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128話 それって常識?②

僕はギターの彼に演奏のテンポを伝え、イントロを「カウント出し込みの4小節分で」と頼むと、再び客席の方へ視線を戻した。参加者の数人がささやき合うように、僕の手の中にある小さなハーモニカの話をしているのが見えた。いつもの僕ならサービス精神から「ね、小さいでしょ?このハーモニカは、」と言った感じで、演奏前のトークを挟むところだけれど、さすがにそんな余裕もなければ、フレンドリーなムードでも無かった。
(まぁ、何はともあれ、これから初めてのジャズセッションに参加する事になるんだよな。さぁ、いよいよだぞ、いよいよ!!なんだかんだで、結局のところは知っている曲での演奏で良かったじゃないか。知らない選曲で手も足も出なかったら、それこそ後で黒ズクメに何を言われるか、わかったもんじゃないんだからさ)

そして、今からギタリストのカウントが入ろうかというまさにその時、後ろから突然ホストバンドのドラマーが僕に言った。
「えっ?リズムって、まさかバラードじゃないよね?さっき(の参加者)とかぶるよね?さすがに変えてよね。つまんないからさ。ねっ?」
それは僕への提案などではなく、明らかに「指示」の言い方だった。曲のテンポ(速さ)を変えろと言うならならまだしも、まさかの曲のリズム(ノリの種類)の方を変えろとは。
「ジー・ベイビー」といえばバラード、僕はすっかりそう思い込んでいた。一般的に言ってそのはずだ。世に出回っているレコーディング作品などでもそうだし、もちろん原曲でもそうだ。演奏の感じをしっとりとやろうがタイトにやろうが、バラードはバラードだ。それ以外、一体どうしろというのだ。まさか「ロックンロール風にしてみんなで踊ろう」とでも言うのか。
曲とリズムは常に一対だと思い込んでいた僕は、その場で完全に固まってしまい、どうして良いかわからず、ギタリストの彼の方を見た。ところがさらに驚かされたのは、彼の方も当たり前のように(リズムはどうします?)という顔を僕に向けていた事だ。何を言っているのかもわからない僕に、今この場でそれを決めろとでも言うのだろうか。

間髪を入れずに黒ズクメが提案する。
「ボサ(ノバ)どう?、今日はまだやってないし。まぁ、ボサっていうか、ゆるいサンバみたいにしてさ。で、テンポ倍にしてさ、こんな感じよ」
そのままベースで自分のイメージを刻み始める。するとドラムは、「ああ、それな~。まぁいいよ。サビどうする?戻さないよね?」と答え、なめらかにドラムとベースだけでコンビネーションを決め始め、それをギタリストに伝え、20秒と待たずに「聴いた事もないジー・ベイビー」の輪郭を作り上げ、そのまま決定してしまった。
ツーカカ、ツカツカ、といった軽やかで南国感が漂うボサノバのリズムは、僕にはまるで馴染みが無く、ファミレスやカフェなどでおしゃれそうに流しているBGMを聴いた事があるくらいのものだった。もちろん知っている曲もなければ、自分が良いと思った事も無かった。
僕以外で演奏の全てを決めてしまった上で、黒ズクメは僕に向かって言った。
「じゃあ、ハーモニカの人。いいね?どうする?カウントそっちで?イントロこっちでやっとく?それともなんかある?それこそ、ブルースっぽいのとか?ははは」
またもやからかい混じりだけれども、僕は怒るよりも完全に凍りついたままだった。知っていると思っていた曲が、リズムを変えられただけで全く違う曲になってしまっていて、おまけにそれを僕に今から「リーダーとして仕切れ」と言われたのだから。僕は完全にパニクってしまい、ついには汗がしたたって来る。とてもじゃないけれど、仕切るどころか、歌のメロディーラインをそのまま吹く事だってできやしない。そんな僕を黒ズクメは待ってはくれなかった。
「お~い、ハーモニカの人?聞いてる、って。なんだか、ダメみたいだね。じゃあ、ギターのあなた、もう、そっちでやっちゃって。ね?後つっかえちゃうから」
そう言うと、黒ズクメは素早くギター、ピアノ、ベース、ドラムのカルテットでのセッション演奏に入ってしまった。
その演奏クオリティーは高く、まるでバンドを組んでいるかのような息の合ったまとまり方だった。流石に初見云々という程の長い曲ではないものの、それでもたったあれだけのわずかな会話で、このように演奏を始められるものなのだろうか。ましてや、到底一般的とは思えない、「ジー・ベイビー」のボサノバ演奏なんかを。

