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125話 そしてようやく①

ジャズセッションというイベントが存在する事を知ってから1週間後。僕はそれまでは行った事もなかったライブハウスの前に立ち、久しくなかった緊張の中に身を置いていた。気が付けば、手に持つチラシをシワがつくほど強く押さえていた。音楽の事でそんなに力んでいるなんて自分でも驚くほどだった。初めて、ブルースのセッションデーというイベントがあると知り、行った事もなかったBarという世界へ足を踏み入れた時以来かもしれない。けれど、かつてのその緊張感はBarという場所への警戒感から来ていたものだった。そんな自分が今ではミュージックBarで働きながら、こうして別のBarのセッションに足を運ぶのだから、なんだか滑稽でもある。

その店の外観は、ぱっと見だとライブBarというよりは明らかにカフェだった。それも昭和の感じが漂ういわゆる昔ながらの喫茶店といった感じで、どちらかというとケーキやパフェといったスイーツを売りにしているような健全ささえ漂よっていた。荒っぽい男達を相手にするようなブルースやロックの店とは、対極的な感じがする。しばらくは店の前で足踏みをしていたものの、ガラス戸越しに店員さんらしき女性と目が合ってしまい、軽く会釈をされてしまったものだから、僕はいよいよ覚悟を決めた。
(よし、とりあえず中に入ろう、参加者のためのセッションイベントなんだから、何もビビる事ないよな。それにこっちはブルースセッションで、相手を受け入れる側をやるほどの経験者なんだしさ)
僕の方も目があった店員さんに軽い会釈をしながら、店に入って行った。

ドアを開けるとすぐに、壁に貼り付けられたピカピカのトランペットが出迎えてくれた。ブルースの店であればギターが一般的なのだけれど、ジャズの店は管楽器が定番なのだろうか。それがきらびやかなので、少しばかり高そうな店のように感じてしまう。店で流れているBGMはもちろんジャズ。音量は控え目で、ライブハウスというよりデートで来るレストランのような雰囲気ではないか。

僕は緊張を隠しつつ、慣れたブルースセッションと同様に、入り口に置かれた参加者用のノートに名前を書き込んだ。ノートにはビキナー向けのセッションらしく、希望する曲やKeyを記入する欄もあった。僕は(『ルート66』、それくらいしか知らないので)と素直に書いてみた。いかにもなビギナー・ユースの曲だけれど、本当にまだそれくらいしかハーモニカで吹ける気がしなかったからだ。

それから案内された客席に座り、店員さんにホットコーヒーを注文すると、とりあえず後はイベントの開始を待つだけとなった。机の上に置いたテンホールズハーモニカの入った布の袋は、通常の12key以外にもカントリーチューニングという特殊配列モデルや、壊れた時の控えの分のKeyなども持って来ていたため、びっしりパンパンな状態だった。どんな状況になるかもまるで解らないので、つい荷物が増えてしまったのだ。

席に座るとようやく、店内の様子を眺める余裕が出て来た。ジャズという事でなのか、店内の空気もかなりブルースセッションとは違っていた。音楽の店にしては妙に明るい室内のせいで、店に集まった参加者達の顔もはっきりと見え、その客層の違いに驚かされた。ブルースセッションではありえない事なのだけれど、なんと参加者の半分くらいが女性だったのだ。しかも全員ボーカルなのだろうか、手ぶらのように見える。ファッションも男女共にまるで違っていた。ビシっとスーツを着た男性や、胸元にコサージュのような飾りをつけた女性もいて、普通のジーパンにデニムシャツの僕なんかは完全に浮いていた。僕は田舎者丸出しのような気がして、目立たぬようにと首をすくめてしまった。
(ふぅ~ん、所変わればだよな。なんだかちゃんとしてそうな人達ばかりじゃないか。みんな生活に余裕のある人達っぽいよな~)
そして僕は、急にある事が不安になった。
(はっ、ヤバいぞ、これって、ひょっとしたら!?)
慌ててメニューを見た。案の定、どれもやや高めではないか。恐る恐る周りを見渡すと、大きな皿にちょびっとのツマミが乗っているものばかりが見えた。昔ながらの喫茶店風に見えて、ツマミの量は高級店のような出し方だ。Barなんてだいたいはそんなものだけれど、それでもかなりの割高感はいなめなかった。
一応サイフの中の持ち金を数え、改めてそんなに余裕がないことを確認すると、参加費とテーブルチャージが別ではないか、ドリンクは最低2杯からではないか、機材を使う場合は別料金ではないかなど、メニューといっしょに置かれた「セッションデーの説明」の紙を真剣に読み込んだ。
(ふぅーっ、良かったぁ、特に別料金はいらないみたいだな)
結果、参加費はチラシにある通りで、それ以外のお金は特に発生しないようだし、追加オーダーさえしなければ、そんなに大した額にはならなそうだったので、胸を撫で下ろした。そして僕は、割高な料金の事ばかりを考え、周りの人達のほぼ全員がテーブルの上に置いていた「最大の問題」にまでは、全く気が回らなかったのだ。

