見出し画像

ジャンボリーについて

 いつの頃からか、私は『宇宙人』に興味がなくなった。UFOを見たことがないということもあるが、とにかく、興味がなくなってしまったのだ。……が、映画は別だ。今まででもっとも感動した映画ベスト10には、間違いなくジョディフォスターの『コンタクト』が入るし、 新作でエイリアンものは、レンタルDVDだが、ほぼ見逃さない。ただ、それを現実面には落とし込めないのだ。

 かといって、幽霊やUMAには多少の現実的興味が残っている。うちにはもうテレビは無いが、YouTubeで『心霊映像』は見るし、森に入るとたまに『ツチノコ』のことをぼんやり考えたりもする。しかし、宇宙人は、やはり気分を高揚させてくれないのだ。なんかこう、突飛すぎる気がして来るのだ。まだ海底人や地底人の方が、なんらかの可能性を感じてしまう。空飛ぶ乗り物に乗ってはいないからだろうか、やや地に足をつけた存在のように感じるのだ。また、地続きにいる者同士、いつか語らう必要性も感じてしまうのだ。

 ふぅ~、……自分は、なんともつまらない人間になったようだ。……と、書くと、なら昔はつまらなくなかったのか?じゃぁ、なんか、特別な経験のひとつでもあるのか?……と問われることだろう。……あるよ、ひとつだけ。……まぁ、あるっぽい、……そんな感じ。

 それが、『ジャンボリー』との出会いだった。

 私は子どもの頃、東京の下町から緑豊かな千葉の団地街へと引っ越したことがある。まだ新しい団地で、新参者ばかりのため活気もあった。延々と続く団地には様々な年齢の子どもたちがいて、中央の広大な公園は、まさに人種のるつぼを感じさせた。

 それは引っ越して数年が経ち、小学校低学年の頃だった。すでに近所に友達も出来てはいたが、その頃の私は引っ込み思案な上、球技全般がひどく苦手なこともあり、ひとり砂場で遊ぶことが多かった。砂場は次々に卒業者を出し、私はすぐに古株になった。卒業者たちも砂場近くの水飲み場には来ることがあるが、みな一様に年上の子の仲間に入りたがり、もう砂場には目もくれなかった。かなりおいてゆかれた感があったが、サッカー、野球、ドッチボール、バトミントン、どれをとっても加われる気がしなかった私は、ひとりもくもくと、砂場の古株として留年を続けた。

 砂場の前には3mほどの高さのコンクリートの山があった。所々にトラックのタイヤがむき出しになっていて、かなり大雑把なアスレチックとなっていた。ここでは『高い鬼』、『ワニゴッコ』などと呼ばれるルールが曖昧なオリジナルの遊びが流行り、どの子もよじ登ってそれぞれに遊んでいた。てっぺんはそれなりに見晴らしもよく、野球場くらいもあるアスファルトのグラウンドが一望出来た。私も砂場の延長でその山に登り、かつてともに遊んだ仲間たちが年上の子らに群がり球技に混ぜてもらおうと頑張るさまを、離れて眺めていた。いじめられていた、ということではないし、たまに誘ってくれる子らもいたが、自分から加わりたくなるほどの何かを、特に感じることが出来なかった。

 そんなある日、あの子はいきなり現れた。今でも本当によく覚えている。夏の暑い日だった。空は完璧な青空で、大きな雲が、ドカっとひとつだけあった。たぶん日曜日の午後2時頃だったと思う。私は一旦、昼ごはんを食べに帰り、それからまた公園の砂場まで戻って来た頃だからだ。
私はなんとなくコンクリートの山の方を見た。なんの合図もなかった。風が吹いた訳でも、音がした訳でもない、ただなんとなくだ。けれどもそれは、砂場の子たち全員だった。いや、それどころか、水飲み場の子たち、ブランコの子たち、ゴムだん跳びの子たちも。もちろん、男の子、女の子の両方が、みな、申し合わせたように、コンクリートの山の、その頂上の方へ自然に視線をやったのだ。

