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アラタナという、すべて

アラタナは、2007年5月、僕が23歳の時に高専の同級生である穂満とつくった会社です。事業はEコマースに特化したテックカンパニー。2015年にZOZOグループにジョインさせてもらい、ユナイテッドアローズさんやマークスタイラーさんをはじめ、アパレル企業向けのECシステムや物流サービスを提供させて頂いてます。会社をはじめて13年、本日、ふたつの決断をさせて頂くことになりました。ひとつは、2020年4月1日をもってアラタナのZOZO及びZOZOテクノロジーズへの吸収、そして僕も同じタイミングでグループを卒業することに。そう決断するに至った想いを、アラタナができた経緯と共にこのnoteにまとめておこうと思います。

3ヶ月で退職、借金1000万、地獄のようなスタート

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20歳で地元宮崎の高専を卒業し、大手機器メーカーにエンジニアとして就職したものの、わずか3ヶ月で退職。親に勘当され、1人宮崎に帰ってきました。夢や目標も特になく、カフェでもはじめてみるかとやってみたものの6ヶ月で潰れ、何をやってもダメだなあと絶望感で溢れてました。とはいえ、その間できた借金は1000万。返す為に必死でした。昼はアパレルショップアルバイト、夜はWEBサイトをつくり、夜中は結婚式のアルバムのデザイン、1年間ほぼベッドで寝ずに、机の上で仕事して起きての繰り返し。それでもなんとか借金を返し終わった時に、はじめて自分に自信が持てたのです。これだけ頑張って働けばなんだってできる、そう感じた勢いのままに起業することを決めます。カフェの時から時々手伝いに来てくれてた高専時代からの友人の穂満を誘い、僕の自宅ではじめる事に。23歳、春の決断でした。

宮崎に1000人の雇用をつくる

僕と穂満は、ひとつの目標を掲げます。それは宮崎に1000人の雇用をつくるという目標です。無謀だと言われながらも、やってやる!という気持ちで溢れていました。事業は、アパレルショップでバイトとしてオンラインサイトを手伝わせて頂いていた経験もあり、小売店向けに自社ECシステムをSaaS型で提供するサービスを開始しました。当時は初期構築だけでも1000万以上かかる高価なシステムを、オープンソースであるEC-CUBEを活用することで、初期費用0、月額5,800円という価格で提供することに。これで一気に全国に広がりました。それから13年、多少のビジネスモデルの変化はありながらも、まあ飽きもせずずっとEコマース一筋。本当にEコマースが大好きなんだなと改めて思います。

前澤さんとの出会い

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僕らにとって一番の転機はなんといってもZOZOグループへのジョインです。2014年にはじめてZOZO(当時スタートトゥディ)の代表である前澤さんに紹介で会うことに。当時、今後の成長に焦りを感じていた僕は、A3用紙1枚にアラタナの得意なこと、ZOZOと一緒にできそうな事をまとめていきました。その時の事は緊張してあまり覚えてなかったのですが、優しく僕のプレゼンを聞きながらも鋭い質問をいくつかされたのを覚えています。その出会いをきっかけに物事は急速に進んでいきます。当時BtoB事業を撤退したばかりのZOZOでしたが、もう一度復活させてアラタナとやっていこうと考えてくれました。一方僕たちはというと、ECシステムだけを提供していたなかで、ZOZOBASEを見学した瞬間、こんなに美しい倉庫があるのかと感動しました。そしてみんな楽しそうに働いていて、きっと一緒にやったらうまくいく。そう確信してグループにジョインさせて頂くことを決めました。

諦めかけた目標

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グループに入ってからは、正直苦しい事も、楽しいこともいろいろありました。今現在結果が残せたかと言うと、まだまだだと思います。その中で一番考えたことはアラタナがどういう方向性に向かっていくかという事。1000人の雇用を掲げながらも、AI含めテクノロジーがどんどん進化していくなかで、社員を増やさなくても会社の売上は上がっていく。社内でもその目標を大きく掲げることが少なくなってきました。

