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人間大好きおじさんメイドの気絶での備忘録。

私じしん、そんなに複雑な孤独を抱えてはいない。種田山頭火の

「まっすぐな道で寂しい」

という俳句がある。想像してみると、どこか田舎道とか、のどかで誰もいない道を、種田が歩いているような風景を思い浮かべるだろう。その一方で、この俳句から感じられるのは、まっすぐな道を寂しいと思う自分自身が、孤独ではなく孤独感に取り憑かれているということ。

「スクランブル交差点の真ん中で寂しい」

というのと、本質的に変わりないと思ってしまう。私が抱えているのも、孤独ではなくて孤独感なので、道に出て人に話しかければ解決できる孤独ではなく、親しい人と話していてもどうせ俺は…というような孤独感の話なのだ〜。

詳しくは書かないが、誰しもがこのようなライトな孤独感に取り憑かれていて、その孤独感というの、ライトなくせに自殺までさせてしまうのだから厄介なのだ。これを解消するには多くのコミュニティに所属し、自分が得意なことで誰かを助けたり必要とされたりすることなのだ。

得意なことは人それぞれ、お金を稼ぐのが得意な人は、まるで原始の時代にマンモスの肉を男が女達に運び必要とされたのと同じように、プレゼントやお金を渡すことで必要とされれば良い。絵を書くのが得意な人は絵を、話を聞くのが得意な人は話を。それで喜ばれたりお金がもらえる場所に行くと、適材適所で世の中が上手く回る。職業に貴賎はないが、歪みがあるのはそのためだし、職業選択の自由と、その職業や立場になるだけの能力があるかどうかは別。誰でも医者になれるとしたら、どうなるだろう。職業選択は自由ですよ、というのは、あなたは今日から医者になれますよ、というのと同じで、自分に何ができるのかわからないのにそんなこと言われたらパニックですね。

話がそれたけど、この孤独感は人に頼られていない、人に自らの能力が認められていない、だから私を見てくれないといったようなことが根元にあるので私は、あなたがこの孤独感を抱えているのを見ていて辛いので、あなたを見るし、認めたい。

私はコンカフェのメイドさんに限らず、どんな人でも尊敬してしまう、その中でもコンカフェのメイドさんというのは、凄い仕事だと思う。それは日本社会に巣食っている宮崎駿症候群とでもいうべき、いや、もっとそれ以前から、色々な男性や、ひいては女性までもが抱えているのだけど、風の谷のナウシカや、天空の城ラピュタのシータのようなあどけない少女に純粋な存在に、世界のカタストロフを止めさせたり、幼い少女や少年に、自分を肯定してもらったり、守られたりしたいという気持ちがあるのだ。私にもそれが強くある。私の場合は、強烈な女性不信、女性性を持っている女性に対する不信で、具体的なエピソードとしては酒場でロシア人の、とんでもない魅力を持った流し目だけで俺の心をえぐり取るような、それはもうとんでもないハニートラップのような女に言い寄られた時に「近寄ってくる女というのは全てお前から何かを奪う。自分を制御しろ!」と、酒場で酒が入っていたにも関わらず、この女性はロシアのスパイだと自分に言い聞かせてことなきを得た。母親はいつも俺のそばにいなかったので、同年代で遊んでくれていた幼馴染みの呪縛が強い。俺は恋人ではなくて、どんな所にも遊びに行ってくれて、「月が綺麗だね」と言っても「今時それは古い」とバッサリ切り捨てない女の人と、何をするでもなく夜の公園で遊んだり、何かこうポエティックな風景の中に居たいのだ。つまる所、花と美少女があれば満足で、花や言葉を贈る対象として認識している。気絶で好きな所は、舎長の素敵なドライフラワーが、自撮りをするときにきちんと映りこむ位置に配置してあることで、オープンの時の映像が花と女の子だとすっごく行きたくなるのだ。イメージの問題だけど、女の子には、自分が自信を持てるような可愛い服を着ていて欲しいし、働く場所には花があって欲しい。

また話が脱線したけど、天皇が大好きだ。天皇という役割が大好きだ。かつて飢饉や災害の時に、敵だ敵だと攻撃されていた蝦夷と言えども救ってやろうと言った天皇が好きだ、部落で差別されていたものたちをもすべからく臣民であるとして受け入れた天皇が大好きだ。それは自分自身も、巨大な部落である東北の出身であるからだし、天皇個々人については語る所にない。天皇という役割がなければ、日本はまとまらなかったというのは、否定しようがない事実の一つではないかと思っている。俺は、どうしようもなく劣等感を抱えている。その内容については語る必要を感じないけど、例えばそんな自分に優しくしてくれる人がいると、助けられたなという気持ちになる。昔からそうだ。

