見出し画像

86話 第三の勢力

最後に呼ばれたのは「ボンさん」という50代くらいの男性で、それまでのセッションには1曲も出演していなかった人だった。その日の最高のメンバーを選んでのセッションでラストを飾るという趣旨からも、店にいる誰もが納得のいかない流れではあった。
ボンさんはフラフラしながら客席をかき分け、酔った足取りでゆっくりとステージに上がると、司会の店員の男の子をからかうように、まず頭に軽くチョップを入れる。どうやら、気楽な仲のようだ。昭和を感じさせるくるりとカールした長めのボサボサ髪のやぼったい中年の男性で、いかにも酔っ払いといったご機嫌な赤ら顔だった。

ボンさんはマイクの前に立ち、ふらつく自分を支えるようにスタンドを握ると、脱力した感じで話を始めた。
「え~と、みなさん、こんばんは、っと。ボンです、っと」
その言い方は面倒くさそうで、見事にろれつもまわっていない。隣で店員の子が同じマイクを使い助け船を出す。
「はい、みなさん、このボンさんはですね、この店が移転する前の頃からの、ねぇ?、ボンさん、あのボロい店の頃ですよね?」
ボンさんは笑いながら返す。
「あ~、ボロかったよな。臭かったしな。ははは」
返す言葉はそれだけだった。
気まずい空気の中、また店員の男の子に司会が戻る。
「はい、僕も、まだ高校生でしたもんね。おっと、すみません、ただの昔話です。ボンさんはその頃からの常連さんで、今日はホント、久しぶりに来てくれたんですよ。という訳で、急遽、今日のシメのセッションへの参加をお願い致します!!」
店員の男の子は嬉しそうにボンさんに進行を引き継ぎ、カウンターの中へと戻って行く。

残されたボンさんはだらだらと話し続ける。
「あいあい、すいませんね、お邪魔しちゃってね。え~と、じゃぁ、曲はね、あれでいいか?久しぶりにさ。なぁ?」
ボンさんは遅れてステージに上って来たボーカルの大常連さんに話を振る。もちろん2人は古くからの知り合いのようだった。
「『あれ』かい?まぁ『あれ』で解るんだから、ほんとに、代わり映えしないよな、お互い。わははは、そういやさ、あいつさ、入院しちゃったよ、びっくりだろ?」
2人はまさにツーカーの仲といった感じだ。
ステージ上ではしばらくマイクを通した誰に聞かせる訳でもない会話がダラダラと続き、なかなかセッション演奏が始まりを見せない。店はすっかりだれてしまって、荷物をまとめ帰る準備をする人まで現れた。
すでにグダグダになってしまった空気の中を、僕だけが真剣にステージに注目をしていた。

ボンさんは歴のあるテンホールズハーモニカ奏者な訳だ。一体どんな演奏をするのだろう。「古くからの」というと、ひょっとしたらお忍びで来た、有名なプロのハーモニカ奏者なのかもしれない。きっとベロベロに酔っ払っていたって、最高の演奏をするに違いない。それこそ「ジャッキー・チェンの酔拳」のごとく、酔えば酔うほどに本能だけで演奏をするなんていう深い世界なのかもしれないのだ。

やがてイントロが始まると、その段階で、ようやくボンさんはポケットから2本の使い込まれたハープを取り出す。そのハーモニカの劣化の跡が年季を感じさせた。機種はトンボの「メジャーボーイ」で、外側にはペコリとひしゃげた部分があり、あまり楽器を大事に扱ってはいないようだった。そこにまた、ブルースマンっぽさが漂って来る。
大常連さんが自分が歌うのを遅らせ、あごでクイッと合図を出し、ボンさんにハーモニカのイントロを吹かせようとする。僕はいよいよの瞬間に息を飲む。
そしてボンさんが軽くハーモニカの音を出してみるや、その実力はすぐにあらわになった。

大常連さんは腹を抱えて笑いながら言った。
「わははは!!ボンさん、相変わらず、最低だな!!わははは。変わらんな、全然!!」
大常連さんの笑いにつられて、客席からもまばらな笑いが漏れ広がる。
そのハーモニカの音は汚く、シブいと感じさせるカスレ具合もなかった。かといって無骨な男の乱暴さという感じでもなく、ハーモニカにはありがちな子供のようなぎこちないヘタさそのものだった。期待をさせられただけに、僕の落胆は大きかった。

