君のこころは輝いてるかい?
皆さん、こんにちは。はまーです。
最初から核心に触れようと思います。
皆さんは、「夢」を持っていますか?
私にはあります。
そして恐らくそれは、多くの人が羨むような理想の形の「夢」であり、その「夢」が現在、ほぼつかめる位置にあることも理解しています。
ここで終われば私のただの自慢話になり、読んで下さっている方々は、「何こいつ、おもんねぇな」ってなりますよね。
だから、今回は、私の「覚悟」と共に、話そうと思います。
どうやったら、ゼロをイチにできるのか。
どうやったら「何か」になれるのか。
どうやったら「何か」をできるのか。
そして、どうやったら、「輝ける」のか。
本題に入る前に、このことを話す理由と、私の葛藤を話しておきます。
最近、「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」TVアニメ第二期が放映されましたね。
そこで、高咲侑ちゃんが我々に言いました。
「次はあなたの番!」
って。
そして、ほんの先日、TVアニメ「ラブライブ!スーパースター!!」第二期が放映終了し、そこでは、夢を奪うこと、そして夢が奪われることが語られましたね。
第三期生オーディションという、「スーパースター」になるために、最も夢の奪い合いが起きるであろう事も発表されました。
「それを受け取って、
『三期生オーディションに応募したい!』、
とか、
『私も何か始めたい!』
っていう人へ向けて書いています」
と書けば、美しいのでしょうが、それだけではありません。
勿論そういう人たちににとっても、何かしらのヒントを与えられるような文章を書きますし、力になるのなら、これ以上に嬉しいことはありません。
私がこの想いを伝えたいのは、そう。
Aqoursを見て、燻っている、貴方です。
何故なら、私の周りにはそういう人が多かったから。
そんな人たちに向き合ってきて、私自身もこれまでAqoursと共に生きてきて、学んだことがあります。
それを、Aqoursを共に追いかける貴方へ。
いや、Aqoursと共に走りたい、走り続ける貴方に伝えたいのです。
これが、私がこの文章を書いている理由です。
そして、葛藤とは、沈黙を破ってまで、このような啓蒙をするべきなのか、ということです。
「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉があります。
意味は文字通り、何かを雄弁に、堂々と語る事よりも、静かに黙っておくことのほうが良い、という意味です。
普段自分は、なるべく強い言葉を使わないようにしていますし、「好き」という気持ち以外を発信するのは、避けています。
嫌な気持ちとかは、雄弁するより、沈黙のほうが良いと思っているからです。
ですが、僕が尊敬している人が、私に伝えてくれました。
雄弁を金にするのが、一流だって。
だから、これは僕の挑戦です。
注意として書いておきますが、これは私にとって「語りえる」から、語っている事です。「語り得ない」ことを雄弁に語るのは、最早、論ずるに値しない程度の、最悪の事だと、覚えていて下さい。
そして、これぐらい強い言葉を使わないと、金には出来ないので、ご容赦ください。
あと、ここまで読んで下さっているかはわかりませんが、「夢が無くていい」、「私は夢を託したい、夢を見ている人を支えたい」という人にも、是非読んで欲しいです。
貴方の存在が如何に救いになっているかを、最後に書きます。
では長くなりますが、始めましょう。
そもそも「夢」を見つける方法とは
目標が無ければ、動き出すことは出来ません。
「夢」を見つけるための話をする前に、「夢」とは何か、という話からしていきたいと思います。
今の私にとっての「夢」は「WATER BLUE NEW WORLD」で示されるような「夢」です。
ですが、それはあくまで「今」の話であり、昔は「夢」の痛みなんて考えてもいませんでした。
