19話 ビートルズとスティービー②
その頃、僕がハーモニカを吹くと知ると、高校の友達はみんなして同じことばかりを聞いて来た。「なぁ、『スティービー・ワンダー』ってどうよ?」と。
僕は答える。「どうって?どういう意味?」
畳み掛けるように質問が続く。
「超有名じゃん。やっぱり上手いんだろう?お前、詳しいんだろう。ハーモニカにさ」
スティービー・ワンダーの曲はテレビドラマやCMでも流れ、僕の通う高校でも半ば常識の範囲だった。もちろんハーモニカを吹く人としても有名な訳だし、いかに「音楽おんち」な僕でも、当たり前に知ってはいた。けれども、この質問には少々苦々しいものがあったのだ。
「どう?って言われても、わからないよ。僕が吹くのは、クロマティックハーモニカじゃないんだ。ブルースハープだよ。『ベンド』するんだ」
僕は、自分の吹くテンホールズハーモニカが他のハーモニカと同じように言われる事によく腹を立てていた。けれどそんな些細な違いを気に留める人など、誰もいなかった。
「はぁ?あれってハーモニカなんだろ?みんな同じじゃん、どこが違うのさ?」
「違うよ、全然違うんだ。クロマティックハーモニカは『ベンド』しないんだよ」
すると、必ずといってよいほど「何?ベンド?うるせぇよ。なんかめんどくせぇよなぁ、お前って。まぁもういいや」と、だいたいこんな風に会話はすぐに途絶えてしまうのだった。
ハーモニカはみんなの関心事ではないのだから、これは仕方のない事だった。僕だって他の生徒の「野球選手のトレード話」や「バイクの排気量話」なんて全く興味が持てなかったし、それはお互いさまだ。
このスティービー・ワンダーの話は、本当にもう、ウンザリするほど言われた。
時には、担任の先生でさえ「おぅ広瀬、お前ハーモニカ吹くんだってな?いいなぁ、ハーモニカ。先生も好きだぞ、スティービー・ワンダー!!」そう言って微笑むのだ。
こう言われて素直に1曲くらいはスティービー・ワンダーの曲をテンホールズハーモニカで吹いてみれば良かったのだけれど、あまりにもこの言葉が続くので、逆に「スティービー・ワンダーなんて知るもんか」と半ばムキになって吹かないでいた。
別にスティービー・ワンダーを褒めるのは構わない。けれども、なぜいつも僕のテンホールズのベンド話は、最後まで聞いてもらえないのだろうか。
クロマティックハーモニカより遥かに安価だったテンホールズをかばうあまり、僕はスティービー・ワンダー自体に、あまり良い感情を持たなくなって行った。
その上、彼の演奏する映像をあまり見ないようにしていたせいで、レコード店で見かける彼のポスターの「サングラスとドレッドヘアー」が、僕にはアメリカの「マフィア」のように見えていたのだ。
それは今で言う、ちょいワルのラップミュージシャンのような印象だった。
男友達同士で「あいつはケンカっ早い」とか「かなりの危険人物らしい」というような話になると、僕は必ず「まったく、スティービーみたいな奴だよな」と的外れな比喩をくり返していた。
歌詞もおそらくは「俺に逆らうやつは皆殺しだ」とか「さぁ酒だ。それからヤクもだ」とかバイオレンスに満ちたものに違いないと勝手に想像し、大人になりその歌詞の翻訳を見た時は、あまりのギャップにぶっ飛んだものだ。
ビートルズにしてもスティービー・ワンダーにしても、僕の吹くテンホールズハーモニカにとっては、なかなか都合の良い話がなかった。中学生の頃の長渕 剛のハーモニカ話が懐かしかった。誰もが「長渕=ブルースハープ=シブい」という流れでつながれたからだ。
クラスでは日に日に音楽の話が盛り上がり続け、曲にとどまらずミュージシャンの言葉自体が強い影響を持ち、インタビュー記事やエッセイまでが話題になって行く。そのみんなの変化は、もともとが「音楽おんち」の僕には、とても居心地悪いものだった。
その後も音楽について質問されては「全く、広瀬は何も知らないな。お前、大丈夫か?」が繰り返される。
僕はせっかくおぼえた「ラブ・ミー・ドゥー」のテンホールズ演奏をあきらめ、また漫画一筋の日々に戻って行った。コツコツと孤独に漫画を描く日々の中で、時折、思い出したようにテンホールズを取り出しては、両手で抱え込み、手をパタパタとやりながら「ポワ~ン」というベンドの音がかもし出す哀愁をひとりで楽しむのだった。
そんなある日、僕を訪ねて来た生徒がいた。よそのクラスのV君だった。彼の事はもともと知ってはいたものの顔見知りというくらいで「嫌味な物言い」が鼻につき、正直言って僕はあまり好きなタイプではなかった。
彼はハーモニカを買いたいので、僕にアドバイスをして欲しいというのだ。
苦手な相手とはいえ、僕は初めての「自分の知識をひけらかせる絶好の機会」に、少しだけわくわくとするのだった。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?