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76話 決まる時は②

それなりに話がはずみ、その後再開したブルース演奏には少しずつコンビネーションが生まれ始めていた。
だらだらと、一体何曲のブルースを演奏したのかはわからない。コンクリートの地べたに直接座り込んで演奏していたために、お尻が冷たく、痛くもあった。

夕暮れ時が過ぎ、もうあたりは目をこらすほどに暗くなる頃、やや疲れたようにマーシがぽつりと言う。
「さて、そろそろ、かな?ロフト」
それに答えるロフトが、まだぎこちない呼び方で、僕にも尋ねる。
「ああ、だね。哲ちゃんは?」
僕自身も出会ったばかりの2人への気遣いや、外での演奏という緊張感から、実はかなりクタクタだった。何しろ、今日2箇所目の路上演奏でもあったのだから。
けれどもこの集まりに次回があるのかさえ解らない中、少しでも長くこの場にとどまりたいというのが、僕の素直な気持ちだった。なにせこのような出会いを実現する為に、僕の方はかなりの苦労をして来たのだから。
「この後、一緒にめしでも?」と、男女ならこんなにも普通なセリフが、大人の男同士だと途方もなく難しい。
2人は黙ってギターの片付けに入るも、ギターなのでそれなりに時間が掛かる。僕はハーモニカなので、ものの数秒で撤収が完了する。こういう時、ハーモニカ奏者は本当に手持ち無沙汰になる。
この時代はスマホどころか携帯電話すらさほど普及していないので、気まずい時間はどうする事もできなかった。

同じく楽器を担いだ人々が、ふらりふらりと僕ら3人の前を通り過ぎ、中には軽く言葉を交わして来る人達もいた。それは同じような年格好の人達ばかりだった。
「お~、マーシじゃん。お疲れ。なぁに、今日ここだったの?」
どうやらお互いに、特には演奏をする場所を限定していないらしい。
マーシがにこやかに答える。
「お~、お疲れ。ああ、ここしか、空いてねぇしな」
誰とでも親しく言葉を交わせるマーシはなかなかの社交家のようだ。一方、ロフトの方は無口ではないにしても、マーシ以外とはあまり口をききたがらないようだった。

僕はどこを見るともなく、ただぼんやりしながら、彼らからの「言葉」を待っていた。
「来週も、また、やろうぜ」という、お誘いの言葉を。
一応、相手は2人、しかもこの場所の常連のようなので、僕にとっては対等という訳ではない。楽しい時間ではあっても、ある意味、僕はオーディションを受けている側で、今まさに結果発表を待っている状況なのだ。
そんな中、マーシが口火を切った。
「で、どうする?ロフト」
ロフトは笑いながら答える。
「どうするって?なんだよ、いきなり」
マーシはチラリと僕を見て言う。
「まぁ俺達、こんな感じで適当にやってるんで。なぁ?ロフト」
「適当はお前だろが?」
「うるせぇ。え~と、まぁ、俺達、ブルースハープがいきるような曲とか、今はないけど。なぁ?」
「お前はな。俺はあるぜ。最近ここでは演ってねぇけど」
2人はじゃれ合うように言葉を重ねながらも、気まずさと戦っているのが解った。
それははっきりとしないまでも、僕にとっては顔がほころぶ瞬間だった。告白される女の子側はこんな感じなのだろうか。闇にまぎれて僕はひそかに照れ笑いをしていた。

とはいえ、僕の方もいつまでも照れている訳には行かず「いつもの」やつをこの2人にもカマしておかなければならなかった。僕は精一杯、自然に振る舞ってみせる。
「えっ?ああ。バンド、みたいな事?この3人で?」
それは(考えてもいなかったよ)的な、白々しい言い方だった。
マーシは少し慌てて言い足す。
「まぁバンドっていうか、そんな大げさなもんじゃないけどさ。まぁいつか、ちゃんとしたライブとかもやろっかって、2人でも話してたところだし」
ロフトが後ろから付け加える。
「ライブっていったって、コイツとだからさ。まぁ、しょぼいし地味だし。俺達はこんなんだけど、ハープが入れば、かなりいけるかなって」
僕は2人の言葉に喜びを隠しながら、頑張ってクールっぽく答えるようにする。
「うん。まぁ、僕がどうかっていうより、2人の音には、ハープが合ってるんじゃないかなぁ。まぁ別の人のハープでも、合うかもしれないけど。もっと、デルタスタイルのブルース系ハーピストとかの方がさ。でも、僕でいいんなら、別に、構わないけど」

それはなかなかの名場面だった。いくらブルースが好きでテンホールズを吹いていたって、今ここに合うのはハリウッド映画のエンディングばりの、大音量で流れるオーケストラだろう。むさ苦しい男3人でも、それは十分にロマンティックなシーンだった。

かなり控えめに答えた僕に、2人は慌てるように反応する。
「え~!?哲ちゃんのハープも、結構、デルタしてたよ。なぁ?」
「ああ、充分じゃん。俺、こんなに吹ける人、初めて見たよ。やろうやろう、決まりだ」
僕ら3人は、暗がりの中、無駄にただいつまでも笑い合った。
僕は長い事、演奏の場に恵まれないまま、影でコツコツ練習だけを続けて来たので、見た感じは(クリオネが勘違いしたように)自信もなく下手そうに見えていても、それに似つかわしくないくらいの演奏技術はすでに持っていたらしい。
改めて、布バッグの中で一休みしているテンホールズハーモニカ達に、僕は「お疲れさま」と言いたかった。今日は本当に、みんな良い仕事をしてくれた。
マーシは気合を入れて、話を盛り上げる。
「そこの自動販売機で、変なジュース見たぜ。レアだぜ、レア!!」
そしてロフトの方も、苦手なのを無理して応える。
「そういやさ、この近くのラーメン屋のおやじ、マジでマディ・ウォーターズに超似てるんだ。すげぇ笑えるぜ!!」
それぞれに頑張って話題を盛り上げ、3人で完全に真っ暗になるまで次回の曲の話などをしゃべり続けた。そしてそのまま、おのおのの乗る電車の駅に向かって解散する事になった。

なんだかとても自然な流れで、全てが上手く行った日だった。
上手く行き過ぎて、むしろ1人で帰りの電車に揺られる頃には、彼らとの会話を思い出し、あれも話せば良かった、これも言いたかったと、小さな後悔を無限にくり返す事になった。
それは、会社員になってからはついぞ味わっていなかった、いつまでも自然に笑えて来てしまう楽しい後悔だった。どれも全て、来週からだってできる事なのだから。

つづく


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