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93話 ダブル・ハープ

マスターが提案した「ダブル・ハープ」とは、呼んで字のごとし、2人のハーモニカ奏者での演奏を指し、ブルースではこれに「腕くらべ」というニュアンスが含まれる。
ブルース系のお店ではしばしばイベント的に行われ、伴奏楽器が他にある場合はお互いが代わりばんこにアドリブ・ソロを吹くという単純な腕くらべになる。
またハーモニカだけでこれを行う場合は、ソロを吹いていない側が素早く伴奏側へとパートをチェンジし、交代した場合はそれを逆にする。この場合は伴奏技術とソロ技術の両方の、高度な腕くらべとなる訳だ。
ジェイムス・コットン、ジュニア・ウェルズ、キャリー・ベル、ビリー・ブランチといったトップ・ハーピスト4人が「ハープ・アタック」というアルバムを出して以来、このようなバトル形式が、まるでSHOWのようにセッションの現場で定着して行った。

いきなりこんな事を一方的に提案された僕は、すぐに客席側から大きく声を上げ、はっきりと断った。
「ちょっと!!ダメですって、僕そんなに吹けないですよ。だいたい、『因縁の』ってなんですか!?僕、今日、あちらの方に、お会いしたばかりじゃないですか!!」
(まぁ、それが安易に「シュガー・ブルー」に例えたり「上手い」という言葉を使ったりと、相手を挑発した事を指すらしいのだけれど)
気弱な僕でも、これはさすがに強く抗議した。ダブル・ハープとは同じような実力の奏者がやるから盛り上がるのであって、こんな組み合わせだと実力差が歴然過ぎて、腕くらべにはならないからだ。ただ一方的に、僕がステージ上でみじめにやりこめられるだけではないか。

僕が抗議をしている内に、ゆらりと、ハーモニカの達人の方は自分からステージに上って行った。そしてそのままスタンドマイク前に陣取ると「じゃあ、曲のKeyはA、ハーモニカはDのセカンドポジションで」とだけ言い、自分のハーモニカで「ポワ~ン」と、先にひと吹きしてみせた。
これは掛け合いの演奏を誘う為のパフォーマンスだ。どうこう言っている内に、すでに火蓋が切って落とされてしまった訳だ。

僕は周りの参加者からのヤジにあおられ始める。
「おい、どうしたどうした」「イケイケ、おもしれーじゃん」「やんなよ、ハープの見せ場でしょうがよ」
さすがにこのままでは場がシラケるので、僕も指定されたKeyのハーモニカだけを持ち、緊張しながらもステージへと向かった。
すでにマスターが立ててくれていた別のスタンドマイクの前に立つと、遅ればせながら、同じKeyのハーモニカで「ポワ~ン」と吹き返してみせる。これが、セッション・スタートの合図となる。
そんなハーモニカ同士の音での誘い合いをある程度繰り返したのち、誘った側がリズムを付けたフレーズを吹き始め、今からセッションしようとしている曲の全体像を、自分のハーモニカのソロ演奏で伝えて来る。「こんな風にやろうぜ」という感じに。
どうやら早めの12小節ブルースで、ホストメンバーの伴奏を入れず、ダブル・ハープだけでのセッションをやろうという事のようだ。

相手がベースラインを吹いている以上、僕は同じメロディーは使えない。「汽車のマネ」であるトレイン・バンプで、ドラム寄りなリズム・パートにまわってみる。
徐々にリズムが安定して来ると、ホストバンド側のドラマーが「チーチキ・チーチキ」というシンバルの音を薄めに重ねて来てくれた。これによってテンポのキープの方はホスト側でなんとかしてくれるので、ハーモニカはアドリブの方に専念できるようになった。そんな自己主張を出さない、さり気ない気遣いもさすがはプロだ。
こんな感じで、全ては言葉が無い中で進んで行く。なんの説明もいらないのは、専門的な分野ながら「ベタ」とも言えるくらいに、ブルースでは定番の流れでもあるからだ。

伴奏が安定し、いよいよその次のターンから、達人のアドリブ・ソロが始まった。
僕はその次のターンから、それに返すアドリブを吹く流れになるのだけれど、気がつけばホスト・バンドのベースとギターもかなり薄めに入ってもらっているので、僕は伴奏からは一旦完全に離れ、数十秒ほどは自分のアドリブ・ソロをどうするかを考える時間ができていた。その間に相手が吹いていないフレーズを、頭の中の数少ない引き出しから、なんとか探し出さなければならない。
もちろん、相手の音に対して、自然に自分の内側から湧き出して来たようなメロディーをそのまま素直に奏で合えればいいのだけれど、当時の僕にはそんな事は到底できはしなかった。ただそれでも、相手と同じようなソロだけは決して吹くまいとだけは、強く思っていた。

観客席が少しずつ沸き立ち始める。その中にジャガの掛け声も遠くに聞こえていた。
すぐに僕のターンに突入する。
とりあえず、まずは出音で勝負する。「ポワ~ン」と大きくやり、一応の格好はついて滑り出しだけは何とかなったけれど、もうすでにしんどくなって来る。
音を出してみると分かるのだけれど、アドリブとしては、その演奏のテンポは微妙に遅めで、自分には苦手なものだった。フレーズの輪郭が、割とはっきり出るテンポのため、地味に技量が必要になるからだ。さすがは達人の選択といったところなのだろうか。

