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異物

 これは私の告発であり、告白である。

 その頃、私は長引く体調不良からなかなか抜け出せずにいた。ギックリ腰から始まり、風邪、足の指の膿み、持病の膝の悪化。。。五十路に近づき、いろいろ出てはくるとは思っていても、やはりここまで続くとさすがに気が滅入って来る。風邪がなかなか治らないことから、胃腸の調子もすぐれず、私はすっかり食欲を失っていた。

 そんなおり、かみさんが『菓子』を買って来てくれた。コンビニなどに並ぶ『幼児』向けのもので、大手メーカーの大定番商品である。その味は優しく、大人の中にも隠れたファンは多い。私もその一人で、実は恥ずかしげもなくよく購入していたが、続く体調不良からしばらくのご無沙汰であった。

 さすがに幼児向けのものならば消化にもよかろうと袋を開け、力なくかじってみる。鼻は効かないものの、喉の内側から柔らかいバニラの香りが広がって来る。咳き込みながらも緑茶で飲み込み、次へと手を伸ばしたその時であった。

 ザリッ。。。

 とても嫌な感覚であった。一瞬ザラメではと思いつつも、すぐに嫌悪感がそれを吐き戻させる。丹念に吐き出しつつ、舌は忙しく口内の状況を調べる。徐々にあの独特の味が流れ込んでくる。血の味である。

 私は台所に行き、流しの網を使い、戻したものを手から移すと、まるで砂金でも探すかのように水で漉(こ)しはじめた。ある程度の塊がすぐに姿を現した。あきらかに鋭利な部分があり、これが私の口内を傷つけたのは明白だった。いかりとも焦りともつかない状態のまま、私は漉し作業を続けた。一体いくつくらいあるのだろうか。私はそれを、全て吐き出せたのだろうか。

 最初に出てきたものと同じ大きさのものが2つ、小さな粒が3つ、合計5粒であった。私は丁寧にティッシュで拭き取り、いよいよその正体に挑んだ。正確にはわからないが、どことなく見覚えがあるような色艶だった。最初の印象は『魚の骨』であったが、人工的な角度が存在していることと、意外なほどの硬度から、それがなんらかの成形品であると理解できた。

 後送りにしていた嫌悪感が、遅ればせながらやって来る。これは一体なんなのか?すでにいくつかは飲み込んでしまったのか?飲み込んだとすれはやがては出て来るものなのか?私はしばらく考え、出来ることから実行に移して行った。
まず5つの破片をプラスチックファイルを切り抜いて作ったケースにしまい、テープで密閉した。菓子の箱からサービスセンターの番号を見つけ、片手に携帯を持った。電話での必要事項をメモするべく、コピー用紙の裏とボールペンを定位置に並べ、新たに入れた茶を横に置いた。

 すでに口内の血はとまり、気持ちの落ち込みにも若干の余裕が出ていた。私は茶を飲みながら考えていた。このことについて、今から菓子のメーカーに連絡をすることになるわけだが、本当にそれをすべきかどうか。

 メーカーは超のつく大手企業、例えこちらが100%の被害者だとしても、すんなりと話を聞くだろうか。どうせ頭のおかしなクレーマーのように扱われ、電話をたらい回しにされたあげく、確実な証拠を出せなどと言われるのではないだろうか。
ならば、この件はもう忘れてしまおうか。この謎の物質をゴミ箱に入れ、たかだか200円にも満たない損を受け入れるだけのこと。今は体調不良もあり、余分な気力も体力もないのだから。

 しかし、とある経験が、私の諦めに鞭を打った。少し前、赤ん坊が生まれたということで、友人の家にお邪魔した。その子は想像以上にかわいらしく、おそらく今まで自分が見てきた赤ん坊の中では、もっとも『天使』に近い存在だった。
どうしてもと言われ、からかわれるように抱かせてもらった時の両手の感覚は衝撃的で、文字通りの至福の喜びとなり、数日後まで心地よく尾を引いた。

