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25話 ライブでの生ハーモニカ音

高校2年のある日、なんと当時プレミアムだった「佐野元春」の野外コンサートのチケットが手に入る。友達のお姉さんがファンクラブに入っていて、みんなの分をまとめて取ってくれたのだ。
僕の目的はもちろん、日々、丸暗記を頑張っていたライブ版「ハートビート」の長いハーモニカソロを「生で聴く」事だった。

音楽自体ほとんど聴きに行く事なんてなかった僕には、実のところこういったイベント自体が全く理解できないものだった。何千人という人が集まり「ただ音楽を聴くだけ」だというのだから。
何かを食べるでも、テレビを見るでも、ゲームをやるでもなく「音楽をただ聴く」なんて。
僕はいつまでも子供っぽかった為「今度、遊ぼうよ」という友達の誘いが、実はしゃべるだけだったのにもショックを受けたぐらいで、ただ音楽を聴くだけの集まりが理解できないのも仕方がない事だった。

迎えたコンサート当日。夕方高校の最寄り駅に集合し、電車に揺られ、クラスメイト達と修学旅行気分で会場となる横浜スタジアムへと向かう。この時のメンバーはいつもの仲良しグループではなく「佐野元春」でつながる、やや距離のある面々だった。
当時は「ライブ」という言葉が一般的ではなく、まだ「コンサート」と言っていた頃で、その響きが気恥ずかしくて、電車の中では「楽しみだよね、アレ」などと変なぼかし方をする。

友達の中では、佐野元春の事を「元春が」と通(つう)ぶって呼び捨てにする奴がいて、僕も心の中でそれに張り合っていた。佐野元春のハーモニカ・ソロをコピーしている自分こそが「元春が」という資格があるはずだと。
さらに、たまたま乗り合わせた会場行きの電車には「元春さんが」と言う業界人っぽい人も乗り合わせていて、僕は「そっちもカッコいいな」と、どうでも良い部分で揺れ動いていた。

会場に着く頃には夜になり、スタジアムには何十というライトが煌々と光り、始まる前の大音量のBGMだけで、僕らはすでに圧倒されてしまう。その興奮から、やや壁のあった友達同士の距離は一気に消え去り、それはもうお祭りのような騒ぎだった。

いよいよコンサートが始まる。少し長めのイントロが流れ、じらすように遅れて佐野元春が出て来ると、スタジアムは一瞬にして巨大な歓声に包まれる。「ただ音楽を聴くだけだと退屈なんじゃないか」という僕のくだらない心配なんて、すぐにどこかへ吹き飛ばされた。当時、暇さえあれば聴いていた佐野元春の生声で、知っている曲ばかりを自分達のいる目の前で歌っているのだから、それはもう大変な事だった。何ミリかの大きさでしか見えなくても耳に届くその歌声だけは間違いようもない。本人が今、確かにこの会場で歌っているのだ。
せっかくの音楽を前にしても、僕はまだリズムに乗るのも踊るのも自然にはできず、訳も解らず、ただピョンピョンと跳びはねているだけだった。

そして待ちに待っていた、ハーモニカが入るはずの「ハートビート」のイントロが流れて来る。それはレコードの演奏とは何かが違っていて、少しだけ気にはなった。けれどそれより、レコードにはハーモニカソロが入っていないし、その日にハーモニカを吹いてくれるとは限らない。僕は祈るような気持ちでステージを見つめていた。

横浜スタジアムが熱く揺れる中、佐野元春の歌う「ハートビート」がいよいよ後半にさし掛かる。それは僕が待ちに待った緊張の瞬間だった。
やがて「ポワワァ~ン」という、独特なベンドの効いたブルースハープサウンドが聴こえると一斉に何千人もの歓喜の声が沸き起こり、僕は激しく興奮した。
「出た!出た!吹いた!吹いた!ブルースハープ、吹いたぁーっ!!!!」
今にして思えば、僕のそれは、音楽を前にしては妙な反応ではあった。僕にとっての佐野元春のハーモニカは、まるでプロレスラーの必殺技のようなものだったのだ。

ところが、「えっ?あれれ?なんだこれ?」僕には、この事態が良く解らなかった。
その時の「ハートビート」はなぜかホーンセクション中心のアレンジとなっていて、ハーモニカソロは短めで、ブルージーなテイストでもなく、レゲエのような跳ね方のリズムで、ややコミカルな印象さえあった。延々と毎日それだけを聴いていた僕には衝撃的な違いだった。あっと言う間にハーモニカの音は消え、気付けばもう「ハートビート」は終わっていた。そのコンサートで佐野元春がハーモニカを吹いたのは、結局その1曲だけだった。
その日のアンコールは鳴りやまず、コンサートはいつまでも続いた。

横浜からの帰りの電車には汗だくの高校生集団が、興奮さめやらずといった感じでいつまでも盛り上がり続けていた。コンサートの後、みんなは代わるがわる僕に言う。
「吹いたね?ハーモニカ。あれが広瀬の言うブルースハープだろ?」「おう、そうなんだろう広瀬?あれハーモニカだよな?」「そうそう、広瀬の持ってるやつ?あのちっこいハーモニカ」「広瀬君のと同じなの?へ~、いいじゃんいいじゃん。元春と仲間じゃん」

僕は得意気に佐野元春のハーモニカソロについて語った。ビデオ版との違いや長渕 剛との吹き方の違い。ベンドの難しさやKeyの事なんかも。
ただ実のところ、僕は絶叫しすぎて、ハーモニカの音をあまりよく聴いてはいなかった。
とにかく、僕はこの日、初めてミュージシャンの生のハーモニカを聴けたのだった。

つづく


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