88話 ハイレベルなセッション②
入店から数分、僕はこのお店のセッションがどの様にハイレベルなのかを、マスターから直々に教えてもらっていた。
まず演奏される曲は、ブルースセッションと銘打っているとはいえ、実質その半分以上はジャズやファンクっぽいブルースなどであるという事。また、例えどこの店でも演奏されるような定番のブルース・ナンバーのセッションであっても、演奏するリズムやビート感を大幅にアレンジしていたり、時には演奏の途中で急に転調させたりもするのだそうだ。
なんでも、マスターの話では近所の大学のジャズ研(究会)のOB達が来るようになった影響で、腕前を見せつけるような複雑な演奏曲が増えてしまって、ブルースの店としてもそれは望ましい事ではないという話だった。
マスターはため息混じりに言った。
「という事で、基本的な3コードで『ジャッカ、ジャッカ』やるようなブルースは、ほとんど演奏される事は無いね。うちだと、最近は『プリセン(プリーズ・センドミー・サムワン・トゥー・ラブ)』とか『ルート(ルート66)』なんかが、バシバシ出てくるしね。まぁ、リズム隊はプロだから、そっちは問題ないんだけどね」
例えで出てくる曲もジャズのナンバーばかりで、しかも、さらりと略して言う辺り、この店では当たり前のセッション・ナンバーなのだろう。自分が想像していた以上に難しそうな曲の傾向に、僕は尻込みをし始める。
そんな僕の様子を見たマスターは、面倒くさそうに言った。
「まぁ、そこらへんが無理なら、真ん中で『ビギナー・コーナー』っていうのを挟むから、そこで簡単なのを2曲くらいやってもらってもいいけど、それにしておく?」
それはかなりハードルを下げた話だった。マスターはまだ聴いてもいない僕のハーモニカが、ビギナーレベルだと想定したようだ。
さすがにこれには、僕はすぐに首を振った。
確かに今聞いた曲名は、自分の実力では簡単とは言わないまでも、まるで吹けないというほどではなかった。来るべき日に向け、密かにCDなどに合わせ吹いて練習はしていたし、それらの曲を演奏できる伴奏者と出会ってはいなかったので、今まではその機会が無かったというだけなのだ。
なるほど、曲目、レパートリーの広さ、確実にそれを実現させるためのホストバンドの伴奏付きという訳か。
僕は「どんな曲でも大丈夫です」と言わんばかりの自信のある表情で、無理に笑顔を作ってみせた。
こうして僕は、なんとかビギナー・コーナー行きはまぬがれ、マスターの後ろから現れたバイトの店員さんに最初のドリンクとしてホットコーヒーを注文し、店の後ろの方の小さな丸テーブル付きのひとり席に座り、セッションイベントの開始時間まで待つ事になった。
今回ドリンクの注文は、自分の中で事前に2杯までと決めていた。参加料と別で飲食代が掛かる訳だし、最後の会計まではこの店が「ボッタクリ」ではないという保証は無いのだから。
僕は届いたコーヒーをしばらくはもたせようと、時間を掛けちびちびやりながら、特にする事もないので、カウンターの奥にある大型モニターのライブ映像を眺めていた。
視界の隅に、ダベるホストバンドのメンバー達の姿が見えていた。ギターにベースにドラムの3人だった。
彼らは「そういや〇〇さんがさ」といった気楽さで、僕でも知っているようなメジャーなミュージシャンの噂話をしながら、気だるそうに笑い合っている。その様子はいかにもミュージシャンといった感じだった。トップハーモニカ奏者の八木のぶおさんのライブを見に通ったライブBarジロキチでも見掛けた、いわゆるミュージシャンらしい話し方だった。
僕は2軒めに来たセッションデーにして、早くもプロの人達とセッションが出来るという機会を前に臆する反面「もし自分のハーモニカの実力が目に止まり、帰りに彼らのバンドに誘われたらどうしよう」とか、「なぜ今まで君のようなハーピスト(ハーモニカ奏者)がアマチュアだったのか?信じられないよ」などと声を掛けられるのではと淡い期待をし、無駄なドキドキを繰り返していた。