私の「夢」の原動力。それは「憧れ」です。
ここに書いてある通り、最初はTV番組と、その職種の方に直接話を伺ったことが私のきっかけです。
そのあこがれを胸に、走ってきたのが、今の僕です。
形から入ってもいいのです。最初はなんでも、「楽しい!」とか、「好き!」っていう気持ちを優先していいのです。
いいことか悪いことかわかりませんが、我々はAqoursによって、夢の痛みを理解してしまっています。
だからといって、夢の痛みがあることを最初から意識しなくていいのです。
万人にその痛みが訪れるわけではありませんし、少なくとも、痛みが少なくても、夢をかなえる人もいると思っています。
多くの人は、痛みに直面して夢を見るのを途中であきらめたり、痛みを知っているからそもそも夢を見ようとはしません。
ですが、少なくとも、夢を探す段階では、痛みのことは考えなくていいはずです。
考えすぎて歩みだせない人がいるのなら、厳しい言葉を使いますが、動かないと何も見つかりませんよ。
Aqoursが何よりも、そのことを言っています。
そこから次へと歩みだすのです。
それでも、前に進むのが怖いことも、知っています。
こんなこと実践できるの、はまーだけだよ、みたいな思いをする人がいることも知ってます。
そこで、必要となるのが、「覚悟」なのです。
これは後程話します。
これを読んで下さっているほとんどの貴方は当然ですが、「何か」になりたいという願望を「夢」だと思いたいのだと思います。
そうじゃないと、そもそも僕のこのブログ読もう、なんて気になりませんよね。
別に、お菓子にみかん食べたいなぁ、とか、将来ベネチアに旅行したいなぁ、といった「願い」も十分「夢」の一つです。
その形を呈示した作品がありますよね、「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」です。
じゃあなぜ、「何か」になることを夢だと思いたいのでしょうか。
話が大きくなりますが、日本の教育の所為だと思っています。
一言でいうのなら、「夢の神格化」が起きているのです。
不思議に思いませんか?
何故幼稚園児に「将来の夢は?」と尋ねると、職種や、「お嫁さん」「大統領」「お金持ち」といった「何者かになる」という夢の形がほとんどを占めるのでしょうか。
我々は、自身が小さいの時から決まってしまっている固定概念に、ずっと囚われているにすぎないのです。
なんて、そんな「夢の神格化」に最も囚われてしまっている私が言っても、何も説得力がありませんよね。
ですが、知っていて欲しいのです。
何者かにならなくても、夢を持って、叶えることが出来て、人に胸を張ることが出来るって。
そんなこと分かり切っていたでしょうか?
分かり切ったうえで、私のブログを読んで下さっているのでしょうか。
これを書いている今、どのような人が私の言葉達を受け取っているかは、分かりませんが、私と似たような人が多いと思っています。
ここから先は、僕と同じく、死ぬほど不器用な仲間たちへの言葉です。痛み抱えながら求める夢以外、夢だと認めたくない、面白いぐらいにAqoursに染まり切っている貴方へ。
消えない夢を、掴むための話です。
ここまで沢山「夢」とはどういうものか、ということを話してきました。
じゃあ、「夢」を見つけるためにはどうしたらいいのでしょうか。
嘘はつきたくないので、正直に言いますが、「待つ」しかありません。
と言いますか、そういうものは、ある日突然、目の前に現れるものです。
究極論ですが、死ぬまで目の前に現れないこともあると思います。
ですが、そういう人は、「待つ」ための努力や準備をしていない人だけです。
高海千歌も言っています。
待っているだけじゃ、何も始まらない。
ここからは、具体的に、どう「待つ」のか、を話していきたいと思います。
きっとチャンスというのは、気づかない間に近くにあるのだと思います。でもそれに気づけない。
何故か?
