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21話 キュイ〜ンとポワ〜ン

高校2年も半分ほど過ぎた頃、僕には弾き語りで「さだまさし」のナンバーを歌うP君の他に、もうひとりギターの弾けるQ君という友達ができていた。彼はかつてブラスバンド部でトランペットを吹いていて、ギターは始めたばかりという事だった。

Q君はテンホールズハーモニカを吹ける僕を「シブい通(つう)な奴」だと誉め「家に演奏しに来いよ」と誘ってくれた。当時大人気だった「佐野元春」のファン仲間でもあり、彼の音楽の専門用語が混じったコメントには、どこかしら評論家のような説得力があった。
聞けば彼の家は僕の家からバスで行ける範囲で、少し遠周りをすれば高校からの帰り道にも立ち寄る事ができた。
彼は自分だけの部屋を持っていて、趣味だという「ジャズ」のレコードを集め、大人の世界を垣間見せてくれるところがあった。
よく「夕食を食べて行きなよ」と誘われ、ごちそうになるのだけれど、ソースやマヨネーズのような調味料を一切使わないのにいつも驚かされた。食のこだわりなのか、僕には到底マネできない。

僕の持っているハーモニカのKeyがGだと知ると、彼はすぐに佐野元春の「サムデイ」のレコードをかけ「サックスのところを吹いてみてよ」と言い出す。
もちろん僕はQ君の好みから「サムデイ」という選曲を予測し、自分のハーモニカKeyでも吹けると解り、前の日までに必死にメロディーをなぞる練習を済ませておいた。

「えーっ、ちょと、待ってよ、待ってよ。そんなーっ、急に言われても困るよーっ」
と軽くかましつつ、余裕でハーモニカを吹き始める。
こうして僕は「一度聴くだけですぐにメロディを吹けてしまう」と思わせる事に、まんまと成功するのだった。
演出の成功に大満足の僕とは反対に、彼も方はそれに全く驚いてもくれず、逆にこちらが驚くような事を口にする。

「ねぇねぇ、アドリブもやってよ。適当なのでいいからさ」
アドリブといえば「即興演奏」だ。僕はマネる程度はできたけれど、そんな高等な事は到底できる訳がなかった。
けれども彼は、そんな僕の戸惑いなど気にも留めず、またレコード針を戻し、サックスのソロ部分を掛け直す。
「ほら、やってよ。なんでもいいからさ。ジャズ・ミュージシャンなんて、みんなアドリブなんだよ」
もちろん、そんなことは知ったこっちゃない。僕はジャズミュージシャンじゃないのだし、だいたいが「ジャズ」自体も知らないのだから。

僕はただがむしゃらに「ポワ~ン」とベンドさせたり、手をパタパタとやりハンド・ビブラートを効かせてみる。
Q君はふざけるみたいに、僕の隣でギターを「キュイ~ン」と指でチョーキングさせながら大はしゃぎしている。

次第にちょっとズレるくらいのメロディー・フェイク(アレンジしたメロディー)から飛び出し始め、一旦はめちゃくちゃになりながらも、どこかしら音楽を演奏しているような雰囲気が漂い始める。
「おおおーっ!!フリージャズ、フリージャズ!!」
よくわからない事を言う彼に乗せられ、僕はどんどん真剣になって行った。

めちゃくちゃながらも少しずつ音は合って行き「アドリブに聞こえなくもない」という感じにまで整って行く。
終わるとまたレコード針を曲のサックスのソロ部分に戻し、それを何度もやり、いつまでも飽きること無く、ハーモニカの「ポワ~ン」というベンドと、ギターの「キュイ~ン」というチョーキングとをお互いに楽しんだ。
その時の高揚感は、まるで祭りの「お神輿(みこし)」のような感じだった。後になり、その一体感を「グルーヴ」と呼ぶのを知った。

例えようもない、初めて味わう至福の時間だった。
たまに部屋でひとりテンホールズのベンド楽しむのとは、比べ物にならない興奮だった。
それが演奏なのかはわからなかったけれど、きれいに奏でるP君との「さだまさし」のデュオ演奏よりも、何かが自分を熱く燃えさせたのは確かだった。

2人ともが汗だくだった。出された麦茶を飲み干し、防音のため締め切っていた窓を明け空気を入れ替える。
もうさすがに疲れたなぁという頃、Q君が僕に「人生を変える言葉」をさらりと言った。

「ねぇ、バンドやろうよ」と。

つづく


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