could be anything #5 文化祭

今日、勤め先の学校の文化祭があったので、担任をしていたクラスの発表を見に行ってきました。
この学年は、各クラスがオリジナルの振り付けや衣装で、ソーラン節を踊るのが恒例。それぞれの団のカラーに合わせてテーマを決め、振り付けや衣装、隊形移動などを工夫して臨みます。
終了後の挨拶のときには汗だくで肩で息をする生徒もたくさんいて、どれだけの思いでそこに臨んできたのかが伝わってきた気がしました。アイデアを出し合ったり、掛け声を揃えたり、本番当日に至るまでに色んな努力があったのだろうなと思うと、胸に来るものがあります。

せっかくなので少し話しかけにいこうかとも思いましたが、教員が――しかも休んでいる身の自分が――出る幕はないと思って、彼らの姿を目に留めるだけにして、そのまま帰りました。
日陰の存在であって、彼らが彼らの力で進んでいくのを陰から見ているのが教員としては、あるべき姿だと思いました。
そもそも休んでいる自分は、彼らに何をしてあげられているわけでもなく、何を話せばいいのかも分かりませんでした。

写真や動画を撮ろうか迷った挙句、この目に焼き付けることに集中しようと思って、何も記録しませんでした。そのほうが心に残っていいと思っています。本当に大切なことは、それでも忘れないのです。

素敵な姿を見せてもらいました。
ありがとう。


部活動のほうは、地元のクラフトビール醸造所、レストランの協力を得て、ビールの醸造時に出る麦芽粕を使ったピザを販売。
キッチンカーを出したいという念願が叶ってよかったです。「あれもダメ、これもダメ」とほんの少しのリスクを過大視して制約がつけられるなかで、「キッチンカーを文化祭に呼ぶ」ということ1つとっても、風穴を開けてくれたと思います。

そもそも学校行事は、生徒たちのイベントなわけで、法律に触れるわけでもないのに、なぜ教師がゴチャゴチャと制約をつけたがるのか、僕には分かりません。
本質的にいえば、そういう教師の姿勢自体を叩き直さないと、物事が真に変わったとは言えないわけです。ただ、そうはいっても、キッチンカーを1台出店するだけでも、心身ともに疲れる交渉と準備だったと思います。

小さく咲かせて大きく育てる。

社会科学班のみんながまず風穴を開けたから、これから先のこの学校の「自治」が少し変わるかもしれません。本当に尊敬できることです。


ところで、部活動のキッチンカーを眺めているときに、管理職がやってきました。
いったん休職期間の終わりとされている7月末以降のことを校長と話す必要があるようです。

それはそれで必要なことだろうし、仕方がないのですが、この場面で、近くに生徒もいるのに、「代わりの先生も8月以降どうするか考えないといけない」とか「授業だけ持ってもらう形でいきたい」とか、休んでいる本人の意見を聞く前に、話が進んでいくのは、そういうところですよ、と思いました。

僕だったら、2学期以降はどんなふうに過ごしたいと思っていますか?とまず、本人の考えを聴くけどな、と思いました。
代わりの先生を探す必要については、申し訳ないとは思いますが、そもそも1年以上前からこのままでは倒れる、職場で話をできる人がいない、1人に放り投げられる仕事が多すぎる、と管理職に再三相談していたのに、のらりくらりとかわして、何もしてこなかったのは、管理職のほうなのです。
それなのに、「代わりを探さないといけない」「期限を決めてほしい」とこちらに言ってくるのは、ちょっと僕の感覚とは異なりました。
それはそっちが考えることであって、今休んでいる本人に言うことじゃないだろと僕は思いました。

毎月残業時間(といっても残業代は不払いですが)が100時間を超え続けているなかで、その記録を教頭・校長と順に閲覧・承認しているのに、対応してこなかったのは、そっちなのです。それなのに、早く決めろと迫るのは、僕は違うんじゃないかと思います。

また、僕が休職に至った原因には、生徒に大量の課題や試験を課して追い掛け回し、保健室登校や不登校や転退学が多数発生しているにもかかわらず、授業も生徒支援も変わらないという、職員の姿勢がストレスだったことがあります。
生徒にあれだけの課題や小テストや模試を課す割に、授業はいつまで経っても一方通行の一斉講義ばかり。自主的な授業研究会は皆無で、受験、テスト、偏差値、順位……そんな話ばかり。
東大京大に数人受かったとしても、その裏で毎年一体何人の生徒が転退学したり、不登校になったりしているのか。
それを何とも思わないのが、僕には信じがたく、そういう職員の姿勢を変えられずに加担している自分があまりにも情けなく、申し訳なく思ううちに、うつ病になりました。