それは、無知だからです。
僕も昔、それで痛い思いを何回もしました。世界や勉学が無価値、無意味だと信じていた時の事です。
だから、見つけるためのアンテナを広げればいいのです。
ゲームでもいいです、音楽でもいい。映画を見たり、動画を見たり。出来るなら勉強や本でもいいです。
敢えて、普段通りの事、または普段とは違うこと。
これらを意識して、「楽しみながら」やってみるといいでしょう。
何一つとして、無駄なことはありません。
桜内梨子が言ったように、全てに意味があるから。
個人的にかなりおすすめなのは、年上の人から話を聴くことです。
自分より長く生きている時点で、自分より多くの事を知っています。
尊敬する先輩でも、両親、祖父母でもいいです。尊敬するアーティストのインタビュー記事や曲でもいい。
自分が辛い思いを直接しなくても、その人たちが辛い思いをして獲得した、「答え」を獲得することが出来る、というのは、最高の経験だと思っています。
自分が実家に帰ったときには、祖父とよく人生について話をします。
何故かというと、祖父が80年生きてきて、獲得した「結論」や「答え」をある種ズルをして得られるからです。
こういう風に、インプットを沢山行って、視野を広げたら、ふとした瞬間に気づけます。
これは断言します。
そんなに気負わなくても、大丈夫です。
「普通な私の日常に突然舞い降り」てくるものなので。
そんな時に、得た夢を、「だいじ」にしてあげてください。
「何か」をするための「覚悟」
大言壮語、という言葉があります。「実力以上に大きな事を言うこと。その言葉。」という意味です。
「覚悟」とは、この大言壮語により生み出されるものだと思っています。
勿論、行動から覚悟が生まれることもあると思います。
ですが、そういった人間はそもそも、「行動」出来ている時点で、何かしらの覚悟が無意識的に存在しています。
自信もない、前に進むのが怖い、でも動かないといけないのは分かっている。
そんな人に足りないのは、「覚悟」です。
覚悟が無いから、困っているんだよ!、とか思いますよね。
それでもいいのです。何故なら、大切なのは、
「嘘でもいいから、覚悟をする」
ことなのですから。
今から相当厳しい言葉を書きます。
嘘でもいいのに、「覚悟」すらできない人間は、何もできない。
そもそもこういった「覚悟」の言葉を、自分に言い聞かせられない限り、夢を見ること自体、ほぼ不可能だと思っています。
Aqoursの提示した夢は、覚悟無しに見れるほど、甘いものではない。
好きな歌詞があるので、それを引用しながら話します。
BUMP OF CHICKENの「バトルクライ」という曲です。
何故上のような強い言葉を言うのか、それは書いている私自身が何よりも嘘つきだからです。
でも、そんなウソを吐き続けて、そのウソに裏切られてでも、本当にしました。
そうやって、つき続けてきたウソが、いつの日か、勇気や誇りになるのです。
ウソつかなくても覚悟できる人間には、これは必要のない話です。ですが、僕みたいな、冗談抜きに「普通」の人間には、ここまでしないと、掴めない夢だったのです。
一つだけ注意点を書くのなら、こういった覚悟は「なるべく」表に出さないようにするべきだと思っています。
勿論、身内の「だいじなひと」に言うのはいいと思います。ですが、そういった「覚悟」は、外に見える形で言語化すると、非常に陳腐に見えてしまいます。
それこそ、ただの「大言壮語」です。
大言壮語を成していいのは、有言実行が伴うからだと思います。
つま恋が中止になって、「待っていてください」、と我々に言って、スタッフに頭を下げてでも、「約束」を守ってくれたのが、Aqoursです。
<WINDY STAGE>が終わったときの降幡さんのツイートを見て欲しいです。
これがただの「大言壮語」な覚悟に見えるでしょうか?