やがてぽつりぽつりとセッションの参加客が入って来始める。
いかにも会社帰りという人達に混じり、大学生風の男の子達も数人いた。レベルが高い店と聞いてしまっていたせいか、どの客もお高くとまっているようにも見えるし、自分の会社でよく見る上司や先輩となんら変わらないただの中年のおじさん達にも見える。
前のBarより幾分店内が明るいせいで、セッションの開始を待つ間もお互いがよく見え、少々の気まずさがあった。
この店もまた男所帯のようで一安心だ。なんにしてもこれで今日も女性におごらされるといった心配の方は、もう無くなった訳だ。
予定の開始時間から30分ほどが過ぎた頃、ようやく客席の半分ほどが参加者で埋まったのを確認したマスター自身が、ステージに上がり、マイクで挨拶を始めた。どうやらこの店では、セッションの司会もマスターが直々にするらしい。
ステージ中央のボーカル用のスタンドマイクで、マスターはやっつけ仕事のような感じで、ぶっきらぼうに言う。
「はい、それでは、行きましょうかね。ではね、まず、ホストバンドで、え~と、2曲くらいかな?頼むね、はいはい」
それだけを言うと、店長はすぐに奥の厨房へと戻って行った。
少し前、客と「フードの具材について」どうこう話していたところを見ると、どうやら料理人も兼ねているようだった。それで髪型とは不似合いなエプロン姿という訳だ。
セッション演奏がスタートした。プロのホストバンドとセッション演奏をするのも初めてだし、そのホストだけで先に数曲を演奏をしてみせるなんていうしゃれたスタートも、僕には新鮮だった。
その演奏はさすがプロといった高度な技術と、余裕に満ちた安定感で、それでいて楽器慣らしやアンプの調整すら兼ねているらしく、時に余裕でアンプの微調整をしながら演奏したりする。その全てが僕の目には「いかにもプロっぽく」映った。
そして、いよいよ参加者を加えてのセッションへと移る。
最初に入店したので、参加者で初めて音を出すのが僕という事になる。冒頭で失敗しては最悪だ。こんな事ならもう少し時間を潰してから来れば良かったと後悔する。さすがに今の今レベルの違いを目の当たりにしては、いやが上にも緊張が増して来る。
そんな僕を、マスターはチラリと見るなり「順番変えるけど、君、いいよね?」そう言い、僕の返事など待たずに、後から入店したブルースハープ奏者らしき参加者をステージへと呼んだ。
僕は別に順番を入れ替えられるのは構わなかったし、むしろ助かるくらいではあったけれど、その理由が何なのかが気にはなった。
マスターとその人がギターアンプの前で、何かを心配そうに話し合っている。わずかに聞こえたのは「音が硬め」という言葉だった。
なんだろう「オトガカタメ」とは。とりあえず自分には意味がまるでわからなかったものの、すぐにでも使いたくなるような専門家っぽいフレーズだった。
僕は確実に暗記をするべく、謎の言葉「オトガカタメ、オトガカタメ」を、頭で何度も繰り返してみた。
呼ばれた彼はブルースハープとボーカル兼任で、慣れた様子でホスト・メンバー達に曲の指示を出して行く。Key、リズム、テンポ、曲の構成、イントロ、そしてエンディング。特に指でテンポを取ってみせる時の、下から上への指をパチリと弾くような仕草は「まるで外国人バンドマン」のように見え、僕はいっぺんで彼のスマートさに夢中になった。
そして演奏が始まると、ものの数十秒程度の演奏だけで、彼の圧倒的なハーモニカの演奏技術にすでに打ちのめされ、僕は彼の信者に近いほどのあこがれを持つまでなってしまった。もはやイントロ演奏だけでも、明らかに達人のレベルだと解ったからだ。
さらに続く歌の上手さも申し分なく、英語の発音もネイティブのようだった。
何より僕の視線が釘付けになったのは、彼がギターへソロをふった後の仕草だった。
そう、彼はそのギター・ソロを聴きながら「軽く笑って」ていたのだ。しかも「へへへ」ではなく「フフっ」といったクールな感じで。
