにとっては「時代遅れのダサい奴」というニュアンスでの言葉選びだったのだ。さらにその影のアダ名はかなり前からのもので、僕がいないところでは全員の笑いネタとして、常に酒の肴になっていたらしい。

まぁ、笑われていると解ったところで、眼鏡ともなるとそう簡単に買い変える事もできず、僕は誠に残念な結果となってしまった「ブルースマン」という呼ばれ方のまま、卒業までをその色付き眼鏡で過ごす事になるのだった。

つづく


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