92話 ビギナーコーナー②
ビギナーだからヘタなのか、ヘタなままだから、ビギナー扱いなのか。お互いがお互いを信頼しようとしない最悪のセッション曲は、いつまでもだらだらと続いていた。
そして、誰もが逃げ出したくなるような演奏の中で、ギターを担当する参加者のソロが終わりに差し掛かろうという頃、いきなりそれは起こった。
「アー、アアー、ウー、ヘイヘイ!!」
誰も使っていなかったスタンドマイクを奪い取るように突然始まったその声は、まさにハプニングといった出来事だった。
それはギター・ボーカルでリーダーを務める参加者の声ではなく、いきなり発声練習らしきものを始めた、サックス吹きのジャガだった。
「ヘイ、ハープ♫、ヘイ、ハープ♫」
ジャガはある間隔で、メロディーに乗ってその言葉を繰り返し始める。それはまるで、「ジェームス・ブラウン」のバックコーラスの「ゲロッパ」のようだった。
これにはさすがに驚かされ、僕はただ呆然とその様を見つめていた。
僕同様に驚く参加者達が少々手を止めがちになり、若干その雑音が薄めになった瞬間があった。
ホスト・バンド側のドラムとベースはそれを見逃さなかった。
「了解」とばかりに、今までのリズムをあっさりと捨て、瞬時にジャガの発する声のフレーズに自分達のリズムを合わせて行く。
それはリズムチェンジというより曲を変えてしまったくらいの違いで、メドレーに近いようなつなげ方だった。ただ、ホスト・メンバーならではのテクニカルな伴奏なので、その無理矢理さは聴いていてさほどの違和感を感じさせないものだった。
自分の意図がホスト・メンバーに伝わったと確信したジャガは、今度は「ヘイハープ♫」のタイミングで、自分のサックスで短めのフレーズを鳴らし始める。それはサックスのソロではなく、明らかにバッキング側のものだった。
その流れ全体が、僕のブルースハープをフューチャーするための、ジャガの即興のアレンジだったのだ。
やりたい放題だったビギナーのギタリスト2人も、どうして良いのかわからないキーボードも、さすがにこれには従うしかなかった。ほどなくして、全員が一致しての「ハープのソロ待ち」となった。シンプルな上、合わせやすいこのバッキングに、ビギナー達が初めてそれなりのハーモニーを奏でた、奇跡の瞬間だった。
先ほどまでの足の引っ張り合いを見ていれば、このメンバーが最悪であると言わざるをえなくとも、やはりハーモニーが生まれれば場の空気は一変する。
ジャガはサックスを鳴らしながら、ブラス・セクションがするように自分の楽器を左右に振って(さぁ、ハーモニカ・ソロを吹いて)と、大きな素振りで僕を誘って来る。
そこまでされては(そんな、特別扱いは困りますよ!)なんて遠慮してもいられない。僕は思い切って、自分のハーモニカで力一杯のアドリブ・ソロを吹き鳴らした。
その日初めてとなる僕のハーモニカのフレーズは、ちょうど良くブルージーな歪みをおびて、バンドに印象的なサウンドを加えてくれた。いつもなら少しビビリながら小さな音で様子を見る僕が、出音からアクセル全開の感じで演奏に臨めていた。それが自然に出来るほど、ジャガのリードが完璧だったからだ。
そのアドリブパートは、2小節くらいの単位でジャガの短いサックスのオブリが入るため、リズムこそ安定するものの、ハーモニカ・ソロの自由度はあまりなかった。とはいえ、それに合う吹き方はある程度決まって来るため、結果僕の演奏には迷いが無く、堂々とそれに乗っかって行けた。
この日初めての僕のハーモニカのソロ・プレイに、客席からはわずかに歓声が漏れ始める。ジャガが評価してくれたように、僕はまだ演奏技術や経験は未熟でも、出音にはそれなりに魅力があったからかもしれない。
今までの高等技術のオンパレードにも冷ややかだった人達までも、軽い声援を出し始める。とにかく、確実に曲が盛り返し始めたのだ。
けれど、その状態は長くは続かなかった。
僕のソロの終わりまで待てず、途中でビギナーのギタリストもアドリブをやりたくなり、勝手にソロを弾き始めてしまったのだ。
やはりすぐに全体がガタつき始め、一気に元のひどかった状態へと戻されて行く。
やがては取り返しのつかないような状況になり、あるタイミングでホストバンドのベースとドラムが目配せをし、同じく、その目配せに気がついた僕とジャガがそれに乗り、強制的に曲をエンディングへと向かわせた。
そのまま、地獄のように長かった曲がなんとか終わりを迎えると、まるで「終わって良かった」とばかりの、嫌味な拍手喝采に包まれる。