この前忘年会の時に友人に昔話をされて、「初めて会った時に、あんたは私が倒れている植木鉢を直した時に往来で神か!って叫んだのよ、私が倒れてるから直しただけだって言ったら、もっと大きな声で神か!って叫んで、私この人ガチでやばい人だと思った」と、18の頃からの友人に言われて、俺は昔からそういう所に感動する人間だったんだなあ、人の優しさを目撃すると、感動してしまうのだ。

26日に、初めてかっちゃんと会った時に、かっちゃんは次に会った時にチェキを撮ってくれると言って、本当に撮ってくれた。かっちゃんはリップサービスではなく、本当に律儀な人なんだなと思った。かっちゃんはすごく人間らしい人で、自分の感情に素直だし、話していて優しい気持ちになれる。遠藤さんと初めて会った時、ドリンクをもらって萌えありオムライスも作らせてくれて、舎長との関係があるとは言え、ビッグマウスで気絶に入った身としては売り上げに貢献できて助かった〜という気持ちだった。使ってもらった分はもあきゅんで使うかともあきゅんに行ったら、もあちゃんは遠藤さんの良いところをたくさん語っていて、なるほど、部下に慕われる良い上司だなと思ったものだ。働くきっかけになったフェリシー帰りの気絶の時も、なごちゃんと話して、なごちゃんはどんな事も否定せず、話に興味を持って聞いてくれて、しかも偉ぶるところがなくて、この人は謙虚で相手に対して失礼なところがない人だなあと関心していた所に、絵がうまいというのが来て、いや凄い人が働いている店だなあと関心していた所に舎長とのトークが入ってきて、舎長も人情味のあるきっちりした人で、ドライフラワーも自分で作っているというし、流木まで拾っちゃう、私服にも気を使っていて靴もオニツカタイガーが好きなこだわりを持っていて、靴の色からして社交的だ。年齢が行ってから新しいことにチャレンジして、若い気持ちを忘れず、なおかつこんなに若い子たちに慕われているというんだから、この人と働いたら学ぶところが多いだろうなと働いてみて、実際に学ぶところが多かった。みんなが決められたフレームの中で右往左往する時には、真っ先にそのフレームの外から解決策をサクッと指示して、それでいてそれを誇る様子がない。なるほど、この人は本当に能力のある人だなあ、と思っていた所にwikiがあるなど聞いて、おー凄いなーと思ったものだな。

そしてさばちゃん。ツイッターで仲良くしてくれて、笑顔をみて推せると言ってくれた時、素直に嬉しかった。俺は俺を好きな人が好きだし、さばちゃんは、接し方が丁寧だ。それはやっぱり、色々人生であったからなんだけど、ちゃんとした距離で優しくしてくれる。俺は、人間としてさばちゃんと長い付き合いをしていきたいなと思った。お金のある時はバンバン使ってくれても遠慮しないし、お金がないときは言ってくれという気持ちだ。

俺は仕事とか商売として気絶で会う人と仲良くしているつもりはなくて、俺を好きになってくれる人は好きだし、会う人には丁寧に接したいし、俺との交流で自分に自信がもてたり、新しい思い出を作ってもらえるなら最高だ。俺は、うっかり自分の能力を発揮しすぎてしまって、相手の気持ちの中に入りすぎてしまうことがある。みんなの前で泣きそうにさせてしまって申し訳ないけど、俺自身が、深い悲しみは誰かと共有しても良いんじゃないか、解決できなくても知っていてくれて、お節介を焼かない人が必要なんじゃないかと思っているので、ちょっと本気出すといけない。

気絶のコンセプトで一番共感しているのは、友人として接するという点で、恥ずかしい話だけど、俺は本当に友人のように思っている。嫌だなと思うことだってあるだろうし、好きだなと思う事もあるだろうし、そんなの人間なんだから当たり前で、相手も俺にブチギレる事もあると思う。とはいえ、人間関係というのはいつ消えるかもわからないとは言いつつも、この人と一生関係を持つんだと思って接すれば、大抵のことは許せるし、自分がミスをした時だって、一生の付き合いだ、いつかプラスにできるとも思える。人間関係で余裕が持てないのは、こんなに人生に置いて重要なものを刹那的に捉えてしまうからだ。人間関係や信頼関係は一生のもので、うわ、無理!と思ったら離れれば良いし、良いなと思えば近寄れば良い。

また超絶に脱線してしまったけど、謹賀新年だよ。カガリちゃんが可愛いと言ってくれた初めての人だけどあれで自信持てたしね。

気絶は自分にとって大切にしたいコミュニティの一つなので、年上だから言いにくいとか、男性だから言いにくいとか、あると思うけど、そういう時はストレートに「これをやめて」と言って欲しい。俺は長く生きているので恥ずかしさには慣れているし、なんか気絶にきて遊んでくれるみんなも、金のかかる後輩だなくらいに思って相手してやって欲しい。単純にね、新しい関係、みんながちょっと上にいるような、今の立場が楽しい。気楽だ。いつもありがとう。これからもよろしく頼むぜ〜〜!!


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