店員の男の子の言う通り、ボンさんは古くからの、しかもこのBarの前の店舗時代からの常連さんという事で、久しぶりの来店が大事なだけで、ハーモニカなんてヘタでもなんら問題はないのだ。
そんな残念な展開に、気楽に笑っている人がいる反面、セッションという公の場でもあるので、腹を立てる真面目な人達も出て来る。当然、その中にはサングラスの彼も入っていた。
彼はすぐに不満を口にし始める。
「なんだよ、このおっさんがシメかよ。俺がこいつをシメてやろうかな。な?広瀬さん、そうだろう?」
彼はジョークも戦闘モードだった。
僕はとりあえず相席の彼をなだめる。
「まぁまぁ。なんか、味がありますよ。年季っていうのかな。ははは」
サングラス越しでも彼の眼光がどんどん鋭さを増して行くのが解る。
「いいのかよ、広瀬さん、あんなのに最後を任せてさ。言っちゃえよ、俺が吹くってさ。俺の魂のブロウで、天国見せてやるってよ。なぁ?」
その言葉選びはすでにケンカ腰の範囲を超えていた。
けれど、確かに彼の怒るのも無理もなかった。ブルースセッションは「娯楽」とはいえ、今日には今日のドラマがあって、その日のラストならそれなりにドラマティックに盛り上がってシメたいものだ。
不満げにざわつく店内に、最後のブルースに乗って、ボンさんのヘタっぴなブルースハープ演奏と大常連さんのマイクを通した大きな笑い声が、いつまでも店内いっぱいに響き渡っていた。

最後のセッション曲が終わるまでには、すでに客の数人が店を出ており、奥から出て来たマスターらしき人物が参加者にお見送りをしながら、時々笑いつつ頭を軽く下げ、片手で「すいません」とやっている姿が見える。その様子だと参加者達からは少々のクレームがあったようだ。それは参加者達の出番数などへの不平なのか、それともボンさんのハーモニカへのものなのか。

僕はラストセッションを最後まで聞き、店のBGMが入ったのを確認してから、ハーモニカを布ケースへとしまい、出口の方へと向かった。
店の客の半分近くがレジの前に列をなしていた。キャッシュオンなので会計は済んでいるものの、誰もが今しがた奥から現れたマスターと一言二言話したいようで、それが出口の渋滞になっていた。
ようやく僕が出口に差し掛かる頃になると、僕にこの店に紹介したギタリストが横から顔を出し、軽快に紹介をしてくれた。
「マスター、どうよ?広瀬くんっていうのよ。どうよ?ねっ、いいでしょ?彼のブルースハープ!!」
紹介された僕は慌てて会釈をし、軽く自己紹介をした。
初めての参加だったのもあり、お店のマスターと店員の男の子が並んで、特に丁寧なお見送りをしてくれた。また、これからも通えそうな関係が作れそうな好反応だった。自分でもある程度の回数を通えば、それなりにこのBarの常連になれるのかもしれない。

サングラスの彼は、店のすぐ外で僕が出て来るのを待っていたのか、顔を見るなりがっしりと握手をして来て、「じゃあ、また!!」と軽快に言い放つと、さっそうと大股歩きで去って行った。最後まで実に男っぽい人だった。
一方の大常連さんはステージを降りず、ボンさんといつまでも笑い合っているのが見えていた。割って入ってまで挨拶をするものなんなので、結局そのままとなってしまった。

駅に向かう帰り道、店を紹介してくれたギタリストと2人で並んで歩いた。
途中、ギターを抱えた参加者達を見掛けるのだけれど、店を出ると不思議と誰もが他人のフリだ。店の薄暗さと大音量が、一時的に人を社交的にさせるだけなのかも知れない。
ホームに入った僕らは電車を待ちながら、本日のセッションでの名場面をお互いに話して行く。
僕が「大常連さん」と「サングラスの彼」の話題を持ち出すと、ギタリストの彼も「困ったもんだ」と本音を漏らし始める。
そして少しだけ真面目な顔で言った。
「そうだな。広瀬君は意外に気を使うタイプみたいだから、かえってもっとハイレベルなセッションの方が、楽なのかもしれないな。演奏レベルが高いと、それはそれで最初はいろいろと大変なんだろうけどさ。まぁ俺くらいの趣味レベルの腕なら、誰ともモメずに上手くやれるんだけどね。まぁ結局、どの店もみんなオヤジ軍団だよ。いいな君は、まだ若いからなぁ!」
そう言うと、僕に紹介したいという演奏レベルの高い「別のBar」の情報を教えてくれた。

そのBarへの行き方や店の機材類の話をしている内に、やがて彼の乗る電車が先にホームに入って来た。
車両に乗り込む彼の背中には、中年の哀愁があった。僕は彼を見送り、自分が乗る次の電車を待った。

ここでようやくひとりになれた僕は、大きなため息をついた。それが僕の初めてのBarでのセッションイベントの終了のようなものだった。
僕はホームに入って来た電車の先頭を迎えながら、指先ではハーモニカの入った布ケース越しに張り出した凹凸の感触を追っていた。気のせいか、まだほのかに熱が残っているような暖かさを感じた。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?