見出し画像

12話 初めてのベンド ②

初めて「ポワ~ン」という音を鳴らせた時から数日が過ぎた。
クラスメイトの多くが「気になる異性へのどうしようもない気持ち」などに、自分を持て余していた頃に、僕だけがまるで違うもどかしさの中で、頭をかきむしっていた。

僕は、来る日も来る日も、フワフワとした手探りの状況の中で「ポワ~ン」という音が出る偶然を待っていた。
一瞬だけそれが出たように感じる時は、全神経を集中して、その時の自分の息の使い方を振り返り、同じように繰り返すという原始的な努力を続けた。
ラジカセで長渕 剛のハーモニカソロを何度も聴き直し、確かにその部分が音の高さが下がっているのを確認できるようにはなっても、それが不思議な現象というだけで、他にどうする事もできなかった。

ハーモニカの中でも、テンホールズハーモニカという楽器は、この「ベンド」という独特な音色に最大の特徴がある。
強く吸う息の加減で音階を半音(あるいはそれ以上)下げる技法で、ピアノの白鍵盤から下の方の黒鍵盤へと指を移す時の音の変化という事になる。

僕はこれが具体的にどういう現象なのかが、全くわからなかった。
ハーモニカは口でくわえるため、鍵盤のように目では見えないし、強い呼吸で音が変わるという事に注目してからは同時にそこだけ音量も変わってしまうため、なおさらその「音の高さ」だけに注意を向け続けるのが難しくなった。

この頃の僕は少しでも早く家に帰ってハーモニカを吹きたくて、授業で配られるプリントには、四角が10個並んだ、横から見た電車のような形のハーモニカの落書きばかりしていた。
これほど夢中になっていても、僕には一向にハーモニカが「音楽を演奏するための楽器」という認識はなかった。手にすっぽりと収まってしまうほどの小さな「オモシロ笛」で、長渕 剛の出している奇妙な音を、自分でも出せるようになりたいと思うだけだった。
もちろん、それが学校で自慢できる訳でも、漫画家になる上で役に立つ訳でもなかった。解けない「なぞなぞ」の答えを、必死に考えているようなものだった。

さすがにこれではらちがあかないと、僕は作戦を立てる。まず、いくつかの上手く行かない事を、分けて改善して行くのだ。そのひとつが、他の音を出さないようにする事だった。
音が落ちるという現象は、ひとつの音がきれいに出ている時に上手く行くようだった。ハーモニカは口をつぼめてくわえない限り、隣り合う音が一緒に出てしまう。それを防ぐために口を尖らせるのだけれど、これがなかなかできないし、意外なほど疲れる。
それを物理的に解決するため、僕はハーモニカ自体に手を加えてみた。

セロハンテープで目指す穴以外を全て塞いでしまい、その音だけしか出ないようなハーモニカにしてしまうのだ。これによりどんなに適当にくわえようと、はたまた疲れようと、きれいな単音しか出ようがなくなった。
これがすぐに功を奏し、音が落ちる現象の頻度が、飛躍的に増えて行った。

もうひとつの問題は、音が落ちている時間の短さだった。一瞬落ちたように感じても、すぐに元に戻ってしまうのだ。僕のは例え上手くいっても「ポワン」で、長渕 剛は明らかに「ポワ~ン」と落ちている時間が長く、そこに何とも言えない格好良さがあった。

これについてはセロハンテープのような突破口はなかった。しいて挙げれば、落ちたと実感した瞬間に、自分の全身を「時が止まったかのようにピタリと固める」事なのだけれど、これは同時に呼吸まで止まってしまうので、ハーモニカを吹く上では論外だった。
とにかくまずは「音が落とせる」ようになってから、それを維持できるようにするという2段構えのステップで進めて行くしかなかった。

それから、さらに数日。セロハンテープのおかげで「ポワン」と音が落ちる頻度がさらに上がり、ついには3回中1回くらいは落とせるという範囲にまでなって来る。
僕はそれが息の角度から来るというところまで理解し始めていて、気がつけばその音が出やすい体勢などもとれるようにもなっていた。
さらに休む事なく、今度は「ポワン」から「ポワ~ン」へ訓練に移る。これは単純な我慢だった。「ポワ」が来た瞬間に全身にグイっと力を入れ、とにかくそのままでいるようにする。なんだか高い所にあるものをとる時のつま先立ちみたいに、プルプルとして来るのをに耐える感じだ。ただの我慢なら、僕は自信を持って頑張れた。

いよいよ時は来たれり。僕は「星飛雄馬の大リーグボール養成ギブス」のようなセロハンテープを取り外し、再び乱れ始める単音を口の尖らせ方で調整して行き、その「ポワ~ン」という音をセロハンテープ無しで自分の手の中に響かせた。こうして、ようやく僕のベンドは一応の完成を見る。
ステップ2のベンドの時間を十分長くするのにはさらに少々の期間を要し、久し振りに長渕 剛のカセットテープを流してハーモニカを重ねる頃には、僕は自分の吸い方の調整で音を落としていると、はっきり認識できるようになっていた。

これでようやく一段落だった。これからは安心して、また漫画を描くだけの日々に戻れる。そういえば、アニメ漫画ヲタク仲間の集まりにもしばらく顔を出していなかったけれど、みんなは新作を描いているだろうか。

次の瞬間、僕はまるで「浦島太郎が玉手箱を開けた時」のような感覚をおぼえた。
目の前には、漫画どころか、高校受験が迫っていたのだ。

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?