80話 心配な提案
久し振りの出会い。と言ってもまだ会話をするのも2回目という程度の関係だった。会社員のようには見えないカジュアルなファッションで、年齢差や性別などの違いを一切気にしなさそうな、自由さを感じさせる口調で話し掛けて来る。敬語ではないものの敬意を込めている話し方、それでいて固っ苦しくはない不思議なものだった。人に何かの情報を伝えるのが趣味のような、なんとも表現し難い存在で、まぁ「親切な文化人」といったところだろうか。
僕らの路上でのセッション演奏が一段落し、今日出会ったばかりのストリートミュージシャンと別れる。心地良いセッションだったけれど、特にアドレスなどは交換せず「またどこかで」と互いに笑い合った。
別れ際に、僕は「ここさ、警察とか来た事ないから、いいんじゃない」と言ってみた。この場所に関しては、少しばかり先輩だからだ。彼はなおさらに嬉しそうに微笑み、離れたところからペコリとやって、去って行った。
そして僕と話すのを待っていた男性に、僕はまず教えてもらった「この場所」からつながった一連の味わい深い人脈へのお礼を伝える事から話を始めた。
初めて自分から声を掛ける事に成功したマーシやロフト、夜に全員で行ったブルースセッション、そしてコンビを解消したばかりの相方との演奏活動など。振り返れば、なかなか充実した期間だった。
彼は嬉しそうに「うんうん」と小さくうなずきながら、頭にその情景を思い浮かべるよう聞いてくれ、それから僕に言った。
「じゃあこの場所が、君の、そのハーモニカを吹くには良かったんだね。まぁ僕は音楽は聴くだけだからさ、良くはわからないけれど、解散があれば、また新しい出会いもあるんだろうね。いいね、そんな小さなハーモニカで、いろいろな出会いがあるんならさ」
僕は返した。
「本当に感謝しています。いろんなミュージシャン達と演奏ができましたし。あっ、」
ここで、僕は思い出したように話を付け足した。
「あのギターの方とは、ちょと、アレでしたけど」
この場所と一緒に、ちょっと風変わりなギタリスト「クリオネ」を紹介されていたのだ。
男性は、また僕に伝えたい事を思いついたようで、少々距離を縮めて話し始める。「ところでね、君の楽器って、ほれ、ブルースなんとかって言うんだろ?そうだよね?って事はだ、ブルースのお店に、関係がある訳だ。そうだね?そういう事なら、君にぴったりな店があるんだけれど。興味があるかなぁと」
本当にこの人は親切というか、はたまた世話焼きというか。けれど、この人の話から僕はこの場所を知ったのだから実績がある訳だし、僕のこの先の演奏活動の展開に、特にあてがないのも確かだった。
彼は腰に巻くウエストポーチの中から小さく折りたたまれた紙を取り出し、その紙のシワを丁寧に伸ばす。僕はそれをしばらくじっと待ってみた。
そして僕が渡されたのは、とあるお店のチラシだった。それは少しばかり眉を潜めたくなる「業種」のもので、僕は困った声を出すしか無かった。
「え~と、Bar(バー)って、アレですよね。お酒を飲む、とかの」
彼は驚くように応える。
「そうだよ。あれれ、飲めない方?飲めそうなのにね。まぁ飲めなくても良いんだよ。音楽の店なんだから。まぁ飲む人達が、集まるところではあるんだけどね」
それはブルースを中心に聴かせるライブBar(バー)のチラシだった。もちろん、僕もある程度はお酒も飲めたけれど、居酒屋以外だと、上司がボトルを入れているスナックに無理矢理に連れて行かれるくらいなものだった。そんな程度の僕でもBarと聞けば、誰もがぶらりと行くような場所ではない事くらいは知っていた。
彼は目を大きく見開いて聞いて来る。
「どうだい?さっき聴かせてもらったけれど、君の楽器ならこういうお店が合うんじゃないかって思ったんだよね。道端でやっているよりは良いんじゃないのかね。私もたまに顔を出すんだけれど、なかなか良い店だよ」
僕はどう答えて良いものか解らなかった。
「う~ん、困ったな。僕には何とも」
確かにブルースといえばBar、これは切り離せないほどの大定番だ。僕は映画「クロスロード」を観てブルースに興味を持った。荒っぽい連中の集まるBarで、ウィリー・ブラウンがテンホールズハーモニカをひと吹きしてバンドをまとめ上げ、最後には店中を沸かすシーンに憧れたものだ。けれど、それはアメリカの話で、だいたい映画はフィクションではないか。
この頃の僕はBarというものに密かに憧れる反面、かなり警戒していた。テレビのコントくらいでしか観た事はないけれど、キザな男がいい女に酒をおごるよう、バーテンに言うやつだ。結果、会計時に目玉が飛び出るほどの金額を請求され、初めて「ぼったくられた」事に気づくのだ。
そのチラシには、カウンターと後ろの棚にウィスキーらしい瓶がずらりと並ぶ写真があるだけで、金額など細かい事は何も書かれていなかった。この頃はまだネット社会ではないのでホームページなんてものもない。詳細は確認のしようがないのだ。
しわだらけのチラシを眺めて黙り込む僕に、男性は詳しい説明を続けて来た。その話からだいたいの店の概要の方は理解できた。
要はライブ演奏をすると言うより、そこに集まる人同士で「ブルースをセッションをする」という店らしい。それには参加費という事で1000円くらいは掛かるようだ。当然飲食は必要なのでその分が上乗せされる。それが「ぼったくりなのかどうか」が、僕には最大の関心事なのだけれど。
彼は僕の心配をやわらげようと笑いながら言う。
「まぁ、あれだよ。女の子が隣に座るような店じゃないよ。音楽の、シブい店だよ。でもね、音楽をやる女の子が来てくれれば、話なんかはできるかもね。なんて言ったって、一緒に演奏をするんだろうから」
僕はこれを聞き逃さなかった。(ほらっ来た!)という事は、女の子が来れば「おごらされる」可能性はある訳だ。何かとトラブルに会いやすい僕にとっては「女人禁制」の方がありがたいくらいだった。僕が路上でも「投げ銭」すら取ろうとしなかったのは、そもそもお金のトラブルが無さそうなところも、路上演奏の魅力だからだ。
とはいうものの、ちょうど僕は今の自分の立ち位置が中途半端だと感じていた時だった。「路上は誰のものでもない」なんてみんなは言うけれど、今さっき出会ったばかりでセッションをした若い男の子だって、プロのシンガーソングライターへの夢を語っていたばかりではないか。本来「ストリートは、ストリート・ミュージシャンの発信のためのもの」なのだ。
歌を聴かせたい訳では無く、自分のハーモニカを誰かとセッションしたいだけの僕にとっては、そんな店があるならば、むしろ好都合ではないか。
僕はそのBarのチラシを頂き、2度目となるチャンスを与えてくれたかもしれない謎の男性がどこへともなく去って行くのを見送ると、今さっきまで演奏をしていた路地を見やった。
すると、何もないただの路地が、僕の背中をグイっと押しているような気がした。
つづく
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