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119話 僕の最優先事項①

僕がブルースセッションに通っていたBarで、バーテンダー見習いとして働き始めてから、早くも半年が経っていた。
一人での店番も当たり前となり、店を開けてからセッションイベントと、その後のBar営業をこなし、店を閉めるまでの全ての仕事を自分だけで任された日もあった。
その頃、マスターは新しい店の目玉として「中国茶のカクテル」を始めるも、これがカクテルではなくお茶そのものがウケて、店は目新しいカフェBarのようなテイストを持ち始めて行った。マスターはさらにその流れに乗るべく、時間を見つけては次の営業戦略のための二の矢三の矢を探して動き回っていたらしい。
全く店に出て来ない日でも、マスターは終わる頃に一旦店には来て、レジの事をやり、僕に日当を現金で手渡しし、火の元などの点検をして、そのままよくファミレスで夜食を奢ってくれた。

僕は家に帰るのがいつも午前2時3時を回るのが当たり前となり、かみさんも僕が飲食業で出直すべく頑張っているのを応援したいという部分はある半面、夜に自分一人で家にいなければいけないという不安の狭間で、さぞ淋しい日々を送っていたはずだ。
そんな気まずさもあって、僕はこの生活が報われるのは自分が店を出し、それを軌道に乗せる事だけなのだと、それだけが今までいい加減にコロコロと進路を変えてきた自分が、周りの人達を納得させられる唯一のゴールなのだと、これまで以上に思い込んで行った。

店で料理をするようになってからは、家でも遅めの昼食と早めの夕食は僕が作るようになっていた。料理に慣れてしまったせいもあるし、実際に生活時間的に洗濯や掃除などの家事はほとんど出来ないのだから、家事の役割分担として自然ではあった。
もちろん店に出ない日もあるのだけれど、店以外でも、僕は夜出掛け、帰りが夜中になる事が多くなって行った。
自分の出演するライブの方も精力的にこなしていたし、音楽の店で働いているからこその付き合いも増え、時間を見つけてはさまざまな店に顔を出すようにもなっていたからだ。
それらの日も合わせると、僕は夜ほとんど家にいないと言ってもいい状態で、間違いなく完全に夜の世界の住人となっていた。

ハーモニカの演奏を収入を伴う仕事と考えてはいたのだけれど、店で働くようになってからは、そのブッキングの見極めがさらにシビアなものになって行った。
ギャラありきの貸し切りのような演奏なら良いのだけれどそのような話ばかりではない。とにかく、マイナスになるようなライブ運営では困るのだ。「今日はお客が入りませんでした、はい赤字です」では済まない。ある程度の歴のあるメンバーと組むようになってからは余計にそうだった。
演奏レベルは高くて当たり前、けれどイベントとして赤字ならば、結局はメンバー同士、そのユニットにはお互いに積極性が無くなって行くのだ。

この頃になると、バンド仲間の中で僕だけは特殊な事情を抱え始めていた。出演する店側から「ああ、あのBarの店員さんね?よろしく~」なんて言われ、まるで身内のように扱われ、自分の店の接客にも協力するのが同業者としては当たり前という態度を、露骨にとられるようになったのだ。
それがハーモニカの演奏で客を沸かせろというならまだ頑張れるのだけれど、遠回しに、お客さん達にもっと呑むように勧めてくれだの、できれば出演する僕のバンドメンバー達にも、何か食べて帰るように勧めてくれだのと言われるしまつだった。
ただのバンドマンなら「冗談じゃない!そんなのはお断りだ!」で済むのだけれど、僕だけはそうはいかなかった。奏者として人気がなく集客も見込めないのだから、(君だって店側の人なんだから、こんなお客さんの入りだと、店が大変なの分かるよね?)という無言の圧が、常に掛かっていたのだ。
仕方無しに、自分だけは無駄にドリンクをお代わりしたり、何かを食べたりはするけれど、さすがにそれをメンバーにまでは強要できない。
僕だって正直赤字は困る。店で働かせてもらっているだけで、まだまだ見習いとそう変わらないのだから、同業者にこびを売るまでの余裕も無ければ、メリットだって無いのだ。