決断

今でも古株のメンバーと飲みに行くと、同じ夢を語ります。やっぱり諦めきれてない自分もどこかにいるなと感じる事も。そんな中、アラタナの社員からこんな提案を受けます。「アラタナはZOZOと一緒になってブランドさんにサービスを提供すべきです」と。衝撃でしたが、自分もどこかでそれを悟っていました。社内にも、ブランドさんにも、どこかでダブルスタンダードをつくってしまっているような後ろめたさがあったのです。今年に入って社内でもその議論はより活発に。正直社名を残したいという想いだけで決断を見送ることもありました。でも、最後は僕に勇気を持って提案してくれた社員の言葉が全てだなと。いつまでも社名を残したいという理由だけで会社の成長をとめたらいけない。それが決断の理由です。

もう一度目指す夢

決めてからは気持ちがとても晴れやかでした。どうやったらアラタナが担うBtoB事業を、ZOZOグループを、そして諦めかけた宮崎に1000人の雇用を実現できるかを考え始めました。今回の統合によって、ふたつの展開をはじめます。BtoB事業の継続は引き続き行うと共に、ZOZOTOWNの開発も担っていきます。実は先日リリースしたZOZOTOWN CHINAの一部はすでに宮崎で開発されています。そして、もうひとつはZOZOのカスタマーサポートの拠点を宮崎にもつくります。そう聞くと、よくコールセンターのようなコストセンターをイメージする人もいらっしゃるかもしれませんが、ZOZOのCSはそうではありません。サービスの中核であり、品質は世界一だと思っています。当然、社員の給与やボーナスも企画職や営業職と同じです。そのふたつの拠点をつくりながら、1000人の雇用をつくるという目標を宮崎にいる皆がもう一度持てると思っています。

退任の真意

その環境下でなぜ僕自身が辞めるのか、です。正直悩みました。新しい体制になってグループ内もやる気に満ち溢れています。ただ、自分にとっては13年やってきたアラタナという存在がどうしても大きかった。この節目であらたなチャレンジをさせてもらいたいという気持ちが日に日に強まっていき、新社長の澤田さんにも伝えさせてもらいました。そんな自分のわがままではありましたが、ご了承頂き、来年3月まで全力を尽くす事を約束しました。一緒に働くメンバーにも申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ、前澤さん同様、今後のアラタナのカタチを残した上で、新しいリーダーの元成長していってくれると強く信じています。

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さいごに

アラタナのみんなには感謝しかありません。わがままで頑固でいつも無茶ばかり言う僕についてきてくれて本当にありがとう。設立間もない頃は毎日近所の居酒屋で遅くまで、時にはケンカをしながら夢を語ったのもいい思い出です。中でも、高専の時から20年以上も友達として、創業者として一緒にやってきてくれた穂満くん。友達同士で経営したら絶対失敗すると言われながらも、今日まで一緒にやって来れた事が、僕にとって一番の誇りです。穂満くんはじめ、最近では皆んなに引っ張ってもらう事が多くて、ダメな社長でした。それでも最高の仲間達に囲まれて本当に幸せでした。

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ZOZOも同じく最高のメンバーばかりです。組織もビジョンも世界で他に類のない会社だと思います。アラタナのメンバーもこれからはZOZOとして、ここ宮崎に、千葉の拠点と同じくらい地元に愛される会社になると信じています。
アラタナは、夢も希望もなかった20代前半から、今日までの僕にとっての“すべて”でした。ただ、今回それを失ったのではなく、ひとつの大きなきっかけをもらったと思っています。これから、自分がつくったアラタナ、そして、ZOZOに負けないくらいのチャレンジをし続けるつもりです。

これまでアラタナを支えてくれた仲間、お客様、家族、全ての方に感謝を伝えたいと思います。

13年間、本当にありがとうございました!

株式会社アラタナ代表取締役 濱渦伸次

(とは言え、来年3月末まではいますので引き続きよろしくお願い致します!)




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NOT A HOTEL株式会社 代表取締役。 アラタナ(現ZOZO)創業者。2015年、ZOZOにM&Aされグループ入り。ZOZOテクノロジーズ取締役を務めた後、2020年4月1日、NOT A HOTEL株式会社を設立。1983年宮崎生まれ。
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