ある女性が、近くの別の女性に声を掛けるのが聞こえた。
「あら、『オール・オブ・ミー』ですか?うわぁ、どうしましょう。私もなんですよ。あらあら。リズムは?あっ『ボッサ』ですか。私『スロー』なんで問題ないですよね?そういえば、エンディングとか、いつもはどうされてます?」
僕はその2人のやりとりをなんとなく聞いていた。おそらくはセッションで演奏する曲名と演奏スタイルの話らしいけれど、僕にはさっぱりだった。ブルースセッションだとステージに上り、まさに演奏が始まる寸前での出たとこ勝負がほとんどだ。
だいたいがセッションなのだから曲の盛り上がりの感じでどうにでも変わってしまうだろうに、まるでライブ演奏でもするのかというほど、展開の詳細まで話しているではないか。

その時、店の奥の扉が開き、ホストメンバーらしき人物が現れた。ひょろりと痩せており、上下真っ黒のいでたちで、まるでアングラ演劇の劇団員のような独特の雰囲気だった。参加者達は皆いっせいに彼に挨拶をし、された本人はそれに返す事もせず、素早く各人のテーブルにある紙を手にするとに、まるで斜め読みするみたいにサーッと目を通し始めた。そしてものの数秒で、厳しそうな物言いで質問を始めた。
「えーと、これ、コード進行(和音の流れ)の書き間違い?それともこだわり?違うよね。直しておいてね。うん、うん。そう、そんな感じ」

早口な上事務的で、相手に余計な言葉を挟ませないような感じだった。なんだか気取った物言いで、かなり高圧的だ。ここで、僕はようやく気がついた事があった。
(あっ、そうか、あの紙は楽譜か。多分あれって手書きの楽譜だよな。どんな曲かは知らないけどさ。それが書き間違ってるなら、自分で勝手にアレンジして弾いてやればいいじゃん。わざわざ書き直せなんてさ。今日のセッションのホストバンドのメンバーなんだろうけれど、学校の先生かなんかと勘違いしてんじゃないの。あの「黒ズクメ」野郎はさ)
すると、今まさに注意を受けた参加者は大慌てで筆記用具を取り出すと、楽譜の修正にかかり、それが済むと、慌てて店の外へ飛び出して行った。僕はその様子に驚かされた。
(えー、なに?どうしたの、あの人?出て行ったぞ!ひょっとして、注意されて泣いちゃったの?一体、どこに行く気なの?)
注意を受けた後に店を飛び出して行くなんて、ただごとではない。お互いそれなりの大人同士なのだから。しかもなかなか気合の入った格好で店に来た以上、相手はおそらく恥をかかされたという事なのだろう。ひょっとしたら、これはトラブルとして店員が割って入らなければならないような状況なのではないだろうか。

驚くのはこれだけではなかった。その後にも、その黒ズクメの男の人はテーブルを回り譜面を手にすると同じようなやり取りを重ね、その内の数人が、さっきの人の後を追うように楽譜を手に慌てて店を出て行った。一体何事かと思える光景に、僕は唖然とするだけだった。けれどそれを店員さんの方は全く気にもしていない様子だ。これはよくある事なのだろうか。常連なのだろうから、出て行ったとしても飲み逃げなどではないのだろうけれど。

血相を変えて次々に店を出てゆく数人の行く先がどこなのか、僕にはまるでわからなかった。

つづく


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