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8話 マイナーハーモニカ

まさか、2度も自分がこんな漫画に関係のない店に来ようとは。僕はまた駅前の大きな楽器店に来ていた。
店に着くと、今回は脇目も振らずハーモニカの並ぶガラスケースへと向かう。その近くにいたのは、前回と同じ店員さんだった。
今度は子供だからとなめられないように「メジャーボーイを買いに来ました」とはっきり言い「Keyを選びたい」と伝える。
店員さんは、おそらくそれまでの時間、自分の趣味で弾いていたであろう手に持っていたエレキギターを丁寧にスタンドに立て掛けると、奥からテンホールズハーモニカの箱を出し、カウンターにドサッと乱暴に置いた。
相変わらず、同じ楽器とは思えないほどの扱いの違いだった。

僕は慎重に、ハーモニカの横に付くアルファベットを見比べる。そして今回は、真剣に見始めたせいか、AからGまでの中に見た事のない「♭(フラット)」という記号を見付ける。
けれども「♭」については、(このローマ字じゃないのはなんだろう?まぁ、いいか、読めないし)とすぐに興味をなくした。それよりこの時にもっと気になったのは、前回も見た「m」という小文字のアルファベットの方だった。
僕は、小遣いを全額掛ける事になるこの一大ギャンブルを前に、勇気を振り絞って、店員さんにこの小文字の「m」について聞いてみる。

すると、いきなり心を鷲掴みにされる「キラーワード」が、店員さんの口から飛び出して来た。
「あー、マイナーね。マイナーは良いですよね。大人のシブさみたいな」
これを聞いた瞬間、僕の全身がブルリと震え、背中のあたりがモゾモゾとして来た。

(間違いないよ。それだ!!大人の渋さだ。長渕 剛だってヒューイ・ルイスだって、大人だもの。だからあのハーモニカの「ポワ~ン」っていう音は特別だったんだ。間違いない、この小文字の「m」こそが、僕の探していたハーモニカだったんだ)

僕はゴレンジャーなら青レンジャー、ゲッターロボならゲッター2、キカイダーよりハカイダーといったクールな悪(ワル)が好きだった。それは当時中学2年ではまだ知らない言葉である「哀愁」があったからだった。もちろんマイナーは哀愁という意味ではない。まぁ非常に近い関係にある言葉ではあったのだけれど。
僕はすぐに小文字の「m」がついたものを選び、低い音を避けるため「Gm」を除外する。
そして一か八かの勘で「Em」を選んで買うことを決めた。

店員さんは、パチパチと歯切れの良い音を立てレジを打ちながら、僕に尋ねた。
「弾き語り用ですか?」
僕は全く意味がわからなかった。
(ヒキガタリ用?なんのことだろう?使い道とかの事かな?)

僕がわからないままに「そうです」と元気に返すと、店員さんはオマケをつけてくれた。
それは金属の棒にバネが付いた物で、一見すると自転車の部品のようでもあった。
使い方の説明図が台紙の裏に書いてあったようなので「後で見ればいい」とその場ではさして気もせず、同じビニール袋に入れてもらう。
ハーモニカより遥かにかさばるオマケで、パッケージの色あせた感じが、いかにも売れ残り感を出していた。

大人びた表情で「m」のついたハーモニカを吹くシブい自分を想い浮かべ、足取りも軽やかに家路に着く。僕はオヤツや飲み物を手に取る事もせず、忙しく部屋にこもると、すぐに新しいハーモニカを箱から出して、もともと持っていたGのKeyとふたつ並べてみる。
見た目は全く同じハーモニカだった。箱の感じやシールの色などがわずかに違うものの、楽器的には「G」と「Em」の表記以外に違いはなさそうだ。
そして、僕はドキドキしながらEmのKeyのテンホールズハーモニカを吹いてみた。

それは衝撃的なまでの音色の違いだった。
「えっ?なんで?なんなのこれ?」
音が、非常に、物悲しかったのだ。「ジョワァ~」と響くそれは、なんだか白々しいまでの格好悪さがあった。
小文字のエムの表示はマイナーと読み「短調」の事を指す。つまり「悲しいメロディーを吹くため専用ハーモニカ」だったのだ。
Cがドレミファソラシドにたいして、Cmはドレミ♭ファソラ♭シドと、短調の配列になり、強烈な音色の違いになるのだ。

(これ、まずいよ、まるでお葬式だよ。祟りだよ、八つ墓村から、口裂け女が来るよ!!)
僕はその「ジョワァ~」という音色から、言い知れぬ不吉なものを感じた。
けれども、その音の高さ自体はGよりも遥かに高く、長渕 剛っぽくはあった。
「くっそーっ!!また次の小遣いまで待つのかぁーっ!!」
詳しい事はわからないまでも、このテンホールズハーモニカではあの「ポワ~ン」という音が出せないのは、すぐに理解できた。

僕はいつまでも学ばない子供だった。最初から店員さんに、この「m」も含めて「アルファベットの意味」を聞けば良かったのだ。
僕は半ば騙されたような気がして店員さんを恨み、その思いで短調のハーモニカの物悲しい音色を、部屋いっぱいに響かせた。またその悲しい響きが余計に気分を滅入らせ、さらに情感を込め、悲しげな音色を奏でさせる。
この悲しみの負のスパイラルは、しばらくの間続くのだった。

つづく


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