 誰もが初めて見る子がいた。半袖半ズボンの、日に焼けた健康的な男の子が立っていた。角刈りのような頭に、太めな眉毛、唇は分厚く、かなりやんちゃな感じ、しかしいじめっ子のようではなく、一目でわかるリーダー的な存在感を持っていた。彼は腰に手をあて、グラウンドを見下ろしていた。おそらくグラウンド側の子たちも、全員がこの子を見ていたはずである。

 不思議な沈黙があった。その子が、片手は腰のまま、まるで風呂上がりに牛乳を飲むかのような格好で、もう片方の手を口に添え、ヤッホーをやるポーズをとると、声高らかに叫んだのだ。

 「ジャンボリーーーーーーー!!!……」、と。

 その声は、妙にはっきりとしていて聴き取りやすく、いつまでも耳に響いている感じだった。次の瞬間、沈黙は一斉に破られ、その公園にいた全ての子たちが、恐ろしい勢いでコンクリートの山を登り始め、こぞってその子の周りに集中した。まるでタダで配られるお菓子に群がるかのように。

 全員がその子に、何かを叫んでいたと思う。むろん私も。それは例えようもなく嬉しく、キャンプファイアーを前にしたような原始的な高揚感があり、それでいて、どことなくお参りをする時のような神聖な感じも漂っていた。その子を中心としたうねりはかなりの広範囲で、コンクリートの山のすその辺りまでしか近づけなかった子たちまで含め、ひとり残らず、同じグルーヴの中にいた。

 全員が一度にその子に話し掛けていた。どこから来たのか?名前は?どの団地に住んでいるのか?学校は?何年生か?何をして遊びたいのか?
当時、引っ込み思案だった私ですら、必死に話し掛けたひとりだった。自分よりはるかに年上だった。でも、どうしようもなく、私はその子に遊んで欲しかったのだ。その子は決して言葉を返さなかった。ただ誰の話も無視しなかった。私はなんとか近付きたかった、手を伸ばして少しでも触れたかった。周りじゅうの手が、絶えずその子の洋服や手を引っばっていた。

 私たちは野球をしていた。どちらのチームともなく、たた声援を送り合い、誰かの打った玉を、誰もが夢中で追っていた。自分に打順が回った気はしないが、それでも何かしらの役割があったように記憶している。
正に、……夢のような時間だった。

 気がつけば、もう夕方で、そして野球は終わっていた。試合だったのかもわからなかったが、もう終わったことは確かだった。もう、その子がいなかったからだ。
誰もがボンヤリしながらただ突っ立っていたが、親が呼びに来るごとに、パラパラと団地に帰っていった。私は高揚感を引きずりつつ、夕食で親にその子の話をまくしたてるように話したのを覚えている。
しかし、「どこの子か?」そう聞かれると、なにも答えることが出来なかった。

 次の日、公園では、誰ともなく、昨日の子は?今日は見た?と聞きあっていた。もちろん誰も答えられなかった。その日も全員で野球をしたが、実に味気のないものだった。その子がいないからというだけなのに。気がつけば、全員分け隔てなく、一緒に遊んでいた。小さい子も大きい子も、女の子や、仲間外れの子も。そして野球嫌いで砂場を卒業出来なかった私も。

 その後もしばらくその子の話題は続いたが、やがておさまり、そして消えた。私はしつこく食い下がって、その子の話を続けたが、少しずつ、そんなヤツは見なかった、という子が増えていった。

 私は今でもその子のことをはっきりと覚えている。『ジャンボリー』という名前ではないはずだが、何にしても、子どもたちを虜にさせる存在だったのだ。それが『妖精』とか『妖怪』などという範囲なら面白い。もしその子についていった団地の子がいたとしたら、それこそ『神隠し』にあっていたことだろう。夜ではないがピーターパンのような存在でもあるし、ファンタジー的にメタファーとしての解釈も出来そうである。もし未来に何らかの緊迫した事態が起こり、誰かがタイムスリップして、ジャンボリーと叫ばなければならなかったのかも……

 まぁ、なんにしても、これだけが、私の唯一あった特別っぽい経験である。この私のくだらない記事を読んだ方の中で、「自分もその子に心当たりがある」という方、何より「自分もあの場にいた」という方、もしいらっしゃいましたら、是非ご連絡のほど、よろしくお願い申し上げます。

2013.3.3