見出し画像

第1話『北の玄武が逃げ出した』週刊少年マガジン原作大賞

ここは新宿MSビル地下2階のゴミ捨て場。1匹のハムスターがゴミ袋に埋もれて居眠りをしている。

ハムタコスキーが日本に潜入するのは10年ぶりのことであった。今回は医療機器メーカーの設計図を盗み取る任務がある。社員が退勤したあとの空っぽのオフィスを狙いにきたが、厄介なことに日本人は残業を好む民族であるがゆえに潜入調査も思うように進まない。最後の1人が退勤するまでゴミ捨て場で本日のディナーを楽しむことにした。

東京のネズミネットワーク情報によると、大抵の美味しいものは東京のオフィスビルに行き、そこのゴミ捨て場を探せばたらふくありつけると噂だ。この世は食べきれないご馳走に溢れている。全て人間が生み出した廃棄物だ。毎晩23時を過ぎれば飲食店の店員が次々とご馳走を運んでくる。今日も食べ放題ビュッフェの時間のはじまりだ。このビルに潜入して1週間経った頃には、イタリアンのピッツァ・マルゲリータに中華料理の大根餅、高級料亭のさわら西京焼きあたりは思う存分食べ尽くし、飽き飽きしていた。

今晩は何を食べようかと考えていると、普段あまり見ない顔だが、どことなく懐かしい顔の青年がごみ当番でやって来た。半透明のごみ袋の中に綺麗な紙袋が透けて見える。袋の外からでも香ばしい香りで中身がわかった。

「あのカフェのシナモンロール、有名だったな。廃棄になるのは珍しい。ラッキーデイ!」

ハムタコスキーは心の中でヨダレを垂らしていた。青年がゴミ捨て場を出ていくのを待ち、紙袋の入ったゴミ袋を食いちぎって中に飛び込んだ。疲れた脳に甘いご飯は至福である。この2日間、いつにも増して盗み取るデータ量が多く徹夜続きであった。夢中でシナモンロールにかぶりついた後、気がつけば眠りに落ちていた。

目が覚めた時、ハムタコスキーの耳に信じがたい音声が飛びこんだ。

「まもなく、京都です。」

「今日も新幹線をご利用いただきありがとうございました。」

と車内アナウンスが流れている。今はまだ昨晩の紙袋に入ったままである。ハムタコスキーはパニックを起こしそうな自分を必死に堪え、上を見上げた。昨晩ゴミ当番で紙袋を捨てにきた男子学生が気怠そうに車窓の外を眺めている。この時点で少なくとも推測できるのは、男子学生が何らかの事情で一旦捨てたゴミを持ち帰り、東京から新幹線に乗ったということだ。新幹線は京都駅に停車。紙袋が持ち上がった。男子学生はどうやらまだ気づいていないようである。ハムタコスキーは今のうちに逃げ出す他ないと思ったものの、残念ながら京都どころか関西の土地勘が全くなかった。下手に逃げれば人間に踏み潰されるか、迷子のペットとして捕獲されるだろうと懸念したハムタコスキーは、少しだけこの男子学生を信じることにした。

京都駅で下車後、男子学生はバス乗り場に向かい206系統のバスが来るのを待った。その間、ハムタコスキーは昨日なかったはずのものを紙袋の中に見つけた。大学の受験票のようだ。手を伸ばしてよく見ると 京都大学 受験票と書かれているのがわかった。その下には受験番号789 坂東蓮 文学部 とあったがパンの紙が邪魔してハムタコスキーには見えていない。さらにもう1枚違う色の受験票が入っていることにも気づいた。市立芸術大学 音楽学部 作曲専攻 029。とあった。

バスに揺られること40分。蓮は百万遍で下車した。バスの中には蓮と同い年くらいの学生で溢れている。今日は京大の最終合格発表当日だった。蓮は掲示板の中から789の受験番号を見つけた。周囲には第一志望合格の喜びに感激している者と番号がみつからず落胆している者たちの感情が入り混じっている。

