映画「えんとつ町のプペル」の感想

映画「えんとつ町のプペル」を見てきた。
賛否が、激しく別れていると耳にした。
「5分で飽きた。」「終演後涙が止まらなかった。」同じ作品の感想としてここまで別れるものだろうか。
実際に自分で映画を見て感じたことを書こうと思う。
まず自分の立ち位置(西野氏に対する感情)を明確にしておくと僕は「西野亮廣オンラインサロン」のメンバーだ。しかし加入したのはかなり最近だが。彼女から【信者】と呼ばれることは「心外」だ
僕は西野氏の著書「革命のファンファーレ」は読んでいない。しかし自分の仲良くしていただいている人にはその薫陶を受けている人がすくなからずいる。しかもその人達の事を結構好きだ。
元々お笑い芸人としてのキングコングには「はねるのトびら(フジテレビ)」以前に「爆笑オンエアバトル(NHK)」で見たのが最初だったと思う。
「はねるのトびら」はあまり見ていないので同時期くらいだったのかもしれないが。最初に見た印象は「面白くておしゃれな感じはするけどなんとなく見たことがある気がする」という感じだった。確かに面白いんだけどお腹抱えては笑わない感じ・・・。その後M1グランプリが始まり「M1で優勝できなければ解散(実際には梶原が離婚しますだったらしい_wikipedia)」と公表して臨むものの敢え無く決勝8位。本来の芸歴を考えれば大健闘なのだが、煽りに煽って臨んだこともあり結構叩かれたように思う。その後「ひな壇やりません」宣言。思い通りに売れないからもうやーめたの駄々っ子的印象を持ったが、後々の説明(いずれテレビの大きな画面でのコンテンツは廃れ、スマホ等の小さな画面でのコンテンツが増えるから団体芸ではなく一人で絵を持たせる技量が必要になる)を聞いて納得。実際世界はそうなっていってる。オンラインコンテンツビジネスやクラウドファンディングといったことも西野氏の予言通りになってきているし、侮れないなと・・・。
そこにきて絵本を書いていて「ディズニーを越える」である。
「お笑いもできる多才な文化人ですよ」的なスタンスにぼくは結構拒絶反応が出ていたのだが、「お笑いはじゃなくて、絵本を書いたり映画を作ったりする方が得意だと気付きました」というなら素直に」応援したい。応援した方が徳だ。
もし本気で「ディズニー」を越えるというなら応援したいし「一緒にやったんだぜ」と乗っかっといた方が面白い。
さて「えんとつ町のプペルに関しては2年ほど前に知り合いの劇団が「えんとつ町のプペル」の原作をモチーフにしたミュージカルの公演をしたときに照明スタッフとして関わらせていただいた。その時にしっかり原作も見せていただいた。
前置きが長くなったがここから感想(多少のネタバレがありますがご容赦ください)


◇技術や映像クオリティは凄いが置いてきぼりにされた序盤

一応プロローグ的に主人公(ルビッチ)と父(ブルーノ)のエピソードはあったものの、突如空から光る石が落ちてきてそれに何故かゴミがくっつきゴミ人間(プペル)が生まれ、そのモンスターも出来上がると咆哮しまさにモンスターなぜモンスター的演出にしたのかもわからなかったし、そのモンスターが町にたどり着くと突如ダンスシーンが始まりその中に入っていく・・・。全てが唐突だ。いや僕の感受性が低すぎるのかもしれない。
アニメーションや音楽は素晴らしいと感じたし、ダンスの振り付けもよくあるアニメ作品にありがちななんとなく踊っている動画では無く、しっかりと振付されたものだと分かったし、3DCGにモーションキャプチャで動きを加えたものだろうとも感じた。そのモーション(アニメーション)もすばらしかったが、そのシーンは長く感じた。※ここで序盤で飽きたと言う感想が出るかも知れないなとは思った。
その後もプペルの声に気づいたルビッチが救出に向かいプペルと共に地底に落ちていくシーンのスピード感や映像クオリティは凄いんだけど序盤の疑問を解決できないまま進んでいくので置いてきぼりされている感じがありストレスが溜まった。

◇流れて行った中盤

中盤は「わくわくしよう」「お金の奴隷になるなかれ」といったいわゆる西野節がこぼれていたと思うが正直あまり印象に残っていない。
ここでもっと町の人々が何を諦めたのか、なぜ諦めたのかを明確にしてほしかった。アントニオにしても何かあったのだろうけど単なる乱暴者という印象しかない。(終盤の描写で何かしら諦めたことがあるのは匂わせていたが)