私にはそう見えません。
ただただ、彼女たちにとっての「当たり前」を述べているのです。
「輝き続ける」って。
有言実行なんて、Aqoursにとっては、当然の事です。
だから、我々も、「当然」にするのです。
これが「覚悟」というものです。
「覚悟」の仕方
「覚悟」をするためには、まず何が「一番」大切なのか、譲れないのか、ということを考えるといいです。
全部譲れない、なるべく多くの実を拾う、という思考は捨てるべきだと思っています。
行ってもいいですが、その先に待っているのは、緩やかな破滅だけです。
私は止めません。痛い思いしないと、人間は学習しないと思っているので。
では、どうやって「一番」を決めるのか。
「言語化」という方法が一番簡単で、便利だと思っています。(ほかの方法もありますが、言葉での説明が難しいため、ここでは書きません。)
言語化って言われて身構えた人もいるかもしれませんが、大丈夫です。
何故なら、言葉自身を自分で考える必要はないからです。
例えば、ここで書くつもりはありませんが、私にとって一番譲れない「覚悟」は、祖父が私に言ってくれた発言です。
ほかにも、歌詞や名言を「覚悟」にすることが出来ます。
これまでインプットしてきた言葉達の中で、自分が最も核としているものを、「覚悟」として、たったひとつだけ持てばいいのです。
勿論、自分で言語化できる人は、自分で行うのも素晴らしい方法だと思います。
この手段の最大の強みは、言語化しているから、覚えやすいし、いつでもその時の気持ちを、言葉と一緒に思い出せる、ということだと思います。
僕もよく、病んでしまったり、落ち込んでしまったときに、祖父の言葉を思い出します。
そうすることで、あの時に感じた熱い気持ちを、タイムカプセルを開けたときの様に思い出すことが出来るのです。
「覚悟」ということを他人に話した時、よく言ってくる言葉があります。
それは、「命を懸ける」ということ。
一番わかりやすくて、一番手軽に用意できる、「覚悟」の表れが、「自身の命を『懸ける』、『賭ける』」ことだと思います。
このことがどういう意味を持つか、について、次は話していきたいと思います。
「命を懸ける」とは
伊波杏樹さんは、Aqoursに命を懸けています。
私も、Aqoursに命を懸けています。
命を懸ける事って、美しいことだと思いますか?
そんなわけありません。
もし、覚悟の為に命を懸けるような人がいたら、今すぐやめてください。
何故なら、死んだら元も子も無いからです。
僕は、多くの身内を亡くしてきました。死んでしまったら、何もかも終わりなのです。
「何か」を残す前に、死んでしまうのは、自分がこの世界に生きている意味が何も残らない、という意味なのです。
あくまで、「命を懸ける」のは最後の「手段」であり、最も取ってはいけない方法です。
決して、「神格化」しないでください。
じゃあなんで私と伊波杏樹さんは命を懸けているのか。
それは、ここが「勝負の舞台」だからです。
命を懸けるのは最後の「手段」です。決して「目的」ではありませんよね。
だから、なるべく命を懸ける状況にならないように、知識や経験を養うべきなのです。
それを怠って、馬鹿みたいに「命を懸ける」っていうのは、ただの自己犠牲の皮をかぶった、自己満足にしかすぎません。
こんなにも強い言葉を使うのは、「命を懸ける」行為を安易に行うのは、絶対にやめて欲しいからです。
私が先ほどからインプットをしろとか、年上の人から話を聴くべきだ、と言っている理由はここにあります。
自分より長く生きてきて、勝負の舞台で勝ってきたからこそ今生きることが出来ている人間の、知識と経験があれば、なるべく自分の命を懸けなくてよくなりますし、いざ命を懸ける時にも、勝率が上がるからです。
ここまで、ひたすら命を懸けるな、と言ってきましたが、これ以上に大事なことがあります。
それは、最後の最後の、勝負の瞬間に命『賭けれない』人間は、決して「何か」にはなれません。
3rd LIVE、「MIRACLE WAVE」を跳ぶ瞬間、伊波さんは、死んでもいい、と思えるぐらいの「覚悟」をしていました。
普段舞台でバク転を成功させているのにも関わらず。
何かを成すためには、必ず要求される瞬間が訪れるのです。
「死ぬ気はあるか?」、と。
ここで、命を賭けることが、真の「覚悟」だと思っています。
ここで伝えたいのは、常に「命を懸ける」場面について、本当に正しいかどうか考え続けて欲しい、ということです。
後程言いますが、考えることをやめた瞬間、詰みますので。
知識で詰め切って、なるべく命を懸けることを避けて、それでも目の間に勝負の舞台が来た、というときになって、初めて「命を懸ける」のです。
それが、勝負の瞬間です。
何がゴールなのか
この見出しに回答するのなら、恐らく、最初に見つけた夢をかなえる時だと思います。
でも、Aqoursは歌っています。
夢はいつまでも消えないのです。
呪いの様に。
ある日の夢は、いつの日かの夢のための、手掛かりになるのです。
ここで知っていて欲しいのは、一般的な「正しい」も「間違い」もない、ということです。
正直教えたくない話なのですが、読んで下さっている仲間の為に、書いていこうと思います。
最後の最後、死ぬ瞬間までわからないのです。
正確には、上の一般性に加え、自分がそれを正しいと思うか、それとも間違いに思うかが、分からないのです。
正しさ、に執着したい気持ちは分かります。
これも日本の教育の所為だと思っているのですが、今生きている僕と同じ年代及び、下の年代の人たちは、余りにも普通から逸脱することを恐れる傾向にあるようです。
小学校の時、人と違うことをすると、怒られていました。そして、なるべく怒られないように、なるべく人と同じことを、マジョリティに属したいと思う人間が量産されたのは、事実だと思っています。
悪いことではありません。人と違うだけで排斥される世界なのですから、要らぬ波風は立てないにすぎますよね。
だから、これを逆に利用したらいいのです。
私がいま行っている、このブログという手段もその一つです。
日本は民主主義なので、「何が『正しい』かどうか」ではなく、万人に「これが『正しい』」と思わせたらいいのです。
Among Usとか、人狼ゲームとかプレイしたことがあるでしょうか?