 あの子も、いつかは、この菓子を食べるのかもしれない。。。

 私は生唾を飲み、怒りから来る動悸と向かい合った。吐き出したこの物体は、間違いなく私の口内を切った。そして、いくつかを飲み込んだのかもしれない。
かつてメーカーに勤めていた時の経験から、ひそかにこれがプラスックの成形品の破片であることは自分の中で断定していた。菓子の成形工程でノズルのような部分が砕け散り、それが混入した、といったところだろう。
とすれば、幼児向けの菓子メーカーとしては一大事だ。信頼の失墜どころの騒ぎではない。大きな損益を覚悟してでも製造ラインを一旦は停止させ、一斉点検を余儀なくされることだろう。

 連絡することは正義だ。だが、正直自分はそのきっかけにはなりたくない。責任あるポストのひとりふたりが路頭に迷うことになるかもしれないし、そのブランドは一斉回収、コンビニからも姿を消すほどの期間を必要とするかもしれない。
私にはこれといって損害はないが、だがやはり、そのきっかけにはなりたくない。

 考えに考え、私は最悪、この手に抱かせていただいたあの子を傷つけていたかもしれないのだから、との思いから、一応連絡をしてみることにした。ただし『クレームを目的とせず、あくまでも心配だから念のため連絡をしてみた』という立ち位置を全面的に打ち出すことにし、手短に解決させることに努めた。

 サービスセンターの電話の対応は決まり切ったものだった。相手は『Tさん』という女性。受付窓口のプロといった感じだ。会話の録音、こちらの状況の説明、細かい質問による状況の確認、そして形式的な謝罪。私は『自分に損害はない』『ゆすりたかりではない』『幼児の商品だから連絡をした』という言葉を繰り返していた。

 誠意なのか決まりなのか、最寄りの担当者がすぐに私のところへ駆けつけるという。体調不良とはいえ私にも外出の予定があり、それを断り、取り急ぎ、とりあえず出てきた物質を撮った写真をメール添付し、早急に返事をよこすという専門の部署へ送り、連絡を待つということになった。

 数時間が経ち、外出を終え、私はこのことをかみさんに武勇伝のように語り、社会に影響を与えることの難しさとその勇気について熱弁をふるっている頃、専門の部署といわる相手からぶっきらぼうなメールが届いた。書いてあったのは決まり切った挨拶文と、出てきた物質を郵送で送り届けてほしいという住所だけであった。

 当然、私は激昂した。大手だか専門の部署だか知らないが、一体どういうつもりなのか?一応はこちらは被害者だ。せこいかもしれないが購入した菓子の分、それを無駄にはしているのだ。きみらは製品の品質を維持するのが仕事かもしれないが、私がそれに協力する義務などないのだ。これが大手の発想だ。自分たちの仕事が偉業か何かだと思い込んでいる。居酒屋で無駄にデカイ声で叫んでいるのは、みんなこの手の輩なのだ。

 すぐにサービスセンターに連絡し、最初に対応した『Tさん』を呼びだした。別の担当から彼女に変わるまでの数秒に、最初の電話で聞かれた質問にも、遅れて腹が立ってきた。『子供が食べたかどうか?』だ。私は、自分に子供がいるのかどうか、あるいは被害がひとりなのかふたりなのかという単純な質問だと思っていた。
だが、おそらくそれは違っていた。『幼児用の菓子』を私のような『おっさん』が食べたのか、という質問だったのだ。

 やがて『Tさん』の声が聞こえ、私は最初の立ち位置を思い出し怒りを抑え、クレームには聞こえないよう、とりあえず専門の部署というとことろからメールが来たが、荷物送りについては『着払い』でもよいのかどうかの確認をした。もちろんこれは嫌味であった。彼女は慌てふためき、私のニュアンスを察し、かなり大げさな謝罪を繰り返し、改めての郵送を丁寧に依頼して来た。
正直あまり気分が良くないメールだったことは付け加えるも、『小さいことをいうおっさん』と思われている前提で、私は潔くここで幕を引いた。

 後日、専門の部署というところから、やはり決まり切った文章で、調査に時間がかかるため、連絡は数週間後改めてとのハガキが来た。実に気分の悪い顛末だった。思い出したようにSNSなどでその会社と菓子名を入力し、異物騒ぎや商品の回収などのニュースはないかと探してはみるも、さらに悪化した体調不良の日々から、自然とそのことから意識が遠のいていった。

