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120話 僕の最優先事項②

その後、僕のバンドのライブに来てくれた常連さんは、店の定期セッションデーにも来店してくれた。
興奮しながら僕のバンドが店に出演した時の演奏の良さを口にし、他の常連さん達にも絶対に観に行った方が良いと強くすすめてくれた。
僕は嬉しい反面、あまりそれを強く推されると、バーテンのライブになんて行きたくないであろう客をしらけさせすのではないかと心配で、「はい、それでは、ご注文の烏龍ハイを、かなり濃い目にさせていただきます!」と茶化してごまかした。
直ぐに他の常連が「あっ、なら俺も広瀬さんのライブ行こう!酒が濃くなるんなら!」と続き、店がいつもの笑いに包まれる。

僕のライブの話題としてはそれで流れて行くのだけれど、意外にも別の話題がいつまでも盛り上がりを見せていた。
それは「広瀬がライブで、ブルースハープでジャズを吹いていた」という話だ。
その常連さんが「インストゥルメンタル=ジャズ」だと思い込んでの誤解なのだけれど、それを訂正するのも気まずいためそのままにしておいた。それが、後でかえって厄介な事態になってしまった。

セッションのホストバンドの1人が、少々意地悪目に僕に言った。
「よし、じゃあさ、今日は広瀬さんに、そのジャズっぽいやつを演ってもらおうか?なっ?」
僕は慌てて否定する。
「いえいえ、違いますって!そんなのできませんて!」
相手は、なお意地悪そうな言い方で返して来る。
「曲は何よ?『サマータイム』?『ルート66』?まぁでも、俺らみたいなブルースバンドのバックじゃ演りづらいかな?ジャズなんてさ」
少しばかりしつこい感じがして、どう返したものかと困っていたところへ、ちょうど注文が入ったので、僕は笑いながら食事を作るため奥のキッチンへと退散した。
フライパンを火を掛けながら、やがてステージから聴こえて来たのは、ジャズナンバーの「ルート66」だった。ジャズの中では最もブルースに近い大定番曲と言えるだろう。
僕は(ひょっとして本当にムキになられたかなぁ)と少々不安になりながらも、そのまま料理を続けた。

そしてこの話題は、なんとこの日の一過性のものでは無かった。
ちょうど、どこのブルースセッションの店でも、ジャズっぽい曲やスタンダードなジャズナンバーをやるのが少しずつ流行り始めて、それらの曲を演奏できるのが「バンドマンとして腕が良い」という間違った基準が出来つつあったのだ。
また逆行するように「そんな曲をやる奴は、本来ブルースセッションに来るな!」という意見や「ブルースの奥深さがわからない連中が、小難しいジャズコードで逃げているだけだ!」という陰口も出始めて行った。
これはブルースを好む人に割りとよくあるのだけれど「ジャズを演る人には所詮敵わないんじゃないか」という劣等感の裏返しなのだ。譜面が苦手な事などもそこに加わって来るので、この思い込みはかなり強固なものとなりやすい。

やがてマスターが現れ、演奏を聴きながらけげんな顔で僕に言った。
「うわぁ~、なんか、みんな、難しそうな曲演っとるね~。最近、どこの店でも、こういうの流行っとんのかや~」
この日は僕の話がキッカケのようなので、なんとない気まずさがあった。
確かにマスターからしてみればブルースを愛してやまないからこそブルースの専門店をやっているのに、なぜそこにわざわざ好きでもなさそうなジャズの曲をと、残念に思うのも無理はない。
ブルースハープの世界でも、ちょうど第一人者の妹尾隆一郎さんが自分のアルバムでジャズのスタンダードナンバーの「ジーベイビー」を発表していたり、若手ハーピスト達がそれに続くように、こぞって「ストーミーマンデーブルース』」のようなジャズっぽいコード進行を含む流れの曲を積極的にプレイするようになって来ていた。
僕だってそんなに得意な訳ではないけれど、それなりに準備や研究はしてみるものの、やっぱりみんなと同じようにどこかで劣等感が顔を出し、自分の分野ではないと結論づけていた。

そんな中、ある日僕によそのBarでの定期的なライブ話が舞い込む。
そこは小さなBarで、BGM的な演奏をしていてくれれば十分という感じのオファーだった。本来ならカクテルピアニストを入れるような話なのだけれど、店の作りがログハウス風なので、アコースティックギターとハーモニカならイメージがぴったりだというのだ。
僕にその店を紹介してきたのは弾き語りの友人で、すでに別のギタリストとのデュオ演奏で月イチ演奏を1年以上続けていたらしく、僕のハーモニカを加える事で、そこに色をつけたいという事だった。
店が設定しているライブチャージはかなり低めではあったけれど、絶えず人が出入りするので、集客の面は心配無用との事だった。全く客が入らなくてもバンド側には最低補償を払い、さらにありがたいのは、フード類の差し入れもあったり、ドリンク代は2杯くらいまでは店のおごりだと言う。

