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「ラブ フロム ワタシ」 ~ラブ フロム サンボマスター at横浜アリーナ 感想~

(感想ブログです。セットリストのネタバレがあります。ご注意ください。ご注意ついでにライブが最高だったので観てください。ライブは終わりましたが、アーカイブが1月17日まで残っています。是非↓↓↓)


 ※去年30歳になりましたが、まだまだキッズなのでメンバー名は敬称略で参ります




 嘗て山口自ら、「最高にカッコいいイントロ」と豪語したあのギターイントロがかき鳴らされた。演奏曲が分かりハッとしたのも束の間、続けてベースとドラムが合わさってくる。そしてドラムス木内泰史は吠える。その咆哮は、空前絶後の大寒波で凍える私の体温を上げてくれた。


「君の事だけ考えさせておくれ!」


 高ぶった感情のまま私はこの歌詞と共に、モニター越しに拳を上げていた。一人だけのリビングに私の声だけが響く。しかしそれは、私しかいない空間にサンボマスターが突撃してきた瞬間であった。その理由は私が上げていたこの拳が知っている。拳を上げたくなった欲望はこの静寂を破り出して行くように、彼らに導かれていたものであった。ならば今度はこの拳をピースサインにして、また叫ぼう。

 「光のロック」。それはこのライブ3曲目で見せた、最初の光であった。




サンボマスター「真」感謝祭

 1月9日に行われた「ラブ フロム サンボマスター at 横浜アリーナ」は、結成20周年を迎えたサンボマスターが「『真』感謝祭」と銘打って行ったライブであった。元は20周年記念の「感謝祭」として、去年はライブツアーを回る予定であったが、昨今の事情からライブは軒並み中止。だからこそ年明けの2021年を真の感謝祭として、このライブを迎えるはずだった。
 しかし今回もライブは開かれるものの、当初予定していた有観客ではなく、無観客の配信ライブとして行われることとなった。サンボマスター初の生配信ワンマンライブとなったのだ。

 今回はメッセージの強い楽曲とライブパフォーマンスが魅力の彼らが、モニター越しに見せた個人的ハイライトを並べてみようと思う。冒頭のお漏らしはすみません。めっちゃテンション上がったので……。


私の放課後の性春

 約10年ぶりに披露したという7曲目の「きみはともしび」のあと、3人は別のステージへ移動する。着いた先はライブハウスを彷彿とさせるような、先ほどまで歌っていた場所よりも小さなライブステージ。このブロックでは「さよならベイビー」をはじめとした、結成当初の懐かしい楽曲たちが披露された。特に「美しき人間の日々」は、私が初めてサンボマスターに触れた楽曲だったので、その曲が20周年記念のライブで歌われたということは感慨深いものがあった。
 私が悶々としていた中学生の頃、汗をかき、地べたに転がり回りながらこの曲のギターを搔きむしる山口の姿は、今も色褪せずに思い出すことが出来る。その姿を見た衝撃は今も鮮明に覚えている。
 しかし懐かしさに浸ってばかりではいけない。彼らがこの曲で伝えるように「今」を生きないといけない。懐かしい曲たちを並べて、嬉しいこと、悲しいこと、いろいろあったであろうあの頃を思い出している「今」を、見ていかないといけない。少し「イカ臭い」このブロックのセットリストからは、そんな臭いがした(※1)


お前は今、生きたがっている

 現状、私の「今」は明るいとは言えないものだ。寧ろほとんどの方が今が明るいといえる状況ではないであろうけど。私の場合はこの状況下で職場の異動が決まり、こんなにも落ち着いてしまった年末年始を過ごして、これからも利用客が伸びる見込みもない。そんなサービス業従事者の今がここにある。
 「とはいえ生活が出来ないわけではないから」「もっと大変な方は居るであろうから」と、自ずと悲しい天秤をかけては今を生きている。

 そんな私に山口は「そこがお前の居場所なのか」と問い始める。「居場所間違えんなよ」と彼は続ける。まるで何かと比べて相対的に生きている自分に向かって、絶対的に生きろと言い放つように。彼は「ここが居場所だぞ」と彼の立つステージを指差し叫ぶ。そのステージはサンボマスターの3人とスタッフ数人が集まる、広さを持て余した横浜アリーナであり、モニター越しから見える、私と彼らだけのライブステージであった。
 時に何かと比べながらも生きている私を、それでもなお、何とかして生きたがっている人間なんだと肯定するように、生きようとする要素をこの状況下で間違っていただけなんだよと教えるように、今ここで鳴らしているステージこそが生きる要素であって欲しいと願うように、13曲目の「生きたがり」が歌われていく。あの時、私の生命はきらめいていたはずだ。


