55話 ハチ公の前で①
数日が経ち、学園祭の余韻が消えると、学校全体が加速したように一気に卒業ムードに向かい始める。一部の生徒は就職に、一部は上の研究科にと進路を決める。中には学生同士でチームを作って、そのまま独立して事務所を立ち上げるなんていう気合の入ったグループもあった。さすがは厳しい課題提出の日々を乗り切ったデザイン学校の生徒達といったところだ。
僕はすでに、希望していた玩具メーカーへの就職を決めていた。デザイナーというよりは商品企画の仕事だったので、講師の先生方も友人達も、デザインの本道らしくはないけれど、アイデアが勝負の僕らしい進路だと納得してくれた。
デザイン学校らしく「卒展」という記念の作品展もあり、それなりに出品に向けた準備などもあったし、卒業記念として仲間内の有志で外のギャラリーを借りての合同作品展も企画していて、それらの話し合いも少しずつ進んで行った。
僕は学園祭での失敗から、「もう真面目になりました」とばかりに、学校ではテンホールズハーモニカやブルースの話は極力しないようにして、そんなに興味もないデザイン論などを、それなりにクラスメイト達と交えるようにもしていた。
相手は特定できないまでも、自分がなんとなく大勢の生徒に嫌われているというのは身にしみてよく解ったし、とにかくもう「誰にもにらまれたくはない」と、ただそれだけを考える残りの学校生活だった。
卒業後には1人でも参加できるアメリカのパック旅行などにも密かに申し込んでいたので、その為の資金作りに、皿洗い、引っ越し屋と、いくつかの短期的なアルバイトに精を出した。目が回るほどの忙しさでかえって気が紛れ、学校での人間関係での上手く行かなさなどで頭がいっぱいになるのを、少しだけごまかせていた。
そんな目まぐるしい中にあって、僕の頭の中にはいつでもひとつの事だけがあった。学園祭で知った、初めて出会った人と音を重ねる事を意味する「セッション」という言葉だった。
かつて観た映画「クロスロード」でもそのようなセッションのシーンが多かったものの、僕は当然それは事前に打ち合わせ済みの演奏という風にしか考えていなかった。それが出会い頭の「セッション」だったのかもと考えるだけで、全く違うシーンにすら思えて来る。
考えれば考えるほど「初めて会った人とその場で音を重ねる」なんて最高ではないか。
その気持ちの中には、もう誰とも深くは付き合いたくはないという想いもあった。バンドなんていう集まりだって同じだ。僕はただ、ハーモニカを「ポワ~ン」と気分良く鳴らしたいだけなのだから。
ただそれらを頭の中で考えている事すらも、僕はクラスメイトに悟られないようにしていた。それほどに、人付き合いにはこりごりだったのだ。
ある日、少しだけ時間ができた僕は、久し振りに楽器店に行き、ハーモニカ専門コーナーのUさんを訪ね、新しいDのKeyのマリンバンドを買った。この頃にはすでに必要なKeyのほとんどを揃えていて、特に使う当てこそなくとも、自分が良く吹くKeyくらいは違う機種を買い足したりするまでになっていた。
久しぶりに買ったハーモニカがカバンに入っている嬉しさで、自然に笑みがこぼれる。
楽器店から最寄り駅である渋谷までの帰り道をいつものように駅に向かい歩いていると、地べたにひとり座り、アコースティックギターを弾いている男の人がいた。
指に「スライド・バー」をつけ、気分に任せるよう弾いていたのは、まさにブルースそのものだった。
ビルが立ち並び、車が列をなす渋谷の道のガードレールに腰掛ける彼を中心に「漫画の効果線のようなもの」が集中して見えて来そうなぐらい、その存在感は強かった。景色が一枚の絵のように完成されていたほどだ。
ビロビロに伸び切ったシャツからはイレズミが覗き、長めの髪に巻いたバンダナはまるで時代遅れのヒッピーのようだった。ボロく破れたズボンはラッパのように下に向かって広がっていて、こだわりからなのか、明らかに時代遅れのファッションだった。
弾いているアコースティックギターは年季が入り過ぎてかなりのボロだけれど、音の響きは柔らかく心地良い。
僕はしばらく彼のブルース演奏を眺めた後、目が合った瞬間に、勇気を出して声を掛けてみる。
「いいですね、ブルース。あのぅ、僕、今そこの楽器屋さんでブルースハープを買って来たばっかりなんですけど、セッ、セッ、あの、横で吹いていいですか?」
なんとか話し掛けはできたものの、まだ「セッション」という言葉が自然には出て来ず、つい言いそびれてしまう。