それが出来ないならと、店側は集客のできないバンドに、別の要求をして来るようになる。前半を自分達のライブとしてやって、後半をお客さんも飛び入り演奏で参加できるセッション形式にしてはどうかと勧めて来るのだ。
僕の働く店でも、自分が演奏で参加できるとなれば、そのライブは確実に集客が見込めるものになる。どんなに無名なバンドでも、その効果はハッキリと出ていた。
現にこの頃、かなりのメジャーなミュージシャンですら半強制でこのようなライブ形式にされていて、地方巡業で集客するための最終手段のようになっていた。しかし、そのせいでアマチュアが遊び半分にステージで交じる事から、本来のバンドのファンの人達が求めていたようなステージングが観られず、結局は場としてのライブが崩れて行き、不満を募らせ、なおさらに次からの集客を難しくさせて行った。
僕の働いていたのはセッションイベントで人気の店だったので「その路線で君が人を集めてくれば良いだろうに」と、半ばこちらの店の常連を狙っているかのような物言いをされる事もあった。

さすがに店同士の関係が崩れないくらいには笑顔でごまかし、そういう店にはもうライブをブッキングしないようにはするのだけれど、僕自身が、だんだんとそれぞれのバンドのメンバー達に煙たがられるようになって行った。つまり店側関連の人間がいると、売上責任まで問われがちになるという事を、メンバー達が気にし始めたのだ。
そんな事から、僕もなんとなく自分からは積極的なブッキングをしないようになり、誘ってくれる話を待つだけの、受け身な状態になって行った。

では、自分の働く店ではライブはやらないのかというと、そこにはまた別の抵抗感があった。身勝手なもので、自分の職場では、店として儲かるバンドしかブッキングしたくないのだ。
多くのバンドが、「おい、広瀬の働いている店は、どうなのさ?それこそ、仲いい常連さんとか呼べないの?」と、そう聞いて来る。
僕だって働く前はそれを期待していたものの、それこそセッションイベントで人気のある店な訳だから、「広瀬さんのライブはセッションOKですか?」と聞かれる事を思うと気が進まなかった。

当時の僕の参加していたいくつかのバンドの中で、唯一固定ファンを抱えていたチームがあった。メンバーは全員高齢で、古株のバンドマン達だ。よく、名古屋にライブハウスなんて無い頃に、アメリカで直接レコードを買いつけ、人を集めて洋楽を聴かせてやったもんだなんて話をしていたほどだ。
全員がプロではないのだけれど、十分にギャラが取れるレベルではあった。メンバー本人達もある程度経済的な余裕もあって、長年のバンドのファン達の中には、広告代理店の人やカメラマン、デザイナーや輸入家具のバイヤーなどクリエイティブな職業の人達が目立ち、ライブとなれば、全体的に羽振りが良さそうな集まりとなった。

そのバンドは僕の働くBarでもブッキングをしてくれたのだけれど、お客も十分に入り、みな僕にも気を使い、積極的に酒を呑んでくれていた。僕はマスターに対しても鼻が高く、滅多になかった気遣い不要の演奏時間を過ごす事が出来た。
一方、僕の顔を立てようと、セッション参加のない聴くだけのライブなのに顔を出してくれた店の常連さんもいてくれたので、バンドメンバーに対しての僕側の面子も保つ事もできた。
ただそういう集客に恵まれたライブを定期的にとまでは難しく、季節に一度の頻度でというくらいのものだった。集客のできるバンドには、別の店での定期ライブだってあるのだから。