合格したというのに、蓮は浮かない顔をしていた。合格発表の掲示板から人気のない場所に移動すると緊張気味にスマートフォンで何か検索をかけている。

蓮は親に隠れて国公立後期日程で芸術大学の音楽学部を作曲専攻で受験していた。今日は一次試験合格発表の日でもある。作曲専攻029の番号はそこにはない。作曲家になりたいという蓮の想いは誰にも理解されることなく高校三年生の冬を迎えた。

新型コロナウイルスが流行中、音楽は不要不急のものとされた。音大に行きたいと言っても誰もいい顔をしない。担任は、進路相談でいつも決まってこう言う。

「坂東は東大でも京大でも受かる実力あるんだからさ、先生勿体無いと思うな〜。作曲家なんか目指しても食ってけないぞ。そういうのは趣味でやるもんだ。もう一度考え直してこい。」

何度話しても最初から蓮の意志を尊重しない教師だった。学校の進路実績のことしか考えていないからだ。

蓮は母親に電話をかけた。
「母さん、京大受かった。これで満足でしょ。もう家には二度と戻らない。これ以上俺の人生に干渉しないでほしい。自分の人生くらい自分で選ばせて。これは俺の人生だ。」

そう言い切って蓮は一方的に電話を切った。生まれ育った東京から敢えて離れた京大を受験したのも家を出るためだった。

蓮の幼い頃から両親は不仲でいつも怒鳴りあっていた。一人っ子で、昔から人間不信な蓮に友だちは少なく孤独だった。家庭内で居場所のない蓮は、ピアノの前に座っているときだけ、自分の存在を認められた気がした。誰も自分の話も気持ちも聞いてくれやしない。だがピアノの鍵盤を想いのままに鳴らしてみると、感情が音になる。楽器だけが自分の気持ちを受け入れてくれる存在だった。

音大進学を最も反対したのは母親だった。一流の大学を出て大手企業で終身雇用され重役になる道が何より素晴らしい人生の送り方だと信じてやまないタイプの人だ。世間で良しとされているお手本通りの道を歩んだ奴に何の深みも面白みもないと思っていた蓮には母親の凝り固まった価値観が不快で仕方ないのだ。


蓮はぼんやりと考えていた。

音楽は人間にとってそんなにも役に立たないことなのだろうかと。明日生きるか死ぬかという時に芸術が必要かと問われれば、自信をもってそうだと答えることは躊躇われる。でも、じゃあ芸術はただの娯楽なのかと問われれば、それもまた違う。自分にとってこんなにも必要なものが社会で蔑ろにされているような気がして不甲斐なかった。

ハムタコスキーは隣で、蓮の理解されない苦しみと寂しさを密かに感じ取っている。


蓮は大学の時計台裏のベンチに腰掛けた。緊張の糸が解け、空腹を感じる余裕ができたのか紙袋に手を入れてパンを漁った。モフッとした何かに手が当たった。

「ん、何だこれ?」

ハムタコスキーは触られた驚きで飛び上がった。

「うわっ何だコイツ。え?ハムスター?どこで入ったんだよ。」

蓮も驚いていたが、ハムスターであることがわかった瞬間少年のような笑みを浮かべた。

「なっつかしいな。昔飼ってたチョビに似てんなお前。もうさすがに生きてるわけないよな。」

蓮は小学生の頃飼っていたハムスターのことを思い出していた。チョビがやってきたのは何でもない日だった。蓮の父親は変わった酒癖の持ち主で飲み会で酔っ払うと必ず近所のペットショップに寄って帰る。決まって買ってくるのは大きくなって誰にも買われることのない値下がりした小動物だった。お陰で家はいつもプチ動物園状態。ウサギにインコ、モルモットにカメレオンと動物で賑わっていた。チョビも値下げされたハムスターだった。500円で売られていたところを蓮の父親が購入したのだ。既に家にいた他の動物とは違い、チョビはずば抜けて賢く、すぐに蓮の遊び相手になった。


