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133話 参加者に囲まれて

開催しているセッションデーの状況を、事前に店員さんから聞き出すための2軒目のジャズ店訪問から、1週間が慌ただしく過ぎた。「ブルース」好きのギタリストの店長さんがホストを務めるという事で、さすがに最初のジャズ店のような悲惨な目にまでは遭わないだろうとは思うものの、こんな事を言われたらどうしよう、こんなトラブルになったらどうしようと、僕の頭の中は無駄に忙しく動き続けていた。
このセッションデーの日までに、自分のバンドでのライブイベントがいくつか入っていたので、自分からバンドメンバーに前回のジャズセッションで演奏した「ジーベイビー」を、ハーモニカのインストゥルメンタルの演奏でやらせて欲しいとお願いし、ライブ中、人知れず次に自分がセッションリーダーにさせられた時の練習までしてみた。そんな事とはつゆ知らぬメンバー達は、選曲面などにはめったに口に出さない受け身の僕が、バンド演奏にいつもよりやる気になっているくらいにしか思わなかったろう。
ライブの方はそれなりに集客にも恵まれ、そこそこのギャラも出て、仕事と言えるライブだったというのに、正直僕の頭の中は、自腹で行くジャズセッションデーの方でいっぱいだった。

そして目指すジャズセッションデー当日の夜。2度目の訪問となる僕は、かなり気合を入れて店の扉を開けた。この日はセッションデー開始の15分程前に入った。楽しみにし過ぎて早く来すぎた訳でも、目立とう精神で遅れて来る訳でもない、ほど良い時間だ。
店内は参加者達であろう20人ほどで賑わっており、歳の頃で言えば若くても40代から、上は70代ほどの方までおられた。管楽器の参加者が目立ち、店で流れているBGMのジャズに合わせるでもなく、思い思いにただ「プヮー、プヮー」と音出しをしている。誰もが周りの事などお構いなしに音を出し続ける様子は、まるで学級崩壊のようだった。この点では、電気を通さなければ音が出ない分だけ、ブルースセッションの参加者の方がマナーが良い気がして来る。
この店では女性客は数名で、そう多くはなかった。まだこの店で2軒目なのではっきりとはわからないけれど、やはり店によってそれぞれに違いがあり、単にジャズ店は女性客が多いという事ではないのかもしれない。
前回この店に来た時はBar営業だったので、店内はやや暗めだったのだけれど、この日はセッション演奏が始まる前からステージの灯りが煌々と照りつけ、店の隅々まで見渡せ、参加者のそれぞれの顔までもが完全に分かる状況だった。セッションをするためなのかテーブル同士の幅をかなり広めにレイアウトし直された店内は、一見おしゃれそうではあるものの「渋い大人の空間」といったムードは薄れ、どこかブラスバンド部が練習をしている学校の音楽室のような雰囲気があった。
ジャズであれブルースであれ、セッションデーというものは常連さんがほとんどを占めているものだ。この店でも新参者が珍しいらしく、誰もが僕を興味の目で見つめていた。僕は気まずくもあり、前回話をした店員さんを探そうとすると、離れたところにいた彼の方から声を掛けてくれた。
「あっ、来ましたね~!!ありがとうございます!!どうぞどうぞこちらへ!!いやぁ~嬉しいなぁ~!!お待ちしておりましたよ~!!」
彼は僕をステージを間近で見られるカウンターの前側へと招く。今回、僕は相席ではないようだ。そして、彼はどこの店でもするように、セッション参加者用ノートへの記入の仕方を説明し始める。親しげな彼の様子から、どうやら僕を紹介するという約束はしっかりと覚えていてくれていたようで、まずは作戦は功を奏したと安堵する。コーヒー1杯とはいえ、一応は先行投資をした甲斐があったというものだ。
ノートへの記入から初めて僕の名前を知り、彼は笑顔で言った。
「広瀬さんですね!よろしくお願いします!!もう店長には広瀬さんのお話はしてますので。なんだか店長も、ブルースハープ、楽しみにしているみたいでしたよ!!店長はすぐ来ると思いますので、あとで紹介しますね!」
僕も笑顔で応え、今回もまたコーヒーとチョコポッキーを注文する。この彼のおかげで順調な参加が期待できそうなので、無理をしてでも後で追加注文くらいはしてあげなければ。同じバーテン同士、そこは何気に大事なところだ。

店長さんはすぐに現れた。ステージには段差こそないのだけれど、スポットライトの強さで明らかに客席との境界が認識できていた。その中を、高齢者らしいのんびりとした足取りで歩いている様子は、年の頃で言えばもう60歳後半、いや70歳くらいなのだろうか。片手にはジャズマンらしい、真っ赤に輝くボティにやたらと装飾や彫刻が多いフルアコ(フルアコースティックギター)を持っていた。蓄えたヒゲは端が少しはねていて、昔のステレオタイプのマジシャンのようだ。着ているスーツも、明らかにホテルの営業なんかで演奏する時のフォーマルなステージ衣装で、そこには現場一筋に生きて来た、ただ者ではない気配が漂っている。
店員の彼から耳打ちされ、僕を見つけた店長さんは、嬉しそうな表情を浮かべ近づいて来て言った。
「よく来てくれたね~。聞いたよ、ブルースのハーモニカをやるんだって?楽しみだな。今日は遊んでってよ~」
その言い方はやわらかで、いかにも紳士という感じではありながらも、どこかに、いざとなった時にはドスの効いた凄みを出しそうな危険な気配もあり、今まで歩んで来た道の険しさを想像させる。僕は(いい人そうだし、良かった)と安心しながらも、余計な事は言わず「今日は勉強に来ました。よろしくお願いいたします」と、軽く挨拶だけをした。