あれと全く同じことを自分の夢で行ったらいいのです。
他人にとって自分の夢がゴミのようなものでもいい。
相手を黙らせて、自分が正しいと思わせて、票を集める。
すると、それが「正義」になる。
なんだか怖いこと言っているように見えますよね。
でも、それを行ったのが、Aqoursですよ。
Aqoursはずっと、デビューしたての時から叩かれてた。
だから、「黙らせた」んですよ。
圧倒的な輝きで。
それが今のAqoursです。
東京ドームに2回も立つというのは、誰にもできる事ではありません。
これが僕ら、だと、叫んで、認めさせたのです。
アニメの中でも、全く同じことを行っています。
「WATER BLUE NEW WORLD」は全てを染め上げて、黙らせる曲です。
Aqours9人全員が、あの瞬間に命を「賭けて」、誇りと覚悟を持ってステージに立った歌です。
Aqours以外のすべてのスクールアイドルの夢を奪い去った、曲です。
何故勝てたのか、答えは青に染め上げたからです。
誰にも否定させない、これが正義だと、全員に認めさせたから、勝てたのです。
Aqoursが「正しい」とか「間違い」とか、あの瞬間には何も関係ありません。
優勝したから、結果として「正しさ」が後からついてきたわけであって、本質は、「認めさせた」ことだと思っています。
何度も言っていますが、「正しい」とか「間違い」とか、全て後から気づくことなのです。
自分自身も、受験に落ちたときは、努力なんて無駄だと思っていましたし、何回も死にたくなりました。
でも、今なら、努力に価値がある、って言えてしまうのです。
全て、「いまさらわか」るものだということは、忘れないでください。
「考える」とは
前で述べたように、物事に一般的な答えなんて、ほぼありません。
だから、0か100か、黒か白か、みたいな考え方はしてはいけないと思っています。
人間関係も、物事も、その数だけ、それぞれの答えが存在しているからです。
だから、物事は「程度」で考えなければなりません。
どれくらい頑張ろう、どれぐらい手を抜こう。どれぐらい向き合おう。どれぐらい無視しよう。
こういった一番考えにくい「程度」のことを、ずっとずっとずっと、死ぬまで考え続けなければならないのです。
「命を懸ける」の最後で話しましたが、こういったことを怠ると、気づかない間に詰みます。
正直今詰みかけの人間が近くにいるので、割と自分自身も考えることは、意識して行っています。
僕が書いているこの文章自体、現時点での、僕の実体験と「答え」なので、普遍的正義ではないと思っています。
ですが、これを胸に、これまで夢を持ちながら、ここまで生きてこれた事実だけは、存在しています。
「動く」とは
夢の為に具体的に行動を起こすことを「動く」と定義しています。
基本的には、動いているときは何も意識しません。
といいますか、動いているときに無駄な思考を挟めるほど、簡単なことをしているのでしょうか?
