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37話 初めてのスタジオ①


デザイン学校の授業はさらに過酷になり、課題の厳しさから半年と経たず学校を去る生徒まで出て来た。僕も課題制作の作業のため学校への泊まり込みを続け、一週間の半分くらいが徹夜という時期すらあった。
そんな多忙を極める日々が、たまたま連休などが重なった事で少しだけゆとりをもてるようになった頃、タイミングよく高校の同級生Q君から久し振りの電話連絡が来た。
卒業後もバンドを続けようと約束をしながらも、結局学校の課題が忙しすぎて、彼と会う機会すらほとんどなくなっていた。

Q君は、高校生の頃の楽器仲間でバンドを組む話が盛り上がり、地元の「練習スタジオ」をとるので、僕にも来ないかと誘ってくれたのだ。僕ら以外はベースとドラムという2人で、まさにブルースバンドを始められそうな4パートが揃っていた。
課題ばかりの日々で、すっかりハーモニカの事はオマケのようになっていた僕にはまさに渡りに船だった。僕は二つ返事でこの話に乗り、スタジオの場所を聞き、集まる日時などを決めた。

そして迎えた当日。僕は初めて音楽スタジオの前にいた。そこは楽器店の中にある訳ではなく、スタジオだけで運営しているようだった。僕が初めてテンホールズを買った楽器店で「練習スタジオ」と書かれた場所を遠目で見かけてから、すでに4、5年の月日が経っていた。不良だらけの時代とは打って変わって、ビジュアル系のバンドも増え、スタジオ自体がずいぶんとカジュアルにもなっていた。
(いよいよこの場所に入る事になるのか)と感慨深く扉を開こうとする僕を、Q君が呼び止め、ポツリと言った。
「今日のスタジオ代だけどさ」と。

なんと当時の無知な僕は、スタジオに入る事自体にお金がかかるという事を、全く想定していなかったのだ。学校ではいつも空き部屋があったし、練習はいつもQ君の家でするのが普通だった。「ハーモニカを吹く=タダでできる楽しい事」という固定観念が、初めて崩れた瞬間だった。僕はとっさに抵抗した。
「帰ろうよ、こんなの嫌だよ!お金もったいないよ!」
Q君があきれた顔で言う。
「何言ってんだよ、広瀬。今帰ったら、キャンセル料とられるよ」
Q君が誘った他のメンバー達もこれに続く。
「そうだよ、いいじゃん、ゲーセンで遊んだと思えばさ、安いもんだぜ」
「こうしてる間にも、お金かかってんだよ。な?行こうぜ、広瀬君」
ドラムのメンバーなどはもちろんスタジオに入るのが普通なので、それを拒む僕がさぞ滑稽に見えた事だろう。
とにかく「揉めている間にもお金はかかっている」という逃げようのない事実から、メンバー全員の説得に負け、初めてのスタジオという感慨深さもへったくれもない、誠に残念な、うなだれながらの入室となってしまった。

受付をするのもアルバイトのバンドマン、各スタジオの小窓から見えるのもバンドマン、サロンで飲み物を飲んでいるのもバンドマン。僕にはまるで落ち着かない環境だった。
そのひとつに僕らは入る。5cm以上もある分厚い防音扉は、恐ろしいほどに重かった。中に入ると一旦空気が止まったような沈黙と、声だけが膨らみなくストレートに聞こる不自然さに戸惑う。
当時は喫煙がOKだった為、タバコの匂いが染み付いた壁、床一面にシールド(マイクなどのコード)が散乱し、黒色塗装だけの味気ないマイクスタンドが立ち並んでいる。

家にある兄の物とは明らかに違う大型のギター・アンプは、冷蔵庫ほどの大きさもあり、それが縦に積上がっている。部屋の隅にはPA(音を管理する機械)と呼ばれるツマミだらけの操作機器がデンっと置かれていた。
それらの全てを(壊したら弁償だろうな)という心配が僕の頭をかすめ、(やっぱり来るんじゃなかった)という強い不安がのしかかって来る。しかも帰りには部屋の使用料まで払うのだから、やはり自分には場違いだったという後悔しかなかった。

つづく


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