その日のライブが終わり、僕は店の常連さん達に深々と頭を下げ、サービス精神から長めに話し込んだ。
その中の一人が、自分はセッションでしか僕のハーモニカ演奏を知らなかったので、「ご自分のバンドでなら、何倍も素晴らしい演奏なのですね!」などと、興奮しきりだった。
そして、さらりとある質問をして来た。
「広瀬さんて、ジャズはやらないんですか?」と。
僕は最初は(えっ?ジャズ?何の事?)と一瞬頭が白くなりかけながらも、すぐに我に返り強めに首をふって「ジャズはできないですよ」と否定した。
よく聞いてみるとその常連さんは、バンドの選曲の中にジャズっぽいアレンジをされたものがあり、僕がそれを簡単そうに吹いていたので、その延長線上で、普段はジャズも吹いているのかもしれないと思ったようなのだ。
僕はこの常連さんの質問に少々首をかしげるモノがあった。自分の記憶でも、この日のライブでジャズ風の曲なんて演奏しただろうかと。

確かに、そのバンドのボーカルはかなりの歌唱力で、レパートリーも豊富だった。社交ダンスの生演奏をする総勢20人のビックバンドでも仕事として歌っているほどで、もちろんジャズだろうがソウルだろうが、なんでもこなせる逸材だった。ただバンド側がアコースティックのブルースっぽい選曲が中心のだったので、残念にもライブではそのレパートリーのほとんどを活かせてはいなかった。
となると、一体どの曲の話なのだろうか。
そしてよくよく話を聞いて行くと、それはジャズっぽくはあっても、ジャズの曲ではなかった。僕がハーモニカを「インストゥルメンタル」で演奏した曲の事だったのだ。

ブルースの店ではほとんどが歌のある曲だ。多少コードが複雑だったり、ややジャズのような4ビートっぽく演奏するものは、とかく「ジャズっぽい」と言われるのだけれど、まさか「インストゥルメンタル=ジャズ風」と誤解されるとは、夢にも思わなかった。
もちろん相手は大事な常連さんなので、それを訂正する事まではせず、褒められた礼を言い、店の入り口までお見送りしつつ「また店のセッションデーで」と約束をした。

その常連さんを見送った後、僕はぼんやりと考えていた。
確かにインストゥルメンタルの曲をテンホールズで吹く人は少ない。多くは複音ハーモニカだろうし、ジャズなら必ずと言って良いほどクロマティックハーモニカなはずだ。
僕の演奏力を見込んで、ボーカルがわざわざ自分の出番を削ってまで1曲だけ入れてくれたインストゥルメンタル曲のレパートリーだったのだけれど、ソロ演奏をする僕の方は歌無しでは聴く方も暇だろうにと思っていたくらいだ。それが印象に残ったというのも意外な感じだった。

店内に戻り、自分の仕事のクセで、ついステージの機材類まで片付けようとしていると、バンドメンバーの1人が僕に言った。
「広瀬君さ、ジャズはどうなの?できるの、ブルースハープで?」
先程の話を何気なく聞いていたようなのだけれど、僕は繰り返し否定する。それにジャズの話ではなかったのだ。
他のメンバーも集まって来る。
「まぁ、今日くらいの感じのバッキングでいいんなら、やれない事もないよ。大体が、今日演った『ジョージア』や『ジーベイビー』だって、俺達はブルースっぽく演っているだけで、そもそもはジャズナンバーなんだからさ。どうする、そこら辺の曲、ハーモニカ用に増やしてみるか?」
僕は強く首を振る。冗談じゃない、ジャズっぽいならまだしも、ジャズ曲はテンホールズ向きじゃないし、そもそもやりたいジャンルでもないのだ。ただでさえ気軽にライブをやる機会が減って来ているのだから、せめて得意な曲を全力で演奏させて欲しいものだ。

僕の表情を見て、メンバーがからかう。
「なんだ、広瀬君、ジャズはやれねぇのか。まぁ、そう言うこっちだって、ジャズはちょと‥‥だわなぁ~」
「そうだな。正直、お互い様ってとこだわなぁ~。まぁ、全員そうか?」
メンバー全員で軽く笑いながら、話はそれで流れて行った。

けれど、この「ジャズができないのか?」という質問が、今後の僕のハーモニカ人生にとって、かなり大きな転機を作り出して行く事になる。

つづく

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