店長が現れた事で、今にもセッションが始まろうかという気配を感じとり、店の参加者達はそわそわとし始める。けれどもその動きは楽し気なものではなく、どことなく怠惰な上、全くフランクさが感じられないものだった。ジャズ特有のポーズなのか、作業員達がこれから長丁場の仕事に入るような面倒くささが漂い、これから楽しい事が始まるといった期待がまるで感じられない。
ステージの中央に置かれた椅子に腰掛けた店長さんが、まずはギターで「ジャッ」っと一発、短くコード(和音演奏)を切っただけで、いかにもジャズという特有の香りが空間を包み込む。さすがの貫禄、上級者にしか出せない説得力だ。たとえ僕がジャズには詳しくなくても、この店長さんが只者ではないのは感じ取れた。
椅子の前に置かれたマイクの様子から、セッションを仕切るホスト演奏をするだけではなく、イベントの司会も店長さんが直々に担当するらしいと解る。
「では、今からセッション始めますよ。ほらほら、そこのおじさん達、早く準備して下さいよ。後がつっかえちゃってるからさ」
店長さんのもの言いは気さくで、おそらくは自分が最高齢という事なのか、角を立てる事無く常連さん達を束ねる。それに常連さんの1人が答える。
「そんなに焦らせるなよ。ジジイなんだからさぁ、お互いに」
常連さん達は年配層の人が多く、身なりはスーツ姿の人が殆どで、それなりに紳士的ではありながらも、しゃべると気取った人達ではなさそうなのがわかった。
(ああ、良かった。これならきっと、前回の店よりは、初心者の僕を優しく迎えてくれるんじゃないかなぁ。うん、やっぱりそうだな。今日が僕にとって本当の『ジャズセッションの初日』って事になるのだろうな)
僕は一気に警戒感を解き、前回の悲惨な経験など忘れ、今日のこのセッションを自分の第一歩にしようと改めて思えた。

セッションのホスト役は店長さんひとりのようで、バンド単位のホストメンバーという事ではないようだ。店長さんはノートをチラリとひと目だけ見ると数名を呼び、ジャズセッションが始まった。
まず最初にギターの店長さんとサックスの参加者、そしてウッド・ベースにドラムという基本編成での演奏からセッションがスタートする。軽快に始まった1曲目は、サックスがリードとなるインスト曲だった。いかにもジャズらしいスウィングするビートで、聴きやすく、程よい音量で実に心地の良いものだった。やはりその曲も当たり前に僕は聴いた事のない曲だったけれど、前回1度ジャズセッションを経験したせいか、不思議と今までに比べあまりジャズ演奏自体に抵抗感の方はなくなっていた。こうして慣れて行くものなのだろうか。確かにブルースだって、どこかの段階からは、そうなって行ったのだから。

曲が終わると、店長さんは間髪入れず次のセッションメンバーを指名し、すぐに演奏を始める。サクサクと曲は進み、結局、参加者が記入したノートなどさほど参考にする事もせず、店長さんの独断でメンバーが決められ、セッション演奏が忙しく続いて行った。その様子は学校の先生と、指名されて黒板のところまで呼ばれた生徒達のようで、呼ばれた方も、別段嬉しそうでもなく、また演奏後にも特に誰からも拍手らしいものも無かった。リスナーはゼロ、全員がセッションの参加者という事なのか、お互いに気遣いは無用という事のようだ。

曲が進行する中、隣のテーブルの参加者が順番を待つ僕に話し掛けて来た。
「ねぇ、あなた初めて来た人でしょう?楽器は何?見たところ何も持ってないようだけど。ピアノじゃないよね?ひょっとしてボーカル?」
60歳くらいだろうか、人が良さそうなお爺さんではあるものの、どことなくぶっきらぼうな感じがした。どの席に座っている人なのかは分からないけれど、フラフラと歩き回り、見るからに落ち着きがなさそうだ。店の中なのでそう構えるまではしないものの、電車の中で声を掛けられたら、僕ならまず無視を決め込む相手だろう。とりあえず、失礼のない程度には返してみる。
「いえいえ、持ってないんじゃなくて、楽器がとても小さいんです」
そう言いながら、僕はそっと小さなテンホールズハーモニカをカウンターに乗せ、数本並べてみせた。ちょうどステージのライトが良い加減に当たり、ハーモニカの外側の金属板のカーブをなめらかに輝かせる。ジャズの店のせいなのか、どことなくいつもよりハーモニカが高価そうに見えて来るのが不思議だった。

話し掛けて来た人は、僕のハーモニカを見るやいなや、すっとんきょうなほど大きな声を上げた。
「へぇ~!小さいねっ!こりゃあ、驚いたな~!」
そう言いながら、カウンターの高さに視線が来るようにかがみ、しげしげとハーモニカを覗き込む。
周りの人もそれを見つけて、「なんだ、なんだ」と僕の座るカウンター席までどんどん集まって来て、ステージの前に陣取り、明らかに演奏を見る側には邪魔な集団となってしまった。その輪は、後ろの席でステージの演奏を観ている人などお構いなしといった感じで、誰もが腰をかがめる気すらないらしい。

ステージではセッション演奏の真っ只中。自分のせいでできてしまったこの人だかりが店に迷惑を掛けているのではないかと、僕は気が気ではなかった。

つづく






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