蓮は我に返ると紙袋の中に入っていた最後のパンオレザンを取り出した。「食べるか?」と言ってハムタコスキーに分け与えた。蓮は動物に優しい。

「さて、家探しするか。ハムちゃんはどうすんの?帰る家ないんだったら連れてくけど」

ハムタコスキーは蓮の腕によじ登った。連れていってくれと必死に訴えたつもりだ。正直に言えば、この青年のことが何となく気がかりで、ひとりにさせたくなかった。


二度と実家に戻らないと決めた蓮は、この日から京都に住むつもりである。

合格発表後にそのまま家を決めてきなさいと初期費用分の資金は母親からもらっている。それにカフェバイトで貯めたお金を合わせれば3か月は何とか持ち堪えられそうだった。

蓮は百万遍から5分ほど南に行ったところの不動産屋に入った。

「いらっしゃいませ。春から京大の学生さん?学生の方には特典ありますよ。こちらにご記入お願いします。」

ベテランの雰囲気が漂うタヌキ顔の美谷という男性スタッフが蓮の担当になった。歳の頃は60前後といったところだろうか。

・家賃上限3万
・楽器演奏可能
・即入居可能

蓮の希望条件はこの3つだ。記入した用紙を見て美谷は困った表情を浮かべている。

「この辺りは例えば駅から遠い北エリアなんかですと3万円台で即入居可のお部屋はいくつかあるんですけどねえ、ただねえ、楽器演奏可になってくるとどうしても家賃がお高くなってしまうんですよ。」

蓮はどちらの条件も譲るつもりはなかった。
「多少大学から遠くても構いません。エリアを変えても見つからないようでしたら他を当たりますので。」

美谷は少しうつむいて10秒ほど黙り込んだ後、何かを思い出したようにpcでデータを探しはじめた。

決してオススメはできませんが、1件だけ3万円以下で楽器可能物件があります。そう言って物件情報を印刷している。

「これです。どうぞご覧になってください」

気まずそうに印刷したての生温かい用紙を差し出した。

外観の写真が載っている。西洋風の煉瓦造りの建物だ。普通のマンションでもなく、ボロアパートでもない。

美谷は京都の地図を広げて説明を始めた。「現在我々がいる京大吉田キャンパスエリアは京都市左京区ゆうところにあります。京都市内で言えば北東にあたるところ。この物件が位置するのは下京区。方角でいえば南西になりますかね。京大からは遠いですよ。バスで50分くらい。最寄駅は地下鉄烏丸線の五条駅。西本願寺と東本願寺の間に位置して、京都駅も徒歩圏内。立地はそんなに悪くありません。ただ...」ここまでテンポ良く説明した美谷は急に声をくもらせた。

「この物件ね、全部で6室あるんですけど、大家さんは、他に住人はいないといつも言わはるんです。やけどこれまで住まはった人みなさん言いますわ、隣からも上からも下からも生活音や奇声が聞こえるって。そんで不気味がって1ヶ月足らずでみなさん引越さはるんです」

蓮は前のめりになって尋ねた。

「それっていわゆる事故物件ですか」

「いえ、この会社に勤めて25年ずっと京都で働いてますけど、知る限りこちらの物件で人は死んでません。そのような噂も聞きませんし。この201号室は日当たりも良好です。ここまでお聞きになって、それでもと言わはるんやったらご紹介は可能ですけど」
ミタニさんは自信がなさそうに言う。

「その部屋に決めます」蓮は即答した。

ここまで事実を包み隠さず教えてくれる不動産屋もそうないだろう。逆に信頼できる。それに普通じゃないほうが俺に合ってる。と蓮は好奇心を募らせていた。

「一度内見された方がいいですよ。思ってたんのと違うってことよくありますし」

「それもそうですね、内見お願いします」

蓮はハムタコスキーを紙袋に入れたまま美谷の車に乗った。平日の日中で道が空いていたせいか20分程度で物件についた。物件名 は『伝道院ハイツ』。周辺は仏具屋が立ち並び、静かな地域だった。