そのまま何度か掛け合いをしながらセッションは進み、定番のブレイク(伴奏止め)が入ると、僕はそこで出遅れ、その焦りから次のブレイクでは、入る順番すら間違えてしまう。
「やばっ」と思った時はもうアウトだった。僕は完全にひとりバンドのグルーヴから外れてしまっていた。
臆した僕の音へのためらいから、空白の部分がそのまま続いてしまい、それは演奏事故に近かった。
「じゃあ、ここまでにしようか」といった表情の、達人側の判断でエンディングをまとめてもらい、おんぶにだっこで、なんとか曲が終了したのだった。
バトル形式のセッションにしてはたいした見せ場もなく、曲も短めだった。
僕はある程度吹けただけに余計に惨めだった。「味があって良かった」「面白かった」などという逃げ場もなく、これほどはっきりと技量で勝ち負けが示されるのも、珍しい事だった。やはり技量差があると、バトルにはならないのだ。

僕の落ち込みなど誰にも関係ない。そのまま忙しくマスターの仕切りでセッションの参加メンバーの交代は繰り返され、セッションイベントは滞り無く続いて行く。
ダブル・ハープでの負けのショックで、僕はその後のセッションは全く上の空で、聴いてもおらず、まるで内容を覚えてもいなかった。
やがてBGMが流れ始め、店のセッションデーは終わったのだと気付く。
僕はセッションの参加者達がパラパラと帰り始めるのを、しばらくはただ眺めていた。

ある程度人が減って来たのを見計らい、僕もレジで会計を済ませる。
明朗会計で、僕は参加料の2500円と2杯分のドリンクの料金を払いつつも、この店がボッタクリではなかった事など、気にする余裕もなかった。
まだ店に残っていたハーモニカの達人の方と、記念に形ばかりの握手をしてもらい、店を出て、そのまま最寄り駅へとひたすらに向かった。
なんにしても、僕の初めてのハイレベルなセッションデーへの参加は、これで終わったのだった。
僕はぐったりと疲れていた。
まだ宵の口という早めの時間で、駅までの道すがら、居酒屋の客引きなどに声を掛けられるのを遮りながら、ひたすらにまっすぐ歩く。
頭の中ではひとつひとつのセッションでの出来事を断片的にじゅんぐりに思い出しながら、力無くとぼとぼと歩き続けていた。
人から勧められはしたものの、「自分はブルースセッションには慣れている」と過信して足を踏み入れたハイレベルなセッションだった。最初の意地悪のせいもあったけれど、この日は最初から最後まで、良い所無しの1日だった。
肩を落とす僕は、人に聞こえるほど大きなため息をついた。

そんな時、かなり大きな声が聞こえて来た。
「やだなぁ~もう、広瀬さんてばさぁ。暗い、暗いですって~」
後ろから親し気に駆け寄って来たのは、知り合ったばかりのサックス吹きのジャガだった。
僕はあまりにも気を落とし過ぎて、すっかりジャガの存在を忘れていたのだ。
徐々に、自分のダブル・ハープのセッション以降も、ジャガが僕を気遣い、絶えず話し掛けてくれていたのがぼんやりと思い出される。申し訳無くも、僕は空返事を繰り返していたのだった。

我に返った僕は、今日のジャガの気遣いの数々に、謝るように言った。
「あっ、す、すみません。なんだか、恥ずかしくって。先に店を出てしまって。ジャガさんは、まだ飲んで行くんじゃないかと思って。え~と、今日は、ありがとうございました。いろいろと」
ジャガは笑いながら言う。
「すみませんって、何がです?セッションですか?何を言ってるんですか、今日は、たまたまコンディションが悪かったんでしょう?風邪ひいてるとか。あっ、乙女座じゃないですか?今日は最悪なんですって。まぁ、いいじゃないですか、俺なんて、コンディション最高で、あんなもんですよ」
ジャガは店の外でも同じ様なテンションだった。
僕は彼の雰囲気に救われ、少し彼をマネて陽気に言葉を返してみた。
「そんな事ないですって、ジャガさんだって、良い音出してましたよ~」
その後もジャガは、まくしたてるように笑い混じりに自虐的な言葉を連ね、気が付くとまた、僕がジャガを慰める側になっていた。
この人は本当に凄いキャラだと、つくづく感心させられる。

そして、さりげない会話の中で、ジャガは自然に「次に案内をしたい」というセッション店の話を切り出し、駅につく頃には予定を一方的に決めてしまう。
「では、広瀬さん、また合うその時に、改めて連絡先を教え合いましょう。じゃあ!!」
ジャガはさっそうと、僕とは違う列車のホームへと小走りで去って行った。

僕は別れ際のこの急展開に、心底「ホっ」とした。
実のところ、こんな時、自分からアドレスの交換を申し出るべきなのか、次の予定を切り出した方が良いのかなどを迷っていたので、この別れ方は最高の心遣いのあるものだった。
ストリート・ミュージックの頃もそうだったけれど、大人になると、すべての事が無駄に難しくなるものだ。
僕は会社の同僚などには決していないタイプの知り合いができた事が、素直に嬉しかった。

またいつものように帰りの電車に揺られながら、今日の失敗を数え上げ、それに飽きる頃、僕は次のジャガとのBarセッションを、頭の中であれこれと思い描いてみるのだった。

つづく


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