◇無理やり感動の終盤~エンディング

モヤモヤしながら時間が過ぎて行ったが、プペルの臭いが落ちないのは「ブレスレットを探しに行ってたんです」のくだりからプペルの心臓が船を呼び寄せ空に向かうところまではベタな展開ではあるもののしっかり感動できるものだった。※終演後涙が止まらなかったという感想もここから来たのだろう。特にルビッチ(声:芦田愛菜)の「見たのかよ!あの煙の向こう側をだれか見たのかよ!誰も見てないだろ!?だったらまだわかんないじゃないか!!」のセリフは完璧だった。ちょっと鳥肌も立ったし泣いちゃいそうだったかもしれない。
あとエンディングテーマのロザリーナの歌には違和感があった。もっと日本語の発音がしっかりした歌手の方が良かったのではないだろうか。ロザリーナが悪い訳ではない。ロザリーナは綺麗な声の素晴らしい歌い手さんだと思う。しかし歌詞の発音のクセが強く気になってしまったのだ。僕だけなのだろうか?
あとラストのブルーノの講談風の七五調の節回し。
このシーンは志の輔師匠の声がバッチリハマり、本当にえんとつ町のことが伝承としてあって、それを講談師が語っているようなシーンとなっていた。
しかしその七五調のリズムがくずれるところがあって気になった。七五調は崩れて良いのだが、リズム感が崩れるのはいけないと思った。そこが気になったのは僕だけだろうか?

◇テーマは伝わった。しかしそれでいいのか西野

「夢を諦めちゃいけない」「夢に挑戦するものを馬鹿にしない」恐らく西野氏の言いたかったテーマはなんとなく伝わってきた。この映画の評価をすると100点満点の「大傑作」では無いと思う。かといって10点~30点の「駄作」でもない。言うなれば60点~80点のいわば「良作」「佳作」といったところか。この「何か足りない」という感想はキングコングの漫才の評価と似ているなぁ。と思った。
両極端の評価の正体は、「信者かアンチか」では無く「作品を楽しもうと思ってみているか、否か」の立場の差ではないかと思う。
映画を楽しもうとみている観客には「?」の多い序盤も我慢できるだろうし、メッセージも雑味無く伝わると思うが、それ以外の人には「最後には言いたいこと伝わったからこれでいいでしょ」な感じもある。という事で「これでいいのか西野」なのである。
今回のえんとつ町のプペルは非常に注目されていたはずである。まわりからいろいろ言われながらも「西野信者」と呼ばれているファンの為にも100点満点の「大傑作」を発表し「アンチ」を黙らせ、華々しく映画界デビューする必要があったのではないだろうか。公開前に煽りまくったこともあり「話題先行のそこそこの作品」となっていないか。

◇西野氏の才能

今回の作品で評価を固めてしまうのは尚早だと思うが、全員が口をそろえて面白かったというものを作らなければディズニーは越えられないだろう。
しかし映画初挑戦でこれだけのものを作ったのは西野氏の才能によるところだろう。西野氏は結果を出すまでが早い。お笑いの数々の賞の受賞最年少(結成からの最短)記録をもっていることからもそれはわかる。絵本を書き始めてからも早々に結果を出した。しかしお笑いはそのあとに続かなかった。
西野氏の絵本の細密画的絵は上手で作品として良いと思う。声優さんのキャスティングや事前の販売促進などは完璧だったのではないだろうか。
つまりはクリエイターというよりは、原作と製作というあまりないポジションに才能があるのか。
映画の感想とは違うが今回の作品は映画の評価に西野氏の評価がくっついてまうのだろう。それは公開に至るまでの話題性、売り方、もあって仕方のないところだろう。しかしチケットが売れていることは事実だし興行収入が鬼滅の刃に続く2位というのはそのプロモーション力を評価しないわけにはいかないだろう。


◇さらなる進化を期待したい。


映画えんとつ町のプペルがどのような評価を得るのかはわからないが、
僕としては先ほども書いた通り「中の中」といったところだ。メッセージが良いのでこどもに見せたいという気持ちもある。
しかし「やめちまえ」という気持ちは微塵も無く寧ろ作り続けて欲しい。西野氏のやり方であれば資金が枯渇し新作を作れないということは無いだろう。西野氏以外のクリエーターを抱えそのサポートをする形でも良いと思う。ディズニーを越えるまで(何を持って越えたとするのかはわからないが・・・)一代では終わらないかもしれないが、頑張って欲しいと思う。

※2001/1/6初稿
※2001/1/7加筆修正

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