83話 初めてのBar③
緩やかに流れるジャジー(ジャズっぽい)な流れを含むスローなブルースの伴奏に、僕はそっと自分のテンホールズハーモニカの甘ったるいサウンドを乗せて行った。
伴奏の感じから、僕は手持ちのマイクの握りをアナログに弱めて、アコースティックな生音らしい響きに調整して行く。そんなデリケートなフィーリング変更にも当たり前について来るところが、テンホールズの(本当によくできている楽器だよな)と感じさせるところだった。
自分でもうっとりするほどのこの状況の中、僕はもうこのBarでのセッションが、ハーモニカの演奏で目指すゴールとさえ思えていた。
それはもう十分な演奏技術が身についたという自信でも、大常連さんに良くしてもらったからでも無く、ずばり、演奏環境から来る安心感からだった。
時は大リストラ時代。僕の周りでストリートミュージックやライブを続けられていた人達はフリーターばかりだった。家に余裕がある人もいたのだろうけれど、自分の音楽活動のために平気で全てを犠牲にできる人ばかりだったのだ。
そんな中、会社の先輩に路上での演奏活動を注意された事があったり、社員寮に住まわせてもらっている立場の僕は、密かに路上演奏の辞め時を考えていたところだった。
終わりの見えない不景気が続く不安な世の中で、現段階でまっとうな仕事にありつけていた僕にとっては、たった2500円程度で実現する完成度の高いブルースの演奏に、最高に満足し、今までになく癒やされたのだった。
(ふふふ、そうそう。これだよ、これ、演りたかったのはこの感じなんだよ!!)と、僕は密かにほくそ笑んでいた。
ところが、ここで僕らのセッション演奏に問題が発生する。
(う~ん、最高の癒やし、んっ?あれ?何だこれ?)
小さめの音量で演奏しているバラードだったせいか、どこからか聴こえて来るその雑音は強烈な違和感だった。なんと、テンホールズハーモニカの音が聴こえて来るのだ。もちろん僕のハーモニカも鳴っているけれども、もうひとつ別の、明らかに僕の音についてくるような、変なハーモニカの音が聴こえて来る。
なんと客席側で、別の誰かが、僕らの演奏に合わせハーモニカを吹いていたのだ。しかもそれは、僕がたった今吹いたばかりのフレーズをマネたもので、聴いたばかりのそれをそのまま自己練習しているようだった。
店内でもエレキギタリストの多くはアンプに通していない状態のエアーギターで、密かにエアーセッションを楽しんでいる。けれど音が出てしまうハーモニカではそうはいかない。完全な妨害行為となって、店内に不穏な空気を作り上げて行く。
大常連さんは困っている僕の表情をちらりと見ると、すばやくハーモニカ・ソロから自分の歌へと戻し、バンド側に音量を大きめにするよう指示を出した。そして雑音をカバーするように自分の歌声のビブラートを全面的に響かせ、店内に広がり始めた嫌な空気をパワフルに吹き飛ばしてしまう。もはや僕への防波堤のような存在となってくれているようだった。
一方の僕の方はかなり焦っていた。客席からのハーモニカの音は依然として鳴り続けている。(一体誰が?)と、キョロキョロしてもBar特有の暗闇でその姿は見えない。バンド側全体が音で(黙れ!)と意思表示をしているというのに、どうやら相手はやめる気などみじんもないようだ。
歌声によって、見事に演奏の雰囲気を立て直した大常連さんは、再度僕に(どうだい?もう一度ハーモニカ・ソロをやり直すかい?)と目で合図するも、僕は(いえいえ、もう結構です)と手を振り、そのままあっさりと2曲目のセッションは終わりを迎えた。
セッションのメンバー達は「おつかれ」というように軽い挨拶を交わし、楽器を下ろすと、間髪入れず上がって来る次のメンバー達と入れ替わり始める。
僕の演奏が良かったのか、すれ違いざまに数人から小さな拍手で見送られ、ちょっとした特別扱いのようだった。
僕は照れてしまい、「どうもどうも!」と取引先にするように頭を下げ続けた。なんだかその感じは、今までのブルースマン気分から、一気に会社の飲み会のようなものへと変化したようには感じられるものの、その極端な変化が、改めて今までが特別な時間だったのだと、遅れて実感させられたようなものだった。
そのバタバタの中を司会を務める店員の男の子がステージに飛び込んで来て、さらに先のメンバーの発表までをマイクで元気に伝え始める。その会話の途中でさらりと「音を出すのはステージだけですよ~」と茶化すように客席への注意を織り交ぜ、自分で大きく笑って見せた。
犯人探しまではせずに場を収め、そのまま次の曲が始まるまで自分の司会でつなぐ姿は、まだ若い店員ながら「さすがは水商売」といった頼もしさを感じさせる。こんな事はBarでは日常茶飯事なのだろう。