僕は、必ず自分も、相手にギター・ソロをふった後にあんな風に「自然に笑ってみせるぞ」と息込んだ。
その流れで、ギター・ソロの後に続く彼のハーモニカ・ソロのテクニカルな早吹き演奏に、僕はすっかりKOされる。ハーモニカの3オクターブ全ての音を縦横無尽に使い、迷いがなく奏でられたメロディーが曲に絡んで行く。しかも見事なスピードでそれが行われて行くのだから、もはや演奏というより「曲芸」に近い感じがするほどだ。
まだセッション開始から間もないというのに、曲が終わるやいなや、僕はひとり、客席から惜しみない拍手を送らせてもらった。
けれど、ここまでの名演奏だというのに、他の客からはまばらな拍手が小さくあるだけで、なんの盛り上がりも無かった。見た感じ、やはりギターの参加者が多いようなので、ハーモニカの良さの判断つかないからなのだろうか。
そのセッション曲が終わる頃、マスターがバンドに割り込むようにステージに入って来て、マイクの前で彼と話し始める。
「はい、お疲れです。そうだよね、ハープ、音、硬めだったかな。ちょっと、アンプいじったんだわ。まぁ、また戻しとくわ」
「オトガカタメ」という言葉、それは音響的な話だったようだ。後になれば僕でも使うようになるのだけれど、この頃はまだよその国の言葉のように感じた。
どうやら僕より彼の順番を先にしたのは、このアンプの調整のモニタリングのためだったようだ。なるほど、演奏力もさることながら、僕ではどうする事もできそうにない次元の違う話のようだった。またそういうところも、いやらしいほどにプロっぽいと憧れさせるものがあった。
そのまま、マスターから次のセッションメンバーが読み上げられる。その中に自分の名前が入っていたのが聞こえると、僕は慌ててマイクとハーモニカが入った布ケースを抱え、バタバタとステージヘと急いだ。
すれ違いざまに降りて来たハーモニカの大先輩に、僕は特に考えなしに、うかつにも有名なハーモニカ奏者を例にあげ、声を掛けてしまった。
「凄く上手いっスね。『シュガー・ブルー』みたいっス」と。
この僕の言葉の瞬間、まるでパキンと音が聞こえるほどに、明らかに場の空気が凍りついてしまった。
彼は目を大きく見開いて、僕の方をぼんやりと見ている。その口はガムを噛むように少しばかり動くけれど、なんの言葉を発するでもなく閉じたままだった。
その様子に僕は混乱し、完全にパニックになった。
(え~っ、なんで?なんで怒ってんの!?『シュガー・ブルー』って言ったんだよ!?凄い人じゃん!!しかも、ちゃんと野球部ばりに「っス」という後輩らしい語尾まで付けたのに!!)
「シュガー・ブルー」とは、当時の僕が知ったばかりの、超絶技法で知られるアメリカの有名なハーモニカ奏者だ。自分の中では、最も驚かされた演奏という例えの、最大級の賛辞として使った言葉だった。この例えは、今までにも他の早吹きの奏者にだって、何度か気楽に使っていた言葉で、その誰もが喜んでもいたはずだった。
この頃の僕はまだ知らなかった。「誰々みたい」という言葉は、本気で音楽をやっている人には禁句だったのだ。「似ている」「マネをしている」と同義語になるからだ。そして「上手い」という安易な褒め言葉も。
自分が言った何が悪かったのかは、すぐには気づけなかったものの、相手を怒らせた事だけは間違いなかった。
彼は振り返らずステージを離れて行った。僕は何かよくわからない事で、ハーモニカの達人にケンカを売ってしまったのに慌てたまま、しばらくは呆然としていた。
そんな僕に声が掛かる。
「君、どう?大丈夫?」
そう僕に聞いてきたのは、次のセッションメンバーのリーダーとなるギター・ボーカルの参加者だった。気がつけばもうメンバーのセットチェンジが始まっているではないか。
僕はとりあえず、ハーモニカの達人が使っていたギターアンプに、自分のマイクのジャックを差し込み、いそいそとセッションの準備を始めるのだった。
つづく
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