かなり狭めの正方形の箱型ステージで、トーク不要の40分程度の演奏を3ステージ。最終は23時になるように自分達で調整する事、それが条件だった。
「ドラゴンズ」びいきの店のため、演奏をしている間も、音無しながら野球中継は絶えず流して、ライブがウケるのもウケないのも、またアンコールが来るかどうかさえ、野球の勝敗次第という話だった。
お客はおそらく演奏中も絶えずしゃべっているので、共存できるような選曲を心地良い範囲の音量で続け、ある程度のスタンダードナンバーのリクエストなら、急に求められてもそれなりに応じられなければならなかった。
僕が働いていた店の方でも休みを取りやすい曜日のレギュラー話で、都合よくその店の近くには路上駐車できる空き地まであり、願ったり叶ったりだった。
トリオで割ればアルバイトというほどの金額にはならないまでも、当時の僕にとっては、いろいろな事を考えずにハーモニカの腕を磨ける、またとない好条件と言えた。
オマケにその話を持って来たメンバーが、店主に僕がよそのミュージックBarで働く店員だと伝えたようなのだけれど、それを全く気にしていない様子だったらしく、それどころか「なら、演奏の方はここで気楽に演ってもらいなよ。俺の店なら気を使わないでいいからさ」とまで言ってくれたそうなのだ。
僕はその話を快諾し、デュオでの選曲に加わる打ち合わせと、ハーモニカを活かせる追加曲の準備に入った。

すぐにライブ日は訪れ、僕はそのBarのデュオにゲスト的に入りながら、彼らの持ち曲に少しずつ慣れて行く事になった。
その店のマスターは非常に温厚な方で、きれいに整ったロマンスグレーの髪で、いつ見ても小綺麗にひげを剃りあげ、背筋が伸び姿勢が良く、会員制のゴルフ場にいるようなカジュアルでありながらスマートなファッションに身を包んでいた。
本当にドリンクもおごりで、フードの差し入れもあり、話の通りの好条件だった。
カウンターには数人の常連がまばらに座り、まるで演奏など聴いていなさそうにテレビの野球中継を眺めている。
僕は、リーダーのギターボーカルのメンバーとはすでに別のユニットでもある程度の演奏期間があったので、当日のぶっつけ本番でも特に苦労はなかった。
ただ、音響面は想像していたよりかなり簡素で、マイク前でのシンプルなアコースティックなハーモニカ演奏で、ディレイ(こだまのような音響効果)やリバーブ(お風呂の響きのような音効果)などがほぼない状態の、楽器の生音に近い状態だった。普通のライブBarよりは技量が必要になる環境という訳だ。

数曲を演奏しているうち、客が少しずつ演奏の方をチラ見し始める。
やがてその中の1人が会計を済ませ帰って行く。別に演奏が気に食わなかったという訳でもないらしい。すると入れ替わりで別の客が現れ、今度はカウンターではなく、ステージの近くの方へと座って来た。
しげしげと僕のハーモニカの方に注目し、マスターの方へ目配せをすると、なにやら嬉しそうにしている。どうやらマスターから今日はハーモニカが入ると言われ、わざわざ来たという事のようだった。
曲が終わると軽めの拍手をしてくれ、程よい声の大きさで「イエイ」などと声を掛けてくれる。
淡々と曲は続き、40分程で5~6曲をこなす。まだまだ疲れてもいないけれど、軽いメンバー紹介をして、一旦休憩に入る。すぐにBGMが流れ始め、店の中の客同士が話を弾ませ始める。聴いていないように見えて、客もそれなりに気は遣っているようだった。

マスターは僕のハーモニカの音色を喜んでくれていて、常連客とも楽しげにハーモニカの話題で盛り上がっているのがかすかに聞こえて来た。
こちら側はステージの前に座る客と少しばかり話はするけれど、軽い挨拶程度のものだった。
その後、休憩をはさみ、あと2ステージを演奏する。絶えず客は入れ替わって行くので、途中からは数えるのをやめてしまった。
ラストのステージでは、いよいよ紙に書かれた曲のオーダーが渡され、ギターの2人が打ち合わせし、すぐにその曲が始まった。
僕はKeyだけを聞くとそれにハーモニカのアドリブで合わせて行く。最も心配していたのは曲のオーダーの件だったけれど、そう構えるほど難しい曲ではなく、アドリブで一発合わせできる範囲のものだった。ハーモニカが加わったせいか、ブルージーな曲のオーダーが入ったようで、元のデュオの2人も、とりあえず僕を入れたのは良かったと感じてくれているようだった。
そのまま数曲をやり、最後の軽いメンバー紹介を行い、静かにその日のライブは終了した。予定通り23時頃だった。
アンコールもなく、拍手はあれど、まばらなものだった。

僕はこの日が、いわゆる本当のBGM演奏を経験した、初めての日になった。BGMっぽいとか、営業っぽいという演奏はいくつも経験をしてはいたものの、トークも必要なく拍手も特に来ないというのは、初めての経験だった。
ある程度の疲れはあるものの、ライブを演ったという実感はさほどなかった。体力的には、この後もう一軒回って次のライブを演ってもいいくらいだった。

メンバーの2人は「お疲れ~」と言い合い、すぐにギターの片付けを始める。
数人がステージまで来て、「良かったよ」なんて軽く挨拶を交わしたりもする。
気が付くとマスターから封筒を受け取ったリーダーが、受け取りの領収書を書いていた。
聞いていた通り、正確には分からないまでもギャラの受け取りは集客に比べれば遥かに多めで、チャージバックというよりマスターのポケットマネーからという感じだった。
きちんと三分割し、その日のライブはそれで終了となった。

帰り際に3人でマスターに挨拶をしに行くと、マスターは新顔の僕に話し掛けて来た。
「ねぇ、君さ、広瀬君って言ったっけ?君さ、ブルースの店で働いてるんだったよな?」
マスターはそんなに口数が多い方では無さそうなので、質問をされた僕の方は、それなりに緊張が走った。
そしてマスターは言った。
「君さ、ジャズは演れるの?」と。
僕はこのタイムリーな質問に、固まってしまうのだった。

つづく


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