僕が席に戻ると、相席の人から「いやぁ、良かったですよ~。後で組めるといいなぁ~」と、先程以上に積極的な感じで話し掛けられる。
僕はまた照れながら、ステージ上でのアンプや音響類の聴こえ方を中心に真面目な情報交換のような会話を続けるものの、頭の中では、先ほどの客席からハーモニカを吹いていた犯人探しをしていた。
まぁ自分のライブという訳でも無いので、迷惑を掛けられたという程では無いにしても、まだセッションは始まったばかり。これからも同じように邪魔をされるのだろうかという思いが、すっかりセッションを楽しむ気分を台無しにさせていた。
さらに面倒なのは「ブルース」というマッチョな性質を持つ音楽の集まりなので「そんな事は気にしないぜ」という大らかさを、周りに見せなければいけないところもある。気が弱い僕も、多少はそれっぽく振る舞って見せるように頑張った。
大常連さんは、みんなよりやや遅れてステージから降りて来ると、わざわざ僕の席へと寄ってくれた。そして僕の椅子の背もたれにかがみ、耳元まで寄り「ごめんな、ああいう奴はどこでもいるんだ。まぁ放っておきな」と優しげにささやいて来た。さすがは大常連さん、自分が悪い訳でもないのに、まるで自分の店のような気遣いではないか。僕も「いえいえ、大丈夫です」と大きく笑って見せた。
大常連さんは自分の席へと戻り、僕が周りの参加者達とそのまま軽くだべっている内に、気が付けば次のセットでのセッション演奏が始まっていた。いろいろな事が起こるけれど、次から次へと演奏は続いて行くのだから、細かい事は別に気にしてはいられない。これがセッションの現場なのだ。
僕も、客席でハーモニカを吹かれたくらいは別に大した事じゃないと考えるようにした。むしろ、その事によって生まれた大常連さんのような大人の対応を嬉しく思え、僕は気分を変え、またステージの演奏を機嫌よく眺め始めた。
すると、後ろから僕の背中をつっつく人がいる。振り向くと年配のむさ苦しい男性だった。無精ひげにボサボサな髪の毛、薄暗くても不潔そうなのは丸分かりだった。
その男性がいきなり僕に大声で話し掛けて来た。
「ちょっと、いいか!?なぁ、ちょっと、いいか!?」
それはかなりの大声で、目の前のステージの演奏に負けない、まるで張り合っているかのような話し方だった。さらに、その息は顔をそむけたくなるなるほど酒臭く、すでにかなり酔っているようだ。
「なぁ、さっきのさぁ!!ハープの、これなぁ!!この音なぁ!!」
彼は質問しながらも、僕の返事など聞く気はないようで、自分の言葉が終わるやいなや、自分のハーモニカを、僕の顔の前でやかましく吹き散らし始める。
目の前ではセッション演奏が続いているし、もちろんその曲の演奏Keyでもなかった。歌っているボーカルが雑音に迷惑そうににらみ付けようが、他の客が手で「うるさい!」と遮ろうが、まるでお構い無しで、僕にハーモニカの吹き方を質問し続けて来る。
「なぁ、これだよ!!これ!!わかるだろう!!この音ぉ!!」
僕は焦り、バクバクする心臓で、とにかくその人を黙らせようとしたまさにその時だった。
「あんたさぁ、うるさいよ」
それは決して大声ではないのだけれど、キレたら怖い感じの、妙によく通る甲高い声だった。見れば、近くのテーブル席にいた、強面の若い男性の声だった。
彼は、分厚く着込んだ黒の革ジャンに、細めのサングラスをかけ、髪は少しだけ金髪っぽく染めていた。ズボンも革製のようで、ギュッという音が聞こえて来る。腰には銅色の鎖がぶら下っているのがチラリと見える。その全てが見事に怖い。
「後ろ行けよ、邪魔だって」
すると酔っぱらいの年配の人は、驚くほどあっさりとその場を引き上げ、自分の元の席の方へと戻って行った。まさに鶴ならぬ「怖い男の一声」だった。
そのサングラスの人は「よう、ちょっと、ここ、ゴメンな」と言いながら、僕のテーブルの隙間に自分の椅子を移動させ差し込んで来ると、そのまま僕の席に相席をしてしまった。そのまま僕に話し掛けるでもなく、ステージでのセッションを演奏を眺めながら、曲に合わせ軽くリズムをとっている。
僕はあまりの事に声も出なかったけれど、とにかくペコリとだけやり、同じようにステージの方を眺めるように振る舞って、さらなる心臓のバクバクを収めようと努めるしか無かった。
初めてのBarでのブルースセッション。僕は一難去って、また次の一難に備えるのだった。
つづく
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