終わるやいなやステージではビギナー達からの不満が続出する。誰もがお互いの演奏や合図を責め始める。その様子は、まるで紛糾する国会中継を見ているようだった。
そのやり取りを隠すかのように、いきなり大きめのBGMが店内に流れ、店の照明もやや明るめなものとなり、強制的にセッションは休憩時間へと突入した。
ジャガは、セッションが大成功したかのように満面の笑顔で、僕の肩を叩きながら抱え込むと、他の人からは話し掛けられないようステージから連れ出すように降りる。そして元の席に戻るなり、互いのドリンクで大きく乾杯をしてみせる。
僕は改めてこのジャガのキャラが持つパワーに圧倒された。
この時、僕は生まれて初めて、音楽について学んだのかもしれなかった。お互いが足を引っぱり合うような最悪な状況でも、音楽の力なら、十分にそんなものは盛り返せるのだと。しかもそれを、実際の演奏を通して教えられたのだ。
それはハーモニカという楽器の事ばかりを考えていた当時の僕には、とても大きな変化だった。誰がどう演奏するのかではなく、みんなでどうするのかという視点が、セッションでは最も大切だったのだ。
気が付くと、僕らの真横にマスターが来ていた。マスターはジャガの両肩を揉みながら、疲労感を漂わせつつも、感無量といった表情で言う。
「ナイスだ、ナイスだったぞ、ジャガ。さすがだよな。ライブハウスの強い味方。まさに一家に1人だな、ジャガ」
マスターはジャガにお礼を言いに来たのだった。
そしてマスターのその視線の先には店の入口があり、不満気に帰ってゆくビギナー集団と、レジを打ちながらペコペコ頭を下げるバイトの店員さんの姿があった。
どうやらマスターはその状況から逃げて来たという事のようだった。
マスターはレジ側に背を向け、さも僕らに話をしているように小声で言った。
「避難、避難。もうちょこっと、こっちにいさせてな」
マスターからしても、できれば来て欲しくない人達だったようだ。とはいえ出入り禁止にするような問題ではなかった。これが音楽の、いや、セッションという分野を扱う接客業の難しいところなのかもしれない。
マスターが急に表情を明るくさせ、今度は僕に向かって言った。
「君さ、広瀬さんだっけ?まぁ音は良いよ。最初はちょっと『あれ』だったけどさ」
やはり最初の曲で僕がソロを演奏できなかった事を、マスターは僕の不慣れのせいだと思っていたようだった。
まぁ何はともあれ、今の短い演奏だけで、マスターは僕を見直してくれたようだし、結果オーライと言ったところだろう。
ジャガは、また大げさに僕を盛り立て始める。
「でしょう?ね?だから、言ったでしょ?広瀬さんいいよ!!すごくいい!!」
僕は照れてそれをさえぎりながらも、密かに、これで「汚名返上」ができたと思った。
マスターは僕に「もっと参考にすると良いハーモニカ奏者」や「オススメのバンド」などのアドバイスを続け、そして大きく「うん」とうなずくと、客席を見渡し、ステージへと向かった。
ステージのマイクの前にマスターが立つと、すぐにBGMが落とされ、照明も再び暗くなり、後半をスタートさせる流れに入った。
マスターが後半の組み合わせを話している間、ジャガはそれに言葉を重ねるように、僕に話し続けていた。
そのジャガの話では今のマスターのアドバイスは、気に入られた証であるとの事だった。
僕は驚いた。アドバイスはありがたいものの、聞いていると「勉強が足りない」と言われたようなものだったので、少々しょげてもいた所なのだ。
「ねぇ、だから言ってるでしょう!結局は音色っ!広瀬さんはそれがあるんだから、これからどんどんイキますよ!ね?ね?広瀬さん!」
ジャガの物言いは説得のようだった。「どんどんイケる」とはどういう事だろう。もっとハーモニカが上手くなるという事なのだろうか。
確かに音色が良ければ、後は技術を磨けばいいだけというものなのかもなぁと、僕は少しだけ自分のハーモニカに自信がついた気がした。
そして数曲のセッション曲が続いたのち、マスターから僕が入ったセッションの組み合わせが読み上げられた。
それは僕の楽器「ブルースハープ」ならではの、宿命的なものでもあった。
「よし、じゃあ、ダブル・ハープ、やってみるか?ね?『因縁の対決』って感じで」
こうしてマスターの思いつきで、ハーモニカ同士の熱きセッション・バトルが幕を開けるのだった。
つづく
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