84話 ゴジラ対、悪ゴジラ①
しばらくして彼は、キレた時には言葉より先に刃物が出ていそうな印象の妙に甲高い声で、僕に向かって話し始める。
「さっき、観てたよ。良いぜ、君。なぁ?君はグッドよ、グッド!!」
親指をビシッと力強く立てつつ、嬉しそうにほほえみを浮かべる。どうやらこの人は、先ほどのステージでの僕のテンホールズハーモニカの演奏が気に入り、その僕が困っているのを見かねて、助けてくれたという事のようだ。
新たにからまれた訳では無いと少し安心して、改めて彼の方を見てみる。一見すれば確かに暴走族風でもあるけれど、それとはやや異なる、カラフルなイラストのミュージシャンのTシャツを下に着込んでいたり、指輪の彫刻がアメリカの海賊映画で使われるようなリアルなドクロのレリーフだったりと、「ロックンロールのファン」らしいアイテムがところどころに見られた。まぁ、それでも僕にとっては十分に怖いという範囲のものではあるのだけれど。
手ぶらなところを見ると、どうやら彼は、ブルースセッションにボーカルで参加をするようだ。
彼は相席をした僕と流れのままにしゃべろうという感じはなく、ステージでのセッション演奏の合間に、少しずつ気を遣いながら話し掛けて来る。いかつい感じでもマナーを守ろうとする様子は、とてもジェントルなものだった。
「あのおっさんはさ、いつもああなんだ。まぁ、あれだ、アホなんだな」
言葉選びはやはり荒っぽいものだったけれど、僕は演奏を邪魔された被害者の方なので、少し気が楽になり笑ってしまう。
彼は身を乗り出して話し始める。
「それよりさ、君さ、グッドだったよね。なに、長いの?ブルースハープ」
そのまま、彼は自分のブルースハープの挫折経験について話し始める。聞けば自分もハーモニカをやり始めはしたものの、ベンドができないという事であっさり諦めたらしい。それ以来、ハーモニカを吹ける人を尊敬してしまうのだそうだ。
そうこうしている内に、彼のセッションの順番も来たようで、「よしっ、じゃあ、俺も行って来るわ!」と歯切れよく言うと、勢い良くステージへと上って行った。
常連らしくセッションメンバー全員と軽い挨拶を交わし、パッパと慣れた様子で自分のレパートリー曲の指示を出して行く。
段取り良くスムーズにスタートしたセッション曲は、ブルースというよりはロックのテイストに近く、そのいかつい歌い方が、彼がロックバンドを率いるボーカルであるのを物語っていた。
彼のボーカルは大常連さん達のようなスタンダードなブルースの香りなどまるでせず、自分の歌い方で、ストレートに感情をぶつけるような感じだった。曲調といい雰囲気といい、僕が最初に渋谷駅のハチ公前でセッションをした人達のような、若々しい荒っぽさの漂うブルースだった。
僕は彼の参加するセッションの熱い演奏に、とても満足だった。素直にセッション演奏を楽しんでいるのが伝わって来て、時折やけっぱちになったかのように乱暴に歌い放つ様が、ブルースらしさに満ちていた。
僕はまた嬉しくなって来る。当初、恐れていた「おごらなければいけないような女の人」もおらず、現れた酔っぱらいをも追い払ってくれる、親切な怖い人がいるBar。僕は初めてにして、安全にブルースセッションを楽しめる、そんな楽園に辿り着けた幸運を味わっていた。
そんな時、耳の後ろの方で今さっき聞いたばかりの声がする。
それは大常連さんだった。
「よう、ハープの君。大変だったな。次から次へとさ。酔っぱらいの次は、あんなロック兄ちゃんじゃなぁ」
この言葉に僕は驚いた。最初の酔っぱらいの人には絡まれはしたものの、今歌っているサングラスの彼は、僕を助けてくれたのだから。離れたところからだと、僕が彼にからまれているように見えていたのだろうか。
大常連さんはステージでのセッションを眺めながら、話を続ける。
「なぁ、あんなケンカ腰でよ。『クロスロード』の見過ぎだってぇ~の。全くなぁ」
その物言いは嫌味たっぷりで、居酒屋でよく聞く悪口のような感じがした。
なるほど、どうやら大常連さんはこの彼が嫌い、そういう事のようだ。同じボーカルだし、どこでもよくある話だ。ましてや老いた大常連と若い常連とでは、上手く行かないのも無理はない。
いつの間にやらサングラスの彼がボーカルを務めるセッション演奏は終わっており、彼は派手なポーズを決めるとステージを降り、そのまま僕の隣りにドカっと座った。
気が付けば、大常連さんの方はすでに離れていた。
彼は器用にもサングラスを取らずにおしぼりで額の汗を拭き、笑いながら自分の歌について、やや自信あり気に語り始めた。
「俺よ、こういうさ、なんていうかな、自分達のロックのスピリットを引きずったまんま演っているような、そんなブルースが好きなんだよ。熱いヤツな」
彼は、そのまま自分のレパートリーや尊敬するミュージシャンなどについても語り続け、強面が一転、その人なつっこさに、僕はとても興味を持った。確かに大常連さんが言うようにケンカ越しの対応なら困るけれど、彼のは半分ポーズのようなもののようだし、別に誰かともめたい訳ではなさそうだった。
派閥なんて会社だけで十分だ。僕は初めて来たBar特有の難しさなのかなとも思い、あまり気にしないようにしようと決めた。
彼は続けた。
「なんかさ、ここのセッションって、どっか、オッサン臭いんだよ。変な常連がデカイ顔してるせいかもな。そういうオッサンは、居酒屋でカラオケ歌ってろってぇの。なぁ?」
僕は息を飲んだ。
やれやれ、こちらもそう来たか。やはりこれは、よくある飲み屋の陣取り合戦のようなものらしい。いきなり、僕は自分の立ち位置を決めなければならない状況になったと思い知った。
(うう~。実に困った事になったなぁ~。新参者の取り合いなのかなぁ~、それとも僕のハーモニカの音がよっぽどウケたのかなぁ~)
僕はこの店を紹介してくれたギタリストに相席をしてもらっていればと、強く後悔していた。
大常連さんが言う映画「クロスロード」は、そもそも僕にブルースを教えてくれた作品だった。ケンカ腰とはおそらく映画のラストに出て来る「ギターの速弾き対決のシーン」の事だろうけど、あれは娯楽作品なので、僕は今の今までそのシーンに問題があるように感じた事などなかった。大常連さんは、ストイックにならず、仲良く「エンタメとして」楽しみたいといったところを言いたいのだろうけれど。
一方、サングラスの彼はセッションの持つ「人間同士のぶつかり合い」のような部分を重要視していて「お互いの違いを本気でぶつけ合おうぜ」的な姿勢で演奏に臨み、まるで漫画の殴り合った後に友情が芽生えるシーンのように、音楽のグルーヴを作り上げたいのだろう。そういう意味では、方向の違うエンタメではあった。
まぁ、そうは言っても、今サングラスの彼が言っている大常連さんへの言葉は、もう立派に悪口の範囲だった。
僕は、突然この二大勢力のぶつかり合いの間に入ってしまった状況に困り、何かあれば「ちょと飲み物を買いに行く」と言い残し、そのまま楽器を抱えて帰ってしまえた気楽な路上演奏を、今さらながらに懐かしく感じるのだった。
つづく
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