こういったときに、変なことを考えなくていいように、先に考えておくのです。(勿論それが正しいかどうかの吟味は必要です)
そのための手段をここまでたくさん書いてきました。
そんなことをしていると、誰しもが一回は病んでしまうと思います。
日々、やることをやっているけど、前に進んでいる気がしない。
この感覚は凄く「正しい」なって思います。
何故なら、正解や間違いは、最後にしか分からないからです。
前に進んでる気がしない、なのに、夢の為にやらなきゃいけないことをしなければならない。
そして、その行動自体に価値があるかなんて、分からない。
そもそもこれで、「輝けるのか」すら、分からない。
そう思いながら、日々を生きることが、「動く」なかで、一番大変なことだと思っています。
自分も本気で病んだ時はありますし、その時の答えもありますが(詳しくは「見たことない夢の軌道 追いかけて」へ)、これはあくまで僕にとっての正解です。
なので、病んだ時への、個人的な対処法について話したいと思います。
覚えることはたったの三つです。病んでる時、難しいことは考えられないので。
それは、「美味しいもの食べて」、「ひとりで悩まずに人に相談して」、「すぐ寝る」です。
大体病んでいるときは、ご飯を食べるのが億劫になると思うんですよね。で、ご飯食べないと、お腹が減って正常な判断はできませんし、イライラします。
一人で悩むと、思考がどんどんネガティブ方向に喜んで走っていくので、こういったときは、ノータイムで人に相談したほうが良いです。
で、すぐ寝るというのは、起きていると嫌な事ばかり考えてしまうと思うので、現実逃避でもいいから、睡眠をとることです。
少なくとも、食欲と睡眠欲が満たされ、他人に問題をある種投げておくと、致命的な事が起こることはまずないと思います。
この方法、結構おすすめなので、是非参考にしてくださいね。
そうやって、「動いて」、常に正しいか葛藤して、病んで、そういった日々を繰り返す中で、気が付くと勝負の日を迎えます。
人生なんてそんなもんです。まぁ、21歳の私が言っていいことではないと思いますけどね笑
その勝負の瞬間に、ふと後ろを振り返ると、自分の成してきたことが、そこには積み重なっています。
そこで初めて、「命を懸けて」勝負するのです。
沢山の武器を手に。
「ひとりじゃない」
先ほど、病んだ時に「人に相談」と書きましたよね。
友達がいない、っていう人もいると思いますが、ここで、どうしようもない事実と強い言葉を書きたいと思います。
もし、自分ひとりで生きていけるなんて言う傲慢を持っているのなら、今すぐ捨ててください。
夢はひとりでは、見れません。
小学生への啓蒙みたいなものですが、「いただきます」という言葉がそもそも存在しているのは、他の命の犠牲の上に、我々が生きているからです。
この時点で、自分一人では、勿論生きていける訳がありません。
夢も、最後の最後の勝負の瞬間は確かにひとりかもしれません。
ですが、そこまで至る過程に、沢山の「だいじなひと」がいます。
それを蔑ろにしている人間は、「だいじなひと」は出来ないと思います。
少なくとも、自分が病んでしまったときに、誰にも相談できません。
先ほどから話してて気づかれていると思いますが、ここが、私の人生において最も大切にしている部分です。
人間は環境に生きる生き物です。
自分の周りが、やる気に溢れる人たちなら、勝手に鼓舞されますし、夢を見ない人たちの空間にいるのなら、夢を見ないことが、ある種の普通になる。
別に今から夢を見ようとしている人に、「そんな友人関係は切るべきだ!」、なんて言っているわけではありません。
ただ、気が付かない間に、緩やかな破滅に向かうだけです。
そうならないために、自分で、そういった環境を作る努力をしなければなりません。
理想の環境を作る方法ですか?簡単です。
Aqoursのファンに声をかければいいですよ。
全員が全員そうとは言いませんが、少なくとも僕の周りには、本気で夢を見ている人がいっぱいいますし、僕の周りじゃなくても、いっぱい見てきました。
勇気を出して、声をかけてみてください。
声をかけることが怖いですか?