 数日後、事態は一変する。

 私の体調不良は相変わらずだった。ギックリ腰から始まり、風邪、足の指の膿み、持病の膝の悪化、そして、新たに種類の違う風邪をひき直していた。ここまで続くともはや祟りかと笑ってすらいた頃、突然口の中に違和感が現れた。虫歯の時に味わう、あの独特の異臭が混じるヨダレが流れ出たのだ。頬を凹ませ、チュバ、チュバっと吸い出して、それを確認すると鏡や携帯などを使い場所を特定する。その気持ち悪さから逃れるために私はティッシュを丸めて噛み、とりあえずと口乾かそうとした。

 ティッシュ越しに新しい違和感が伝わって来た。それはすぐに現象となって、手の上に転がり出た。なんと『歯』が抜けたのである。

 いかに体調不良でもこれは怖い。私は慌てふためき、抜けた歯に意識を集中させたが、ほどなくしてそれが『歯の形をした詰め物』と解るとすぐに安堵し吹き出して笑った。まぁ、良いことではないが、ここ一連の体調不良の中では最も深刻度が少ない。私は抜けた『歯』を見つめながら、どこか見覚えのある色や質感に、どの記憶であったかと巡らせるも、思い出すことまでは出来なかった。

 翌日、すぐに歯医者を予約し、ギックリ腰の再発に怯えながら、悪化した膝をかばいつつ、ひさしぶりの診察を受けた。詰め物といえはやはり話のメインは『セラミック』。とりあえず提示された金額に、今度は心臓が止まりそうになった。演奏にも影響があるからと高くても良いものを勧めるかみさんの話をよそに、私は保険の範囲内という決断を下し、すぐに治療スケジュールの打ち合わせに入った。
歯医者の方も、私があまりに金額に驚いていたせいか、フォローするように小笑いながら補足する。

 「まぁ、そのまま今までのをはめるのが一番お金はかからないんですがね。大分、割れちゃって、破片が足りないんでね」

ザ・ワールド。何者かが時間を止めた。。。

 私は、どうしても急いでかけなければいけない電話があると、一旦治療を中断してももらい、それを行った。電話のコールが続く間、ついさっきまで手の中にあった『詰め物の歯の色』によって突然目の前に現れたゴールに、例えようもない焦りと、髪をかきむしり叫びたくなるような恥ずかしさを味わっていた。

 「あ、Tさんですか!?、、わ、私です!!あの、この前の、広瀬です!!あの、お菓子の、幼児のお菓子を食べてお電話した!!はい、そうです、子供じゃなくて、自分で食べて、あの、おっさんなのに、ああいうの結構好きで、はい、そうです、あの広瀬です!!はい、はい、そうです!!ああ、良かった、覚えてくれてて!!え〜と、今、歯医者なんです、、」

Tさんは全てを見越していたようだった。おそらく、このような連絡のほどんどは、自分の歯の破片などの勘違い。その場で歯が抜ければまだしも、実際に異物が出てくるわけだから、当人は驚き、腹を立てるしかないのである。ましてや相手は硬いせんべいなどではなく幼児用の柔らかい菓子、自分の歯が欠けるなど、考えられるはずもないのだ。

 「ですから、、、そのぅ、調査は、そのなんと言いますか、、、必要なくなってしまっていてですね、、、はい、、、」

 「いえいえ広瀬さま、とんでもございません。当社の製品によって、広瀬様がご不快な思いをされたのは確かでございますし、その歯を傷つけた原因が、本当に当社の製品でないかを確認するということも、大切な調査の目的でございますので」

 さすがは超のつく大手。私の連絡から、うすうすはと思いつつも、それでもやはりその原因が菓子にあるのではという観点で様々な検査を行い、そして間違いのない結論を出すというお考えなのだ。

 数日後、『歯の治療材』である可能を検出した旨の検査報告書と、山積みの菓子が届いた。罪悪感と気恥ずかしさから、この菓子をどこかに寄付でもしようかとも考えたが、とりあえずそれはやめて、自分で食べることにした。
やはり、この会社の菓子は、どれもすこぶる美味いのだ。

2018.4.15