彼は僕を見上げ、雰囲気からは想像できないほどの柔らかな声で答えてくれた。
「ああ、ブルースハープか。いいよ、セッションしよう。Keyは何買ったの?」
彼の「セッション」という言い方は格好良く、言い慣れている感じだった。見た感じは、やや強面だったものの、話し方から、どこかしらに穏やかな「ワビサビ」を感じさせる和の落ち着きがあった。
僕は「そう、セッションですよね。セッション。そんな感じで」と、訳のわからない物言いをし、ブルースに向くセカンドポジション奏法でKeyを伝える。「こっちがDなんですけど、ギターはAで」
彼は直ぐに「ジャッカ、ジャッカ」のブルースで弾き始め、僕は間髪入れず、それにハーモニカでついて行く。
1分と掛からず周りには人が集まり、大道芸のようなにぎわいが生まれ始める。
ギターの彼は見るからに嬉しそうで、どうやら僕のハーモニカの音色を気に入ってくれたようだった。
吹く風はさらりとして心地良かった。車の渋滞を横目で見ていると、車窓から物珍しげに道端のこちらのセッションを眺めているのが解る。時折デカイ音を流す車が通り掛かり、僕らのセッション演奏に割り込んで来るけれど、ブルースはそれすらも自然に吸収して行ってしまう。
一体どれほどの時間だったのかはわからないけれど、かなりの人だかりの中で、僕は夢中でハーモニカを吹きまくっていたらしい。
やがてギターの彼の仲間らしき集団が彼を呼びに来たのをきっかけに、セッションは一段落した。
観客からの拍手などはなく、演奏が終ると人だかりはパラパラと解散して行き、道端には僕らだけが残った。
どうしたらいいのかわからずに、その場でもじもじとするだけの僕に、ギターの彼が地べたから立ち上がりながら、なんだか少し照れたような感じで、途切れ途切れに言葉を連ねて行く。
「あのさ、この後、夜からな。この先のハチ公前で、ブルースセッションやるんだ。良かったら、来ない?」
まさに、天に昇るような気持ちだった。僕は嬉しくて、いつもなら欠かさない「まぁ、別にいいけどさ」みたいな白々しい受け身のポーズを忘れ「行く!行きます!!何、すぐ?どこ、ハチ公?」と焦って、食い付いてしまう。
彼はその様子に笑いながら「まだだよ。まだ今だと、時間がまずいんだ。警察がな。夜だよ。暗くなってから。行けばわかるよ。アンプ広げてっから」
突然飛び出した「警察」という言葉。何だか危険な感じではあるものの、僕は「絶対行く」と約束をする。
確かに危険かもしれないけど「よく音楽は人をつなぐ」とか言うし、何よりアンプを広げてということは、エレクトリックハーモニカを吹けるチャンスなのかもしれないと、激しく胸が躍った。
僕は今の今までの自分が「音楽で人と別れ続けた」事などすっかり忘れ、完全に舞い上がっていた。
ギターの彼は同じような格好のヒッピー風の取り巻き達に囲まれながら、気だるそうにどこへともなく移動して行った。僕の方も、自分が暇だと思われたくはないので、用があるフリをして、とりあえず彼らとは逆方向へとその場を離れた。
少し歩き、10分としない内に見つけた都会の小さな公園で、僕はさっき吹いていた買ったばかりのハーモニカを取り出し、演奏の為のウォーミングアップを始めた。これから「路上」で、かなり本格的な「セッション」をする事になったからには、急いで買ったばかりの楽器のコンディションを整えなくてはならないからだ。
バイトが無い日で本当に良かった。相変わらずの徹夜続きだったけれど、疲れや眠さなど完全に吹き飛んでいたほど、僕はエネルギッシュな状態だった。
僕の練習の様子を、遠巻きに座り込んで眺める人が増えて行くのが、視界の隅に見えていた。その状況に僕は腹を立てる。
(何だよ、何見てんのさ?見せ物じゃないぞ。練習なんだよ、練習!!僕はこれから路上でブルースをやるんだぞ。ジロジロみるなよ。どっかに行けってば!!)
けれども、眺める人は減る様子は無く、むしろみるみる増えて行った。
(くそぅ。まぁ観られるのはしょうがない。公園はみんなのものだし。野次馬くらい、今は我慢するさ。本番までの辛抱だ。これから僕は路上でブルースを演奏をするんだ!!)
必死な僕は、このひとり練習自体が、はた目には「ブルースの路上演奏」なのだとは気がつかなかった。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?