大丈夫ですよ、みんな、Aqoursが好きですし、Aqoursに、言われてますよ。
少なくとも、僕は勇気出して、話してくれる人がいたら、「絶対に」向き合います。
支えてくれる人たちへ
ここからは、一番最初に言ったように、「夢が無くていい」、「私は夢を託したい、夢を見ている人を支えたい」という人への、赤裸々なメッセージを送りたいと思います。
きっと、全員が全員、限られた人生という時間の中で精一杯輝こうとする「スクールアイドル」のような夢を追いかける存在なのなら、きっと、僕という存在はとっくの前に淘汰されていると思います。
万人がそういう訳じゃないし、実際そうできないから、自分という人間が、今ここに立っています。
私の両親、祖父母は年齢や社会的立ち位置があるので、今まで僕が話してきたような「夢」は見ていません。
僕に「夢を託して」、僕と一緒に「夢を見て」います。
逢田さんの現場や、Aqoursの現場に行くと、よくそのような人を見かけます。
僕はそういった人たちに、心から感謝しています。それと同時に、気持ちも理解できます。
Aqoursの見る夢の中に、私は入っているかもしれませんが、それを叶えるのは、Aqours達当人です。
そういう意味じゃ、私もAqoursの夢を、Aqoursと共に見ているのです。
ひとりじゃ夢は叶えられない。
僕と共に、逢田さんを、Aqoursを追いかける仲間がいるから、家族がいるから、友人がいるから、僕は自分の夢を見て、叶えられるのです。
その事は、決して当たり前だとは思っていません。
だから、人との出逢いは、私の人生の中で最も大切にしている事です。
そういう生き方をすることを選んだ「覚悟」、「願い」、「想い」を、どこまでも尊重して、そして、尊敬しています。
いつも伝えていますが、改めて。
そばにいてくれて、出逢ってくれて、一緒に夢を見てくれて、ありがとう。
みんなは、私の自慢で、誇りです。
最後に
ここまで話してきたことを一言でいうのなら、
ということです。
散々話してきてあれなのですが、上の全部の話より、大事にしてほしいことがあります。
それは、「輝くって楽しむこと」という、高海千歌ちゃんの言葉です。
確かに、「楽しむこと」にフォーカスしすぎた「MIRAI TICKET」では、Aqoursは負けました。
だからといって、「WATER BLUE NEW WORLD」は「痛み」だけにフォーカスしていたか、というと、そういう訳ではありません。
「痛み」と「楽しみ」、その両方の「程度」がしっかりとしていたから、勝てたのです。
そして、我々の心に刻まれたのです。
先ほど、環境の話をしましたが、自分は「自分が優しい」とは口が裂けても言えません。
このブログ然り、最近のAqoursの事についてのTwitter然り、「強い言葉」を使って、見知らぬ誰かの「好き」という気持ちを傷つけています。
「見たこともない夢の軌道 追いかけて」にも書きましたが、自分は自分の発言によって傷つけてしまう「大好き」という気持ちに向き合う覚悟を、それでも、自分の「好き」を発信する覚悟を決めました。
自分は優しくないのに、自分の周りには、優しくて、素敵な人たちがいっぱいいます。本当に、自分にはもったいないぐらいの。
だから、そういう人たちへの感謝の気持ちを込めて、この文章を書きました。
この文章が、ある種の私の「覚悟」を書いている言葉達になっているので、正直私の信条に反するのですが、Aqoursに誓う為に、このような形で宣言しようと思います。
「何かになる」という夢の先は、「何かを遺す」という夢の形になって。
自分は、自分の生き方を使って、Aqoursの正しさを世界に証明したいのです。
そして、そんな姿を未来を歩む、下の世代に見せて、いつの日かの「輝き」になれることが、今の僕の「夢」です。
ここまで読んでくれて、燻っている貴方へ。
少しは何か見えたでしょうか?
いつの日か、私が貴方に問いかけます。
「君のこころは輝いてるかい?」
素敵な笑顔で、返事してくださいね。
「Yes!!」
って。
2022/10/22 16:54
「ユメをみて生きて」いるはまーより
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