外観は、煉瓦造りの西洋風の建築かと思えば、イスラム風のドーム屋根が乗っていて洒落ている。思っていたよりもずっと立派な建物だ。建物の周囲にある羽の生えた風変わりな動物の石像も、玄関を入ったところのアール・ヌーヴォー風の照明も何もかもが気に入った。決して似たような物件はなく、人と被らないのがいい。それにしても、この物件が2万9千円で出ているのは不思議で仕方なかった。

即入居とは言え、1週間程度かかる審査に通ってからでないと住み始められない。どうにか今日から住まわせてくれないか大家さんに交渉したところあっさり受け入れてもらえた。

幸い、家具付きの部屋でベッドはある。腰を傷めずに眠れるようだ。

その日の晩はウーバーイーツでマクドナルドにした。はずだったのだが、配達員が蓮に手渡したのは木箱に入った正方形のお弁当だった。気づいた頃にはもう配達員はおらず、空腹が限界の蓮は黙ってそれを食べることにした。弁当箱と輪ゴムの間に紙切れが挟んである。

お買い上げいただき誠にありがとうございます
京の七口弁当をお楽しみください

お品書き
海老と伏見蓮根の湯葉巻き
鞍馬山芋の粟田山椒焼き
丹羽枝豆・長坂人参のひろうす
胡麻豆腐 鳥羽胡桃味噌
焼き鯖と大原大葉の混ぜご飯

「何だよこれ。豪華じゃん。こりゃ幸先いいよ。」

蓮とハムタコスキーは夢中になって京の七口弁当にありついた。

入学式を終えて、前期の授業が始まった。
蓮はとにかく単位取得が楽な授業を片っ端から調べて履修登録した。今日の4限はその中でも特に楽だと有名な民俗学aの初回授業。ハムタコスキーは蓮のポケットに忍び込みこっそりついて行くことにした。

教室に入ると、ざっと50名はいた。民俗学を純粋に学びたい学生に申し訳ない気さえする。

「はい、それでは授業を始めまーす。どうも初めましての人が多いかな。この授業を担当する鳥山です。」

見るからに人の良さそうな顔をしている。歳の頃は40代くらいだろうか。この年齢の大人には珍しく、社会の荒波に揉まれたことのなさそうな笑顔が特徴的だった。

「この授業では、主に霊獣学というものを勉強します。京都に古くから伝わる妖怪の話とかね、そんなんを楽しく見ていきましょう。出席は面倒なので取りません。早速ですが今日はね、皆さんせっかく京都に住んでるわけですから、京都市内でもしかしたら見つかるかもしれない面白いものを紹介します。」

(ここから授業が続く)

まず初めに、京都という街は非常に東西南北がわかりやすいつくりをしてます。ほら、碁盤の目になってるってよくいうでしょう。

鬼門って聞いたことある人いますかね。昔の人って風水をものすんごい気にしたんです。
北東は鬼が出入りするとか言ってね。みんな北東をこれでもかというくらい封じたがります。例えば、比叡山延暦寺はその代表で、平安京から見て北東に当たる場所に延暦寺を建てることで京都を守ろうとしました。

それだけでなくてね、京都には東西南北を守る神がいると言われてます。今日の授業の目玉はこの四神!北の玄武げんぶ、東の青龍せいりゅう、南の朱雀すざく、西の白虎びゃっこ。それぞれ役割があります。これ毎年テストに出すんですけどね、四神のところだけ、やけに皆さん正解率が高いんです。まず北の玄武からいきましょう。これは亀と蛇が合体した感じの神ですね。玄武の特徴は、現世と冥界を行き来できるとこですかね。冥界、つまりあの世から伝言を預かってこれるすごい奴です。四神の中で、冥界と繋がることができるのは玄武だけですよ。あ、ちなみにこういう話をするとね、毎年僕のことをスピリチュアル系の先生だと言う人がいます。別にスピ系じゃないんだけどね僕。こういうの嫌な人がいればスルーしてくださいねえ。今後もこういう話がたくさん出てきますから、どうしても無理だ〜という方は早めに違う授業に変えた方がいいかもわかりません。ハハハ。