それも、管理職に何度も言ってきたことです。毎回の人事面談でもこのことは言い続けてきました。定期的な面談以外の場面で自ら管理職を訪ねて、言ってもきました。それでも、変わることはなく、変えようという議論もなく、のらりくらりとかわされるだけでした。

仮に「いや、議論はしていた」と言われるとしても、それは1年以上にわたって本人に明らかにされてこなかったし、実際に現実は変わっていません。

そういう背景があって、休職となっているのに、そこに何の変化もないなかで「体調はよくなっていそうだ」と勝手に決めて、「9月以降の授業は…」と話をされても、何も入ってきません。
まず、原因になった、特に若手職員が慢性的な過労に追い込まれていること、そして、教育虐待と言われるような状況で多くの子どもたちを不幸にして、彼らの人生を歪めていることについて、どういう改善が図られているのか。それを語ってから、職場復帰などの話に入れるのではないでしょうか。

「8月以降の先生を探さないと」「復帰後は授業だけ」といった発言からは、結局、8月以降の授業の代わりの教員を探すのを避けたいがために、僕を復帰させたいという本音が透けて見えました。
僕自身がどういう心境で、うつ病を発症し、休職にまで追い込まれているのか、どうすれば最低限満足のいく社会的な生活ができるように戻れるのか、それを考えることは、彼らにはないのでしょう。
これだけ「大人の職員とは考え方が全く合わない。続けられてきたのは、子どもたちがいたから」と伝え続けているのに、子どもたちとの接触をわざわざ減らそうとする(授業だけ、ということはクラスや部活のことはノータッチとなるわけです)のが、僕には理解できません。

今、元々僕が担任をしていたクラスは本来の副担任の先生と、もう1人どこのクラスにも担任・副担任で入っていなかった先生、そして学年主任の3人で見ているようです。
僕だったら、復帰後もこの形は継続して、チーム担任のなかに僕も位置付ける、といった形で、本人が心のよりどころとしている子どもたちとの接触は確保しつつ、業務負担が偏らないようにしようとすると思います。
というか、決める前に、まず本人にどうしたいか尋ねると思います。こちらの意見を聞くのではなく、すでに決まっていることに僕を納得させるための説得ばかりなのです。あくまでも、職場のほうは変えないから、休んでいるお前が変われ、という姿勢は常に崩されません。

組織を維持・運営していくには仕方のないことかもしれませんが、僕のことを考えてはくれないのだなと思いました。

クラスや部活動の子どもたちの様子を遠目に見ていると、教員は日陰の存在であるべきだと思いながらも、一声かけたいなとか、会って話したいなとか思ってしまいます。
それでも、今のままの職場に戻ったとしても、長く続かない。それでは結局、子どもたちに迷惑をかけてしまう。
ここには、もう戻る場所がない。

ピザの販売が始まって、たくさんのお客さんにピザを売り、ありがとうと声をかけてもらっている彼らを見たいと思っていましたが、早めにその場を立ち去ることにしました。

子どもたちがいくら素敵で、可能性に満ちているとしても、僕があの職場で健康にはたらくことは、もうできないと思いました。
あまりにも大人たちの感覚と、僕の感覚がズレすぎている。僕にはあの人たちの感覚や行動が理解できないのと同じように、向こうは向こうで、僕のことは理解できないのでしょう。
それは、これまでもずっとそうでした。
この村の住人になったことはなく、いつも異邦人でした。

「僕らにはできない新しいことにチャレンジしてくれている」といったことばかり言われて、「僕らにはできない」じゃなくて「僕らはやろうとしていない」でしょ?と思い続けてきました。
別に僕自身が超人というわけではなく、自分で勉強して、授業ならその教科科目の本質を問い続けて、子どもたちの姿を想い続けて、授業を作ってきた。クラスも部活も同じです。
常に、「濵野先生はよく頑張っている(けど、私たちはやりません)」の()内が見え透いているなかでは、確かにそれでも子どもたちのために頑張らないと、と思う反面、もう心がもたなくなってしまいました。

心の底から、なんで子どもたちが不満をもち、不安を抱え、自信を失い、学校に来られない、外に出られない、疲れて無気力になっている、そういう状況なのに、こちらが変わろうとしないのか。僕には、全く分かりません。
大人のこっちに合わせろ、ではなく、現に苦しんでいる子どもたちがいるのだから、大人のこっちが合わせよう、でしょう。
それは、結局、うつ病で休んでいる職員に対しても同じなのです。この職場では、常に苦しんでいる側が合わせないといけない。それが接触するたびに明らかになって、子どもたちのことを考えると、早く戻りたいと思いますが、戻れない、と実感しています。

いずれにしても、子どもたちは別に教員が1人いなくても、その環境で育っていくし、自分たちで動けます。僕がいてもいなくても、彼らにはそれができる。
それはすごく嬉しいことです。

僕はあの場所には、もう戻れない。
戻る必要もないのでしょう。


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