凍りついていた僕がセッションの進行状況に気が付いた時には、もう曲はサビくらいの所まで進んでいた。ギターはコード(和音)を弾きながら、器用にテーマ(曲のメロディー)までも同時に奏でている。かなりの技量ではないか。僕の周りにはそのようなスタイルで演奏するギタリストなど1人もいないので、驚かされるばかりだった。
さらにそのメロディーだって、見事にボサノバの曲としてアレンジに完成度があり、まるでそれが定番のスタイルであったかのような説得力で聴こえて来る。
ボサノバなんて聴いた事はあっても当然ハーモニカで吹いた事なんてない。クロマティックハーモニカの名手「トゥーツ・シールマンス」がアルバムを発表した時に話題になったくらいだから、おそらく前例も少ないはずだ。そんなものを、会話にすら入れない僕が、ぶっつけ本番で吹ける訳が無い。
とはいえ、今、四の五の言っても始まらない。僕はスタンドマイクからやや距離を取り、聴こえないくらいの音量で自分のテンホールズハーモニカを合わせ始める。歌のパートが終われば次はアドリブソロのパートになる。なんとしてもそこだけは、意地でも音を重ねなきゃならない。
けれど、それもどうやら出来そうにはなかった。ハーモニカのKeyは合わせているので音自体がズレるはずはないというのに、時折出てくる複雑なコード(和音)の印象が強すぎて、つい自分の音を合わせる事にちゅうちょしてしまう。ボサノバのリズムの方も全くつかめず、まるでセッションには加われそうもない。ジャズに挑戦する以上「裏で乗る」訓練くらいは密かにしてはいたものの、それはブルースに近い「ルート66」くらいならという範囲でのもので、聴き馴染みすらないボサノバなんて手も足も出ない。

そんな僕を見兼ねて、ギタリストの彼はそのまま自分のギターでのアドリブに入ったようだった。(助かった!これで少しは時間がかせげた!)とひと安心するのもつかの間、あまりに聴いた事のないギター・フレーズばかりが飛び出し、僕には今彼が16小節のどこを演奏しているのかさえ解らない状態になってしまった。
僕はひとり、完全に曲から外れてしまっていた。まるで、宇宙船の故障でハッチが開き、すごい勢いで宇宙空間にはじき出され、上も下も解らずくるくる回っているような戸惑い方だった。
(もうダメだ、やっぱり僕には早かったんだ!!)
もはやどうしようも無かった。なんの準備もなければ、結局はこのザマだ。しかも今までの解らなさとは度合いが全く違う。今、曲がどうなっているのか、これから自分が何をすればいいのかさえもわからないのだ。

そんな時、いきなり聴き覚えのあるものが飛び込んで来た。何も無い真っ暗な宇宙空間でたまたまそこに浮いていたロープに手が触れ、それをがっちりと握りしめそのまま引っ張ると、その先は何かにつながっているのがわかるようにそのロープがピーンと張り、直感的に(助かった)と思えるような感覚だった。それは「シャッフル」のリズム。高校生の頃から聴いていた、あの「ジャッカ、ジャッカ♫」のような感じだった。ややジャズテイストではありながらも、ブルースではお決まりのリズムパターンだ。今まさに自分のアドリブを終えようというところでギタリストが機転を利かせ、一旦ボサノバから「リズムチェンジ」をさせて、僕に吹けるようなわかりやすいガイドラインを付けてから、僕にソロを回してくれたのだった。
僕は急に地に足がついた感じがした。これなら自分にも理解ができる範囲だし、上も下も解る空間に出たような気がして、足をしっかりと踏ん張り直してみる。無重力の空間が終わり、大地に着地したような感覚だった。

いけると踏んだ僕は、思いっ切りタイトに、そしてブルージーに、全身全霊でテンホールズを吹き鳴らしてやった。リードはビリビリとひずみ、長い事手に持っていたためかなり熱を帯びているハーモニカのボディーから、手の内側に金属的な振動が伝わって来る。
狙った通りの甲高い出音が店内に響いていた。テンホールズは出音のインパクトで決まる。すぐに客席から歓声が漏れ、僕のエンジンは完全に掛かった。そう、音楽は結局はシンプルだ。聴く側がウケれば、それで良いのだ。
そのままの勢いで2コーラスほど吹き切りピアニストへソロをふろうとすると、すぐ横に顔を寄せて来たギタリストが「そのままテーマへ行って、ハープでシメましょう!」と、はっきりと言葉で伝えてくれた。どうやらホストメンバーのピアノソロは省き、このまま曲をシメる方向のようだ。曲に盛り上がりが出ているので、それで良いのかもしれない。