土曜の夜は未来を歌おう

 きらめきあった私たちは希望を歌いたくなる。「孤独とランデブー」の始まりだ。先ほどまでの攻撃的なサウンドで「おい!こっちだぞ!!こっち向け!!」と叫んでいた彼らとはまた違う、優しいダンスビートが会場を包み込む。
 自然と体が横に揺れ始めれば、この日、1月9日の土曜日の夜は更に特別感を増していく。きらきらと輝いていく。

 楽しい夜はあっという間だ。間奏後の木内のスネアドラムが合図となって、ダンスフロアは最高潮を迎える。

悲しみにサヨナラ そうさ今日限り
もう僕はたくさんだよ
今すぐ君と笑い合う そんな夢を今日は見たい
この世界はちょっと悲しくて 誰の心もなくしちまう
話そう 本当の気持ちを 僕は君の事を夢見たいのさ (※2)

 時間も場所も決まっていないけど、いつか君と笑い合おうと約束をする。ラストサビ終わりには誰しもが歌えるであろうメロディが流れていく。それを口ずさんでいると、山口はそのメロディのハモリパートを歌いだし、溶け合った音楽は小指を絡めていく。大きな会場ならではの特効も(私個人的にだが)笑いを誘い、楽しい夜は明けていくのであった。


あの日僕は「遮断」を笑った

 ダンスナイトが終わったとはいえ、ライブはまだまだ終わらない。ラストに向けて盤石なセットリストを掲げて、サンボマスターが猛追していく。時に「負けないで」とシンプルに声をかければ、お待たせしましたとばかりに愛と平和を叫び合う。そんなライブをやってきたし、やり続けて来たし、やったと言い続けてきた彼らのラストナンバーは「花束」。ワンマンライブではないが過去の配信ライブでも披露されたこの曲は、ベース近藤洋一による、暴走をきっかけとした最高の茶番劇が繰り広げられたのであった。

 茶番劇の内容は文字に起こしても、あまり面白くはならないと思うので、(実際にライブ映像で、ハンドメンバーの空気感に触れて初めて面白くなると思うので)説明は省いてしまうのだが、茶番劇のある場面をライブ後になって改めて思い出してみると、そう思えたら素敵だなと感じたところがあったので、それまで書いて終わろうと思う。


 茶番劇には途中「遮断」されてメンバーも見ているこっち側も笑ってしまう場面がある。本人たちは完全におふざけでやっているのだが、彼らがこれまでライブ中に、私たちに向けた観客が居ようと居なかろうと、今この場でライブを楽しめれば一緒に居れるんだという「繋がり」を指し示していただけに、これが「フリ」となった「遮断」がより面白くなってしまう。
 しかし、「遮断」を行った場は、見ている私たちが唯一辛うじて、繋がることが出来る場であったので、私にはこの一連のやり取りによって距離感が一気に近づいたような気持ちになったのだ。

 そして見ている側の共通認識として、彼らメンバー同士で笑い合っているやり取りや関係性から見て、この「遮断」が一時的なものであるのは明らかであった。だからこそ笑えたのだと思ったのだが、この遮断を笑いとばしているやり取りが、今私には一番必要なものだと感じているのだ。

 「遮断」をどう捉えるかと言うべきなのか、つまるところ今私が現地で観たいものが観れない、会いたい人に会えないという「遮断」は、現地で観たい人、会いたい人との関係性によって、「一時的なもの」と思えるのではないかと考えるのだ。

 茶番劇で行った「遮断」を笑えたのは、サンボマスターのメンバーの仲の良さや間柄をこれまでのライブ映像や、オーディオコメンタリーで垣間見えているわけで、だからこそこの「遮断」はある程度の期間を経れば、元に戻ると思えたから。ならば私も、今までのライブないし、今回観たライブによって築き上げたり、繋がれたと思える関係性を持っていれば、今回無観客で現地で会えなかったという「遮断」も元に戻ると思えてきたのだ。そう思えたら素敵だと思うのだ。私はあの時面白おかしく「遮断」を笑えた自分を信じたい。そう思わせてくれた彼らを信じたいと思いながら「花束」を聞いていた。

信じてんぜ君を そう昔から気づいてた
あなたは あなたは 花のように咲きほこる人 (※3)


 


信じてんぜサンボマスター。また会いましょう。






(※1)
「放課後の性春」がオナニーマシーンとのスプリットアルバムであるのは知っていましたが、恥ずかしながらオナマシは通っておらず、イノマー氏の存在を知ったのはつい最近の事でした。テレビの特集からですが、壮絶で、すさまじい生き方を見ました。何を並べたって陳腐ですが、最高にカッコいい人が居たことを僕は忘れません。


(※2.※3)
サンボマスター「孤独とランデブー」より 作詞山口隆
サンボマスター「花束」より 作詞山口隆

最後にここでもチケットのリンク貼っときます。1月17日まで観れるのでほんと全人類観てほしいです。



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