6話 初めてテンホールズハーモニカを吹く
テンホールズハーモニカに息を入れるや否や「ボォー」と、低い変な音がした。
「あれ、なんだこれ?」
何度か試すものの「ボォー、ボォー」と変な音しかしない。
吸い込むと「ビャー、ビャー」と、ちょっと違和感のある感じの、低い嫌な音がした。
僕はすぐに(あっ騙されたんだ!!)と思った。長渕 剛が吹いてるやつとまるで違う。ヒューイ・ルイスのとも違う。やっぱり、子供だと思って、変なものを売り付けられたに違いなかった。
けれども今更気づいたところですでに手遅れだった。さすがに口をつけてしまった物を店に返品する事などできないだろう。
(あーあ、やっちゃったよ。小遣いはたいて、変な物を買っちゃった)
僕は、ため息混じりに「ボォー、ボォー、ビャー、ビャー」と音を鳴らし、時折手をパタパタとやってみる。返品できない以上、もう自分が持っているしかないのだ。
吹き込んでいる息が安定しないせいか、ハーモニカから出る音が、フラフラと揺れているような感じがする。
後にして思えば、それこそ「ブルースのハーモニカらしい響き」ではあったのだけれど、まだそんな事になど気づこうはずもない。
ハーモニカの横に書かれている「G」というアルファベット表記はKey(キー)と言い、ハーモニカの音階の事だった。ドレミファソラシドの音階をCと表記する。
僕の買ったハーモニカはGなので、ソからソラシドレミファ#ソと、ドレミファソラシドと同じ音の間隔で上がっていく音階だった。
ハーモニカはこの音階によって、本体を選び持ち替えて演奏するという珍しい楽器だ。全てに対応するためには12本(12Key)のハーモニカが必要となる。
ちなみに一般的にはドレミ音階のCのKeyを買うのが普通なのだけれど、何も知らない僕はGから順にA、B、Cと音が高くなって行く品揃えの、一番低い音階の商品を、運悪く選んでしまったのだった。
僕は、今までについた事のないほどの、大きく深い溜め息をついた。そのせいで、手の中の小さなハーモニカは、一際低い「ボォー」という鈍い音を響かせるのだった。
そして、何事も無かったかのように日々は過ぎて行く。
僕は、漫画仲間のところへは小さなハーモニカを持って行かなかった。騙されて変な物を買わされた事を、知られたくはなかったからだ。
それどころか今までクビから下げていた小学校の頃のハーモニカの方も、もう持っては行かなくなっていた。早くみんなに自分とハーモニカの関係を忘れて欲しかったからだ。
漫画仲間とはいつまでもマンガやアニメの話を続け、小さなハーモニカの事は家の机の引き出しに仕舞い込んだまま忘れていた。
何がきっかけだったかは忘れたけれど、ある時、思い出したように小さなテンホールズハーモニカを取り出して、手をパタパタとやってみると、相変わらず「ボォー」という変な音しか出なかったけれど、しばらくそれを繰り返す内に、不思議とその音自体が。そんなに嫌では無くなって来た。
考えてみると「思っていたものとは違った」だけで、これはこれで「オモシロ笛」としてはなかなかの物だった。
そう思い始めてからは、僕はしばしば、部屋でこっそりと、その音を出しながら手をパタパタとやって、それなりに楽しむようになっていった。
しばらくして、テレビ番組で長渕 剛が演奏をしているところを見かけた僕は、急いでビデオ録画してみた。後でその音に合わせて、同じような動きをしてみたかったからだ。
何度も繰り返しビデオを再生しては、自分のテンホールズハーモニカの音を重ねてみる。
けれどもまるで音が合わない。それは曲のKeyとハーモニカのKeyが違う事から来るものなのだけれど、当時の僕ではまだそこまでは分かろうはずもなかった。
繰り返し繰り返し聴いている内に長渕 剛の歌の方も、なんだか好きになって行った。
とはいえ、歌を覚えるでも歌詞の意味を考えるでもなかった。僕の音楽の基準はコミックソング中心の「笑えるかどうか」だけだったので(長渕 剛の歌はもうちょっと笑えるといいんだけどな)くらいに思っていた。
僕はそんなきっかけで、音楽の方も少しずつ聴くようになり、ひょっとしたら他の音楽にもハーモニカが入っているかもしれないと初めて気がつく。
考えてみれば、初めてこの小さなハーモニカを見たのはヒューイ・ルイスなのだし、ハーモニカを合わせるのが長渕 剛の曲でなくてもいいはずだ。
自分の「オモシロ笛」の音はイマイチだったけれど、せっかく小遣いをはたいて買った訳なので(このハーモニカの音が合う、別の曲を探してみようかな)と考えてみるのだった。
つづく
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