はい、話が逸れましたね。戻りましょうか。

四神というのは元々中国の神話に出てくる生き物なんです。ですので、陰陽五行の考え方に基づいています。5つの元素、木・火・土・金・水のうち玄武の属性は水です。
色は黒、季節は冬を司ると言われています。

それでね、この四神以外にも多くの霊獣が京都には住み着いています。ここからは、この授業でしか知ることのできない裏情報ですから聞き逃さずにね〜。最近は市バスに霊獣が乗っていたのを見たという目撃情報もあってね。特に京都市バスの28系、9系統に乗っていることが多いそうです。目撃者によれば、霊獣はみなさん西本願寺前で降りるとか。
跡をつけた人が口を揃えて言うのが、堀川通正面にある本願寺の総門をくぐるところまでは姿が見えるんですって。その門の先は姿を消すんだそうです。どうやら、門の先に霊獣が住む寮があるみたいなんですけど、居場所はまだ突き止められていません。見つけた人は僕に連絡をください。駆けつけますんで。

蓮はこの話に心当たりがあった。今住んでいる場所にとても近い。霊獣が姿を消すと言うその門は蓮の部屋から見えるのだ。

はい、じゃあ今日はもう一つ紹介してから授業を終わりますね。

レジュメの裏面をみてください。霊獣が好む食べ物というのが京都で採れます。えっと、まず知っておいてほしいのが京都の7つの出入り口。これ、聞いた人いるかもしれませんけど、京都と他の地方を結ぶ街道の出入口になっています。この出入り口で育つ野菜や植物を摂取することで霊獣たちは霊力を養っています。時代によって呼び方も数も変わっていますが、この授業では江戸時代の終わり頃、京都の古地図に載っていた出口を紹介します。

レジュメ右下の地図をみてくださいね〜

北から順番に
長坂口ながさかぐちの人参
鞍馬口くらまぐちの山芋
大原口おおはらぐちの大葉
粟田口あわたぐちの山椒
伏見口ふしみぐちの蓮根
東寺口とうじぐちの胡桃
丹羽口たんばぐちの枝豆

秋になったら課外実習でこれらの食材を探して回る授業を予定してます。楽しみにね〜。はいじゃあ今日はここまでです。お疲れ様でした〜



蓮は他人事ではいられなかった。今の家に引越した初日。ウーバーイーツで届いた頼んだ覚えのない七口弁当。あれはいったいなんだったのだろう。


霊獣学の授業終わり、蓮とハムタコスキーは時計台裏の中庭で疲れ果て眠っていた。京都にやって来て今日で3週間が経つ。千年の都と言うだけあって歴史ある街並みは幾度歩いても飽きない。だが、いいことばかりでもない。残されているのは、何も美しいものだけでないのだ。長い歴史をかけて京都で生きて来た人々の数え切れない苦しみ、悲しみ、悔やみの感情もまた、この土地にしぶとくこびり付いているようにハムタコスキーは感じていた。昨日も川端通を七条から三条まで歩いたが、他の土地を歩くのと比べものにならないほど、何かに取り憑かれたように体がずどんと重たくなった。

ハムタコスキーは、昔から人の気持ちをスポンジのように吸い取る体質だ。こういう体質をエンパスと言うらしい。辛い感情を抱いている人に近寄れば自分の心も鉛のように重たくなる。誰かの感情で自分の心が容量オーバーになると、ブレーカーが落ちたように道端で急に眠りに落ちる病に悩まされていた。このお陰でスパイ養成学校時代、生活に支障をきたしてきた。

中庭の桜は見事に咲いている。東風の風が眠るハムタコスキーの頭に桜の花びらを運んできた。

その時だった。

「あら、いやだわ。こんなところまで逃げたのね!」

通りかかった気の強そうな女性が目の前で立ち止まった。何の躊躇いもなく眠っているハムタコスキーを洗濯用ネットに押し込み、やってやったわという感じの表情で立ち去った。蓮は深い眠りに落ち、気づく様子もない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?