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トランス・ヒューマニズム

人間の今現に持っている能力。その限界というのは実はあまりハッキリしていない。悟空のように瞬間移動とかはすぐには出来ないと思うけど。

「トランス・ヒューマニズム」は、私が今まで見たところでは、何だか不老不死を求めている模様。名前の大仰さからすると「え?それだけ?」って感じもするが、まあ不老不死だって相当な超越ではある。そう。つまり、現行人類の能力を超えていこうという考え。

当然倫理的に危険な香りもしてくる。遺伝子操作とか。脳ミソいじくってとある機能を強化したり抑えたり。

なぜまず不老不死が目立つのかと言えば、これを大真面目に求める人たちにとっては「当然の権利」なのだそうだ。

死や病という不安からの解放。

そして、既に科学的にそれを実現する手段があるなら、使って当然(使わないのはむしろ不正義)というスタンスらしい。

このように一つ間違えば「新興宗教?」と思われかねないぐらいトンデモ感満載なので、私は「トランス・ヒューマニズム」自体に入れ込みたい気持ちにはならない。けれど、不老不死なんてものは目指さないにしても、現代人の日常の不安の相当部分を占めるものが特定できるなら、これを科学技術でもおまじないでも何を使ってでも取り除いてあげた方がいいんじゃないか?と考え始めてはいる。そのために、例えば私たちの皮膚が全身トカゲの鱗みたいなのになったっていいと思う。勿論見た目がグロいだけで、何も不安が取り除かれなければ意味はない。あくまでも「より楽に生きて死んでいくことができる」というのが趣旨。そのためなら全く別の生き物になったっていいんじゃないか?ということ。

まだ確定ではないけれど、私が取り除いたらいいのでは?と考えているのが、食への不安。

食べないと生きていけないってツラくない?

遺伝子操作でも何でもやって、太陽浴びて息さえしてれば勝手に生きるのに十分なエネルギーぐらいは作れる(摂取できる?)ような生き物になれれば、相当不安って解消されるんじゃないか?

そうでもないかな???

勿論選択制だけどね。

今のように3食(できればたまに美食?)食べて生きていたいという人は別に”改造”は受けなくたっていい。

食も「文化」だからね。いろいろ議論はできるのかもしれないけれど、私はあくまでも生きていく上での負荷大幅軽減の方を重視したい。

無理でしょ?今のような方法でエネルギー摂らないと生きていけないなら?一人残らずみんなが平穏無事な生活を送るなんて。

苦労ばっかりだ。

働かないといけないのだって多くの部分は食べるためだ。

楽しくもない仕事。安月給のために満員電車に揺られ、上司や同僚からのハラスメントにも耐え、余暇もほとんど楽しめない。下手すればずっと余暇・・・なんて笑えない状況も。

食べて行くぐらいなら何とでもなりそうなグループだってさ。不安がないわけじゃないだろう。だからこそおかしな現実認識や自己の正当化の仕方(例:競争社会、弱肉強食、前進主義に持続的成長、etc.)をしてそのおかしさに気付きもしない。そういう狂った事実認識の輩がリーダーシップを取ってくれちゃうもんだから、無益な争いそして人命の蹂躙にも一向に歯止めがかからない。

一番もったいないのは、既に持っているはずのよい側面が十分に駆動させられていないこと。折角駆動させられてても目立たない。

生きていくのに必要なエネルギーにフォーカスしたいのは、やっぱり生き物ってエネルギーの法則を無視しては存続し得ないと思うから。

遺伝子関係のみならず、分子生物学の研究や技術開発は進んでいるし、その結果エネルギーの問題も、ちょっと前よりは、物理、化学と生物学との間のギャップも狭まってきているように見える。

やっぱりたっぷり時間がないと、自然科学から社会科学、そして人間独特の性質(ことばや意味、芸術的創造性など)、全体通して調和のとれた研究や理論の形成も難しいのではないか?

のんびりやったらいい。

そのためにも、「不安からの解放」。完全にゼロというのは目指さないにしても、概ね落ち着いて、気が向いたらたっぷり沈思黙考し続けてても死にはしない、ぐらいの環境を整えるってところ。ヴィジョンとして掲げてみてもよかないか???

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