僕は大きくうなずきながら、自分のアドリブソロ終わりから「ジー・ベイビー」の歌のメロディーへとハーモニカを吹きつないで行こうとした、まさにその瞬間だった。なんと、まさかの黒ズクメのウッドベースが、曲のリズムをボサノバへと戻そうとし始めたではないか。
なぜそんな事をするのか、僕には全く理解できなかった。曲は十分に盛り上がっているのに、明らかに不自然なアレンジを加えようとしているのだ。なにより元々がボサノバなんかで演る方がおかしかったというのに、わざわざまたそれを演ろうとするなんて、一体どういうセンスの持ち主なんだ。
一旦ハーモニカの音を止め、せっかく僕が作ったブルージーなムードをぶち壊そうとする黒ズクメを、思いっきりにらみつけてやった。それこそ、もう「喧嘩上等だ!」くらいの気持ちで。すぐに仲裁をするかのように、ギタリストがブルースのシャッフルを強めに重ね始める。僕は「来た!」とばかりにハーモニカとギターでシャッフルのリズムでガッチリと合わせ直す。次第に根負けしたかのようにドラムもそれに合わせて来たので、多数決で黒ズクメのボサノバ変更案は却下された。
僕はそのまま歌のメロディーをシャッフルのリズムでタイトに吹き切り、なんとか無事に「ジー・ベイビー」のセッション演奏は、終わりを迎える事ができたのだった。

曲が終わるやいなや間髪入れず、焦るようにギタリストの彼が言った。
「いやー、すいません!なんかあのままブルージーな感じでまとめたかったので、勝手をしました!みなさん、ごめんなさい!」と。
なんて無理のある言い分だろう。この場をなんとか穏便に収めようという彼の気遣いはわかるけれど、いくらなんでもこれは黒ズクメをかばい過ぎではないか。音楽には答えが無いからって、せっかくのハーモニカ向きの流れが出来た状況で、シャッフルからボサノバに変える必要が、一体どこにあるっていうのだ。
ただならぬ空気を感じ取ったギタリストの彼は、僕の肩を抱えるように、元の席へと押し出すので、僕はそのままステージを後にするしかなかった。仕方なくそのまま席につきながらも、僕の怒りはもう鼻息の荒さを隠せないほどにまでなっていた。殴り合いをする気は無いまでも、納得が行かない事くらいは言葉で伝えてやりたかった。
そりゃ、ボサノバなんてリズムは僕にはできないけれど、ブルースハープがブルージーに演っていて、聴いている客が湧いているのだから、さっきのはあのまま終われば良かったじゃないか。すでに僕が手も足も出ないとわかったボサノバにわざわざ戻すなんて、そんなのステージの上でやる、楽器を使った公開いじめのようなものじゃないか。

僕をなだめながら、相席のギタリストは笑顔を絶やさず、僕に語り続ける。
「私が勝手にシャッフルで合わせたんでいけないんですよ。広瀬さんが、ボサノバがお嫌いなのかと。ブルースマンですし」
僕がブルースマンだから?とんでもない。全ては僕がボサノバを吹けなかったがため、あなたが機転を利かせてシャッフルに変え、わざわざ僕の出番を作ってくれたんじゃないか。どうしてこんなにも、彼は黒ズクメ達をかばうのだろうか。
やがて、彼のおだやかな調子が、僕のテンションを少しずつ落として行ってくれた。そして彼は、おそらくは今までも他の人達にして来たであろう親切を、時間を掛け、僕にしてくれたのだった。

ジャズのセッションでは「その曲を始めた時のリズムとテンポに戻すのがルール」、つまりはそういう事だった。彼はこの知識を僕に伝えるため、「さっきは自分が悪かった」を繰り返しながら、黒ズクメをかばい、僕のハーモニカの音色を褒めそやし、やさしく丁寧に言葉を続けて行った。
良い悪いではなく、それがジャズでのルール。ようやく全体像が見えた僕は、もう返す言葉も無かった。まさかそんなルールがあったとは。「穴があったら入りたい」とはまさにこの事だった。それに、大した知り合いでもない間柄の僕のプライドを気遣い、ここまでの接し方をしてくれるなんて、なかなか出来るものではない。僕は顔から火が出るような恥ずかしさだったけれど、今はどうしようもない。僕は無知で、ここでは初めての事ばかりなのだ。彼の親切に報いるとすれば、今回の事で僕がしっかりと学ぶ事なのだろう。

その後続いた他の参加者達のセッション演奏は、まさにギタリストの彼の解説の通りだった。一度変更したリズムは、曲の最後にまた元のリズムへと、白々しいほどに戻されて行く。たとえそれが、どんなに不自然であったとしても。
僕は恥ずかしさを隠しつつ言った。
「なるほど、誰もが、その通りに演るんですね。それが決まりなんですね」
彼は注文したポッキーをつまみながら、穏やかな表情のまま答えた。
「畑の違う広瀬さんには、それがかなり違和感がある事なのでしょうね。まぁ、その内に慣れますよ」
僕は自分の無知の恥ずかしさですぐにでも店を出て行ってしまいたかったけれど、今は彼のご厚意に甘えつつ、この機にしっかりとジャズセッションのルールを頭に叩き込もうと決めた。考えてみれば、これこそ自分が長い事できなかった、本当の学びなのだから。
(それにしても、まだたった一曲演奏しただっていうのに…)
僕は長い夜になりそうだと覚悟しながらも、つくづく怒りに任せて黒ズクメにくって掛かからなくて良かったと、胸を撫で下ろすのだった。

つづく

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